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目指す形は変わったけれど
「将来の夢は医者」
小学校6年生の卒業文集に書いた将来の夢は、お医者さんになることだった。
家族の病気をきっかけに、その病気を治すお医者さんになりたいと強く思った私は、いろいろな人にそう話していた。
しかし、中学、高校と進学していくにつれて、努力や意識などが未熟なことを自覚し、進路を変更。医学部は無理だから、薬学部で薬を創ることにした。もちろん、そんな意識でできるはずもなく、目指した学部は不合格。
ぎりぎりで入った医学系の大学では、もともと目指していた「治したい病気を治す」という目標が達成できないことを入学したから知った。
どうしよう…。
勉強は楽しかったのに、なんのために勉強しているかわからない、この感じ。
結局私は、その大学を辞めてしまった。その時は、もう私には治せない。ずっと目標にしていた、病気を治すことが叶わないことに絶望した。
辞めてからしばらくはどうしたらいいかわからなかった。目標を失ったことと、生きていく指針だったものがなくなり、自分がどうしていくべきかを失ってしまったから。
考えて、考えて、やっと最近、考えが変わってきた。
私は、治すのではなくて、家族だからできることをしよう、と。
お医者さんのように治せることも、とても素晴らしいことだけど、私はたくさんの人を診るより、自分の周りの家族を大切にしたい。
何かあったら一番近くで助けて、支えて、話を聞いて。それって、家族の特権じゃない?近すぎると衝突しちゃうけど。
だから、祖母のところにもできるだけ通いたいし、家族との時間も大切にする。これを、私の「医者になる」という目標の叶え方にした。
目標達成の方法って1つじゃないし、最初とは形が違うけど、これが今の私の精一杯だな。
と言いつつ、今はその家族に支えてもらいっぱなしだけど。
きっと、このnoteを書いていることも、自分なりの目標の達成に繋がると信じて。例え、形は変わってもその過程も私のものだから。
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