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子どもとの関わり方に正解はない。子どもと共に探していくことが豊かな人間関係や子どもの能力を育む。

本当に子育ては難しい。

必要な関わりや、不要な関わりが子どもによって違う。
また成長する時期や成長するところが一人一人全く違う。


不登校の息子たちと長い時間過ごしてきて、どんな関わりが良いのかは本人と向き合い、試行錯誤しながら、彼らの気持ちを聞いていくしかないんだとわかった。


昔は親や大人が正しさを押しつけ、できないと罰する子育て

以前は大人の権威でコントロールしたり、教え導く子育てが主流だったように思う。
何が正しくて、今何をしたら良いのかを説伏せ、言うことを聞かせるやり方だったように感じる。

できないことや大人の言うことが聞けない時は「子どもがダメだ。問題だ。」と決めつける子育てだったと思う。

でもそのせいで自分は何か足りないとか、ダメだと信じ込み、苦しい大人をたくさん作り出してしまったのではないか。

周りの期待の応えなければいけないと思い込み

  • 無理して心身の健康を害する

  • 自分の価値観を表現できない

  • 空気を読み、合わせることで疲弊する

  • 人を信じることが難しい

  • 誰ともつながっていないと孤独を感じる

こんな風に感じて、辛い思いをしている大人がたくさんいるのではないか。

私はそうだった。

ありのままの自分を否定し、能力をつけ、正しいことをすることで自分を守ってきた。

でも虚しさや孤独を感じていた。
仕事で無理して頑張り続け、パニック障害になった。
一時良くなっていたのに、子育てから不登校になって酷いパニック障害で電車に乗られなくなっていた。

今少しずつ挑戦しているところ。

大人の側の正しさを押しつける子育ての弊害

自分の中に在る能力や関心、苦手なことなどを外の価値観で評価されたり、否定される。

自分の気持ちも、願いも抑圧され、周りの期待に応えるように教えられる。


そのせいで
自分は何か足りないとか、
ダメだと思い込み、自分を信じることができなくなってしまう。

だからありのまま自分を表現することが怖い。
自分の気持ちや願いから選択をすることが怖い。
挑戦も人とのつきあいも怖い。

怖いことだらけで警戒モードになり、疲弊する。

そんなことが溢れているのではないだろうか。

そして今の親たちは自分の苦しさから今までのやり方ではダメなんだと薄々気づいていて、自分たちの親とは違う子育てをしようと頑張っている人がとても多いと思う。

だけど正しいこと、良いことが在って、それに合わせることを教育されてきて、それを探してしまう。

そして上手くいかないと自分や子どもが問題だと感じてしまう。

そんなことが溢れているのではないか。

でも今私はそれは間違った受け止め方だと思っている。

正しさなんて一人一人違っていい。
誰かが決めた正しさはその人にとって都合が良いことでしかない。


子育ては親子の共同作業。共に作っていくもの。

でも本当は子育ては親と子どもの共同作業なのではないか。

それぞれが感じることを伝えて、受け取って、相談しながらやっていくものではないか。

そこで相手の気持ちと自分の気持ちを受け止め、何ができるのかを模索していく。

そもそも人との関係はそうやって作っていくものなのではないか。

本を読んだり講座を受講していろいろ学んだり、息子たちと対話をしてきてそんな風に思う。


お互いに大切にしたいこと、願い、得意や不得意がある。
それは表現しないとわからない。

だから対話をして、それぞれの感じていることを理解しあい、協力していく。

これが人間関係で大切なことではないか。

親子でそれを体験していくことは大人になってから人と助け合って生きるためにも大切なスキルになると思う。


親子で我慢するか押しつける関係ではなく、境界線を学んでいく

親子で気持ちを表現し、境界線を確認しながらどちらかが我慢し、どちらかが支配するような関係ではなく、お互いを満たす関わりを学ぶ。


その最初の関係が親子なのではないだろうか。


だから失敗なんてない。

ぶつかることも、意見や受け止め方が違うことも在っていいし、必要なんだ。

その時に何を感じて、何が足りないと思っていたのかを話し合い、お互いの感じ方や大切なことを理解していく貴重なことなのではないか。


相手が違えばやり方やお互いの満たし方が違う。

母と子、父と子でもそれぞれ話し合っていき、その違いを理解していくことも大事なのではないだろうか。


その中でもどうしても譲れないことはしっかりその気持ちを伝えていくことも子どもが違いや境界線を学ぶチャンスなのではないか。

そこで
①お互いに相手の気持ちや考えをまずしっかり聞いて受け止める
②一度自分の気持ちや価値観などと照らし合わせて考え直してみる


この作業を丁寧にしていくことを親がサポートして、支配する人、服従するか反抗する人という関係ではなくて、対等に話し合っていく人としての関係を築いていくことがとても大切なのではないか。


その大切さを教え、何度も体験できるようにサポートすることがとても大事だと思うようになった。

自分を知り、相手を知り、自分なりの判断ができる人になっていけるといいなと思う。

決まった正しさや良いことが在るという考えは、評価や否定を許す考え方だと思う。

でも人が人を評価し、否定するなんて本当にバカげてる。

誰も他の人のことを何にもわかってなんかいない。
子どものことだって同じだ。

それぞれが何を感じ、大切にして努力しているのか
その人の中にあるたくさんの魅力や能力

外からなんて見えていないからわかるわけがない。
それを誰かが決めた正しさでジャッジするなんて本当に意味ない。

人が自分を信じる力や能力をのびのび発揮する力を奪っているだけだと思う。


見えている言動さえもどんな気持ちや大切にしたいことがあり、どんな理由があるか聞いてみないと全くわからない。

だから聞いてみるしかない。
「それは何が大切だからやっているのか(またはやらないのか)?何を満たそうとしてやっているのか(またはやらないのか)?」


それぞれに大切で理にかなった理由がある。
またその人にとって大切にしたい願いがある。

それを理解してからでないと、何が良いことなのかは本当にわからないんだ。

だから子育てって難しい。

良い関わりを知るにはその場で時間はかかるし、成長にも時間がかかる。

でもその子のペースで学んでいくことがある。今も何か学んでいる。

今の学びや今後の成長を信じ、子どもが自己否定にならないように、自分を信じていけるように声かけをしていくことが大事なんだと思う。

子どもが自分の中にある良さや能力や関心に気づけるような関わりや問いかけをしていくことが大事なんだと思う。

対話でそれを親子で探していけると思う。


一人一人違うのだから関わり方は唯一の正しさがあるわけではない。

親子で共に探していくものなんだと思う。