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Who is Tsuboi? What is SUNDA?

インタビュアー: Oiz Saya

アフリカのウガンダという国で水問題を通して人権問題に挑む起業家の
株式会社Sunda Global Technologyの代表の坪井彩さんに聞いてみたかったことがありました。

なんでウガンダで起業したのか。なぜ超大手企業をやめたのか。儲かってるのか。なぜNPO法人ではなくて、株式法人なのか。いろいろな人に読んでほしい内容です。

【Youはなにしにウガンダへ】

− 坪井さんって、最初からウガンダ行こうって思っていたんですか。

坪井:全く思ってなかったですね。

−きっかけは、あったんですか?

坪井:大学卒業後、新卒でパナソニックに入って、本業とは別で、社内CSR部門の奥田さん(現Sunda広報部長)が企画していた社内ワークショップに2016年に参加したんです。
この社内ワークショップが、途上国の社会課題を解決するものだったんですけど、そうした海外の社会課題に触れたのと、ワークショップに来た同じ社内のとんがった人たちと一緒に活動することで、刺激を受けたのはありますね。このとき参加したときは、インドネシアがテーマとなっていました。

−そのインドネシアの活動のあと、ウガンダへ?

坪井:その前に一度、2017年に社内ワークショップがケニアだったので、ケニアをはさんでます。

− インドネシアからのアフリカって、結構な距離ありますよね。もともとアフリカは詳しかったとか、興味があったんですか?

坪井:ぜんぜん。人生で初めてgoogleで「アフリカ」って調べました。調べたことさえないワードでしたね、アフリカは。

− それでアフリカってなかなかならないですよね

坪井:その前の年に行ったインドネシアの社会課題解決が、自分的には自分した活動に納得できないというか、もっとやれたんじゃないかってところが沢山あって、まだこれじゃ終わるわけにはいかないな、と。実際、社会課題解決をビジネスとしてアプローチするという、存在に気付いたのもこの時で、これにすごく意義を感じて、何か自分でもやりたいと気持ちが芽生えたのもこの時だと思います。

− 仕事っていうかサークルみたいな感じありますね。パナソニックってなんか、すごい会社ですね。

坪井:ケニアのあと、田中くん(Sunda共同創業者・エンジニア)と事業計画やプレゼン資料を作って偉い人たちへのプレゼン発表して回ったんですが、いまいち響きませんでしたね。その時は確か遠隔医療について考えていました。WEBベースで調べた情報だけをもとにビジネスアイディアを組み立てていたのですが、結局、行ったこともない場所のことなんてはっきりと分からないので、遠いところでゴチャゴチャ言っても仕方ないと思ったのです。で、現場に行かないとダメだと思って翌年の2018年1月に青年海外協力隊でウガンダに来ました。

協力隊への出発する日に成田空港にて。


【SUNDAの発明】

− 2016年からの1年の変化がとても濃厚ですね。2018年のそこからSUNDAの起業が始まるんですね。

坪井:いやぁ、そこまでには色々あってですね。ウガンダからルワンダに旅行に行った時に知り合った日本人の方に紹介してもらって、モノづくりが好きな若手エンジニアが集まるファブラボに行ったんです。

− はい。

坪井:その頃には井戸が掘ったままにされて、維持管理されていないということに気づいていたので、使用量に応じた課金システムができれば、それで井戸の自律メンテナンスできるのになあ、ということだけはぼんやり思ってたんですね。それでファブラボでそのアイディアを話したところ、「そんなの簡単に1週間でできるよー」と現地のエンジニアに言われ、「それならやるしかない!」と作ることにしました。

− かなりトントン拍子だったんですね。

坪井:いや、結局できなくて。こんなに作るのに苦労するんだと知っていたら多分やらなかったと思うですけど、簡単にできると思ってやりはじめちゃったんです。

− 逆に怖いもの知らずが功を奏したというか。

坪井:功は全然奏してないんですよ。ウガンダに帰ってからエンジニアを探してSUNDAを作ることに。一人目のエンジニアが、そのウガンダの起業家が紹介してくれたサムソン(SUNDA Uganda共同創業者)で。今も、情熱的で努力家のサムソンと二人三脚で開発を進めています。そして、ソフトウェアと基板のエンジニアをサムソンの友達が助けてくれることになったんですけど、言うは易し、やるは難し。結局別の人を探してみるんですけど、同じ結果でした。お金と時間がどんどん無くなっていくという焦りはかなりありました。エンジニアにお金払っていたわけではないですし、実際は大したお金は使っていないのですが、先が見えない中で進み続けるというのは、なんて言ったらよいんでしょうか、良い言葉が見つからないですが、すごく「不安」でした。

− 計何人のエンジニアと活動したんですか。

坪井:計5人でしょうか。

− そこまで上手くいかないと普通やめると思うんですが。

坪井:もともと村の住民が井戸の修理のための料金回収をうまくできず、どうにもならずに困ってるところからスタートしていて、それを住民と一緒にどうするか考えて、"プリペイド式の従量課金型の料金回収システム" を作ることに決めました。それを開発することを住民に約束したので、住民はそれを待ってくれていました。約束した手間、途中でやめることはできないし、もし開発を諦めたらその村の住民が一生困り続けるだろうと思ったら、やっぱりやめられなかったです。

2018年の当時、村の住民と話し合っている様子。

最初に会ったサムソンはどんどん前に進めていってくれていましたし、私が協力隊の期間内にどうしても1台設置したかったんです。私がいる期間に1台も設置できなかったらそのままSUNDAの活動が終わっちゃうと危機感があり。次に繋げるためには、なんとしてでも完成させたいと思って、無我夢中でエンジニアを探して、助けてもらえないかお願いしていました。そんなのを5回ほど繰り返したら、最終的にアブドゥル(SUNDA Uganda共同創業者、エンジニア)に出会えたのです。それからクリスマスもお正月も徹夜を繰り返して、私がウガンダから日本への帰国日の10日前くらいにやっとで安定したモノ、初号機を設置しました。

− これが2018年、2019年の話ですね。プロトタイプができたら、あとはもう拡大していくだけですね

坪井:いや、もうここからが本当に大変で。「安定したモノ」と思ったんですが、私の帰国後もエラーが継続して発生してました。エラーが発生して井戸に行って修理しようとしても、いつも新しいエラーが見つかるんです。作業は進まないし、夜遅くにアブドゥルとサムソンがトラックの荷台で村からカンパラに帰ってくることもよくありました。この時は1台のSUNDAを維持するだけで、大変だったところ、今では150台も設置できていて、振り返るとすごいことだなと、アブドゥルとサムソンとそのころを笑い話として振り返ったりします。とはいえ、まだまだプロダクトの改善は必要で、まだまだ二人の苦労は続いています。笑

当時、サムソンが開発していたバルブとそのテスト用のセットアップ。

− まさかこんなことになるなんて、パナソニック入社当時には思いもしませんでしたよね。

坪井:まあ、こんなに大変なの分かってたら多分、やってなかったかもしれませんね。

− ファブラボの若手エンジニアに「こんなの1週間でできるよー」って甘く見たのが逆によかったというか

坪井:当時はウガンダ歴も短く、現地の方の話す文脈を理解しきれてなく、「1週間でできる」を真に受けてました。今思えばそれがよかったのですね…

【つづきます】

>>なぜ超大手企業をやめたのか。

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