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家族をまもること(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その40)

一人娘のちゃこは、この春小学校に入学し、4月の1ヶ月間を何とか乗り切った。幼稚園の頃は遠距離を歩いたことがなく、走るのも遅かったあのちゃこが、毎朝、集団登校の長い道のりを、30〜40分かけてずんずんと歩いている。

住宅地の入り口までちゃこと手を繋ぎ、集団登校を見送った後、私は急ぎ足で自宅へ戻る。必ずトイレに行きたくなるのだ。朝に何回もトイレに行っても、外へ出ると必ず尿意をもよおす。出産をすると、骨盤底筋が緩み、頻尿になると言う。もれなく私も頻尿となり、産後その治療にはまだ行けていない。そろそろ泌尿器科に行かなくては…毎朝、ズボラな自分を後悔しながら急いでトイレを済ませて、車に乗りそそくさと職場へ向かう。

車に乗り住宅地を出ると、登校を見守るボランティアのおじいちゃんが立っている交差点で、必ずちゃこたちの登校班が歩いているのを見かける。おじいちゃんは、新一年生には一際笑顔でおはよう、おはよう、と声をかけてくれている。そのおじいちゃんのきらきらした笑顔をよそに、ちゃこは無表情でだるそうに歩いている。ランドセルは若干肩からズレ気味だ。交差点の信号が赤だったら、私は車内からちゃこをじっと観察している。「おじいちゃんに挨拶は⁉️」クラクションを鳴らして説教をしたいところだが、じっと我慢する。信号が青だったら、ちゃこを一瞬見て、「ちゃこ〜〜‼️ファイト〜〜‼️」と車内で一人、叫びながら通り過ぎる。ちゃこには届かない叫び声だが、応援の念を送る。そして、思い出す。中島みゆきの「ファイト!」の歌詞を。
「ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」。
それは、ちゃこに捧げる応援歌であると同時に、これから仕事へ向かう自分への鼓舞の言葉でもある。闘いたいわけではなくとも、時に学校や職場は戦場と化するのは周知の事実だ。ちゃこも慣れない環境で様々なことと闘っているかもしれない。私なんて、いつも自分自身との闘いや、ろくに挨拶もしない新採の子なんかがいる職場で「心の闘い」をしながら、毎日を何とかやり過ごしている。

ぐうたらなちゃこが、小学校も学童も毎日通えていることに少し安堵感を覚え、4月下旬の連休を迎えた頃。旦那が高熱を出した。病院に早めに行けと言ってもきかず、連休中の仕事にも出勤した頑固ジジイをよそ目に、私らは私らで…と、非情な私は娘と連休を楽しむことにした。娘にとって初めてのカラオケ🎤や初めての猫カフェ🐈。小学生ともなると、少しだけ大人と同じようにいろいろな場所を楽しめるようになってきた。女子力が高いところが苦手な旦那とは行けない、オサレスポットにも、娘となら行けるようになるかもしれない。私は、娘がカラオケで「うっせえわ」を必死に歌うのを見ながら、淡い期待を寄せた。娘も母である私も、世界がぐっと広がるのではないか。赤ん坊の頃は、まるで二人きり鳥籠に閉じ込められていたかのような窮屈な狭い空間だったのに、小学校に上がるとぐっと世界は大きく果てしなく広がっていくのではないか。

