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頑張りすぎてしまう私たちへ

「搾取されるな」

卒業式に担任の先生から贈られた言葉を覚えている人は、どれくらいいるだろうか。かくいう私はぼんやりと、断片的に…いやほとんど覚えていない。
けれども、青漆な黒板に書かれたこの6文字だけは18歳の私の頭の片隅に今もなお残っている。

正直、なんのこっちゃである。

これから大学へ進学し、オレンジデイズなキャンパスライフを夢見ている私は春からの生活を夢見てそれどころではない。もっと言うと、今晩吉祥寺でやる卒業打ち上げで頭がいっぱいだった。

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「サクシュ」

その後、私はオレンジデイズなど皆無な体育会キャンパスライフを過ごし、いわゆる大手企業に無事就職した。時は2012年である。

就職して、歳を重ね、家庭を持ち、子供が産まれ、マイホームを持ち、勤め上げる。

そんな父親世代の働き方が、社会の当たり前として根強く残っていた。
私も会社で出世して、なんなら海外赴任なんかもして、そこの土俵で勝ち抜いてやるなんて思っていた。

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けれども、入社と同時に会社は大赤字となり、新聞を賑わす。

オフィスの蛍光灯は間引きされた。
カラーコピーは禁止された。
社長は5年で3人変わった。
リストラが断行された。

そうして、幸か不幸か「時代は変わったのだ」と入社1ヶ月目で気づいたのだった。

それからというもの、自立して生き抜くビジネススキルをつけねばと息巻いて、広告クリエイティブ領域を中心に転職活動をし、5年間勤めた大企業を辞め、渋谷のスタートアップへジョインする。

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そこでの環境は「働く」という言葉は同じといえど中身は全くの別物だった。今まで40〜50代のおじさん達としか仕事をしていなかったのに、20〜30代の仲間と毎日文化祭のように働くことが楽しく、そしてカルチャーショックだった。

4年間で新規事業を立ち上げ、クリエイティブ制作も事業作りも両方携わった。上場の喜びも同世代の仲間達と分かち合った。ビジネスパーソンとして鍛えられている実感が確かにそこにはあった。

けれども、どうだろう。
先日、身体から悲鳴を上げた。

「まだ行けるだろ」

体育会の自分が自分自身に叱咤するものの、ココロも正直だった。

「適応障害 抑うつ状態」

診断書にはそう書いてあった。
そして診断の翌日から今に至るまで休職をしている。

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こうして休職をしている今、なぜこのような状態になったのかをゆっくり身体を休めながら考えているが、「真面目すぎ、完璧主義、自己評価が低い」のような性格的な原因はもちろん、それ以外に気づきがあった。

それは「誰かが作った社会のルールや価値観という土俵の中でしか、自分の仕事をしていなかったこと」である。

「右肩上がりの成長が正義である。現状維持は後退」

「社会にインパクトを与えるために、二桁・三桁億を創らなければ事業としての価値は薄い」

「事業責任者として、PLを描き、戦略戦術を作り、そこにコミットして数字を作ることが絶対的な成果であり、それができることが成長」

「男は女よりも稼げるようになれ」

これがモチベーションになる人や正しいと思っている世代はいると思うし、その方々を否定はしない。けれど私はその「既存の価値観」に合わせるために自分が得意とすることや自分の価値観、自分の好きなことをいつしかアタッシュケースに詰め込み、鍵をかけてココロの押し入れにしまい込んでいた。

そうやって、既存の価値観やルールに乗っかって自分を殺した方が楽だったのだ。

そして、知らず知らずのうちに私は私を搾取して、倒れた。

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正直、まだ自分の中でこれからの生き方や働き方は模索中である。
ただ、今は、ただただ、自分を愛する方法を思い出すことに徹している。
自分が本当に心から好きだったことはなんだったのかを思い出そうとしている。
既存のルールや価値観に無理矢理合わして自分を搾取しない生き方を探している。

「搾取されるな」

担任の先生が書いた黒板の6文字が、10年以上経った今、自分に問いかけてくる。

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