淡い期待にほんわかしながら家に帰ると、旦那は死体のように真っ青になって静かにソファに腰かけている。そして、喉を見ろと指差す。私はおそるおそる旦那の口内をのぞく。左側の扁桃腺の辺りが、デメキンのようにぼこぼこと腫れている。腫れの大きさは大小様々だ。「うわぁぁぁぁ‼️何じゃこれは‼️」私は松田優作ばりに驚いた。
「えんとおえん」旦那はもう、もごもごした言葉しか出ない。「ん?何?」「えんとおえんあれてる」「扁桃腺⁉️」「うん」春うららかな花の連休の真っ最中である。私たちの暮らす地域は天気にも恵まれ、行楽日和だった。「病院行けって‼️救急でもいいから‼️」「えんきゅうあけね(連休明けね)」「ばかじゃないの‼️早く行けって‼️」「いぶあるから(EVEあるから)」大バカ者である。何でもEVEありゃいいってもんじゃない。生まれ育ちが裕福な家ではなく、すぐに病院に行くという習慣のない旦那は、とにかくギリギリまで病院行きを伸ばす。いっそ、入院した方が保険も下りて安上がりだと思っているのである。しかし。それが現実となった。連休明け、朝イチで耳鼻咽喉科にかかった旦那は、即入院と言われ、大病院を紹介されて午後には入院することとなったのである。

職場で旦那からのLINEでそれを知った私。現実となったやん…保険は下りるだろうがよ…私は素早く仕事の段取りを整理し、各方面に連絡し、課長に状況を告げた。課長や同僚から連休をこんな惨事で消化する我々家族を憐れむ、労いの言葉を浴びせられながら、私は旦那の待つ大病院の救急センターへ駆けつけた。昼に用意した弁当には手をつけてない。手をつけた後に駆けつけたら、後で旦那に何を言われるかわからない。空かせた腹を鳴らしながら、私は救急センターの受付で旦那の名前を告げた。中へ通される。喉の腫れのせいで水一滴も飲まず食わずだった旦那は、座って点滴を受けている。「おれからえんさだはら(これから検査だから)」。次の段階に行けば死ぬ可能性もあったと耳鼻咽喉科の先生から言われたことをLINEで教えてもらっていた。腫れのせいで、窒息する可能性もあった、と。私は早く病院に行かなかった旦那と、もっとしつこく言わなかった自分を責めたかった。しかし、今はそれどころではない。私は旦那の向かいの丸椅子で、静かに旦那の顔と、壁や蛍光灯を交互に見ながら、看護師さんからの次の指示を待った。

大病院は入院患者の面会禁止。荷物だけナースセンターで預かると言う。旦那が入院して二日経った現在。荷物は二回届けた。歯磨き粉はピュオーラじゃなきゃ腫れにしみるとか何とか、相変わらずバカもんの旦那の要望を聞きながら、そんなヤツでも何とか生きてることに手を合わせた。現在は薬を投与された効果があり、大分回復してきているようだ。普段休みたくても休めない旦那にとっては、天からの恵みのギフトのような5月の連休になりそうである。

5月になり、娘は集団登校の長い道のりの疲れが出てきたようである。それだけではないだろう。慣れない学校生活の、様々な疲れがあらわになってくる頃だ。「車で送っちゃダメよ、休ませちゃダメよ、不登校のはじまりになるのよ」今どきネットの掲示板にも誰も書かないであろう、古ぼけた意見を吐く我が母の「アドバイス」をよそ目に、私は明日、娘を車に乗せて途中まで送ることにしている。甘やかしだと言われようが、明日だけは娘を車に乗せて送ると決めている。新しいピュオーラをもう一本調達した自分がいる。今私が娘と旦那にしてやれることは、それくらいだ。それが外野からは甘やかしだ、やり過ぎだ、と言われても、そうしてやりたい思いがある自分がいる。

家族をまもることとはどういったことだろう。この春はそれを考えさせられることが顕著だった。それが時に甘やかしのようなことになっても、そうでなければほぐせない「コリ」も存在する。新緑の5月が始まった。娘の人生はまだ始まったばかりである。旦那も幸いまだ人生を終わらせていない。二人と過ごす未来が楽しみだから、今日も私だけは倒れないようにお決まりの薬を飲み、22時には娘と床につくようにしている。「ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」。どんなに滑稽な姿でも、笑われてもかまわない、それでも全身全霊でまもっていきたいものを改めて実感した、そんな春の連休である。




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