表面的に見えている言動から解釈していることが人との関係を難しくしているかもしれない
相手の言動を勝手に解釈して、不満を感じたり、反対に自分がダメだったと考える。
どんな意図や気持ちが在るのかを聞かないことで私はずっと人間関係が難しかったり、分断になってしまうことも在ったんだと息子と向き合うようになってやっとわかった。
いつも相手の言動の理由を聞かずに勝手に推測していた。
私の感じ方、受け取り方、価値観で想像していた。
。
一人一人感じ方、受け取り方、価値観が全く違うから、聞いてみないと全くわからないのに。
なぜ分断になりやすいか。
次男と不穏な空気になったことで何が起きているかに気づいた。
話している途中に次男が不機嫌になった。
そこで私は自分の言葉が彼を不機嫌にさせたと感じて、振り返っていた。
そこで感じていたのは
傷つけてしまったかもしれないという怖れ
私の気持ちをわかってもらえない痛みと不満
そこで私はかなりの時間考え込んでいたと思う。
そして自分がどんどん感情的になっていたので、その場を離れた。
そこで自分の気持ちを丁寧に見て、それぞれに共感していった。
私の言葉が良くなかったとしたら不機嫌になるのではなくて、何が嫌だったのかを表現して欲しい。
それをせずに勝手に解釈して不機嫌になるのは信頼されていないようで悲しい。
勝手に解釈して、不機嫌になるだけで表現してくれなければ、私が大切にしたいことを表現できない。それではわかりあえないから嫌だ。
自分で受け取って、落ち着いてきたところで再度次男のところに行って何を感じていたのかを聞いてみた。
そこでわかったのは次男は私の言葉で自分を否定されていると感じて、自分のことを振り返っていた。
そこで私が黙ってしまったので自分が何かダメだったのかと感じていたと。
私たちはお互いに似たように否定されたとか、切り離されたと受け取って、考えていた。その状態を見て、更にお互いが否定された、切り離されたと感じていた。
そこで気づいた。私は気持ちや意見がぶつかる時、瞬時に自分の思考の中に迷い込む。
勝手に想像し、解釈し、そこから間違った感情がうまれている。
そこに私は居ないようになることで相手も私に切り離された、わかってもらえないと感じさせてしまう。
そこで相手の言動の真意をわかろうとして聞く必要があるんだとわかった。
私は相手の言動の根っこにある理由や気持ちや願いを聞くことをしないで、自分の思考で解釈し、対処していたことで人間関係を難しくしているとわかった。
そこでつながったことがある。
私が息子たちの不登校のことで、どう関わることが良いのか、正しいのかを考えている時。そこに私は居なくなっていること。
たぶん難しい顔をして、どうしたら良いかを考えてきた。
それが息子たちからすると怒っているとか、受け入れてもらえないと感じてきたのではないだろうかと。
息子たちに投げかけてみたら、やっぱりそんな風に受け取っていた。
何を考えているのかわからなくて不安だったと思う。
私はいつもこんな風に目の前の人と向き合ってこなかったんだ。
何をわかって欲しいのか。
何を大切にしたいのか。
何が無くて悲しいのか。
聞いてこなかった。
いつも自分の思考の中に逃げていたんだと思う。
そうやって向き合わずに、対処しようとしてきた。
自分のダメなところを振り返ったり、そこから感じる感情に翻弄されるばかりで、そういう場面で意図せずにいつも相手を切り離してた。
その根っこに母の不機嫌があったと思う。
なぜなのかわからず、
怖くて聞けず、
想像して対処してきた。
それが相手のことを聞けずに、勝手に解釈して対処することにつながっている。
これは私のずっとやってきたパターンだ。
私が人間関係でやってきた事なんだとやっとわかった。
だからわかり合うことが難しいんだ。
NVCの本を何度も読んでいくうちに私はいつも勝手に解釈してきたんだとなんとなく気づいてはいた。
でも次男とのやり取りでその残念さを痛感した。
腹落ちした。
次男とは何が起きていたのかを整理して、わたし達すぐ相手のことを慮って、そのせいでわかりあえないことになっているんだねと確かめ合った。
長男と三男は自分の気持ちを表現するので、違うパターンになる。
だからとてもわかりやすい。
たいてい私の言葉を押しつけられたとか、否定されたと感じた時は、感情的な言葉が返ってくる。
三男は切り離す(その場から居なくなったり、心を閉じる)こともある。癇癪になることも。
でも次男と私はお互いに勝手に解釈して、自分の内側で処理してしまう癖がある。
そのパターンに気づけたことがとても貴重だった。
NVCでは評価をまじえない観察をとても大事にしている。
でもわたし達は相手の言動を勝手に解釈し、評価していることがとても多いと思う。
空気を読む
察する
配慮する
気が利く
こんな風に相手を慮ることが良いことだと言われることが多い。
相手の気持ちを考えなさいという言葉もよく聞く。
そんなことが推奨され、教え込まれ、相手のことを勝手に想像したり、解釈することばかりが得意になってしまったのかもしれない。
でもネガティブなことや不快、否定と受け取った時、勝手な想像や解釈なのにそこから不満や怒り、悲しさや切り離された感覚を感じ、そこから次の言動を選択してしまう。
そしてそういう現実を創り出していってしまう。
ネガティブから続く道が出来てしまう。
それが衝突の原因になっているかもしれない。
でもそれがほとんど誤解かもしれない。
本当に表面的に見える言動からはわからない。
その人の受け取りから、どういう風に思考が流れるのかはわからない。
言葉だって真意はわからない。
なぜその言葉を言ったのか
何を感じて、何が大切にされていないと感じていたのか
相手の中に在る気持ちを丁寧に聞いてみないと本当に何も判断できないんだ。
わたしはNVCの本を読むまでそれに気づかなかった。
たくさんの誤解があったと思う。
そのせいでもっと理解しあえた人がいたと思う。
とても残念だし、悲しい。
母との関わりも全く違うものになっている。
そこで何を感じて、何を大切にしたいのかを問いかけられるようになった。
すぐ否定されていると受け取っていたことが母が怖いと感じることが私に起きて欲しくないと強く願っているんだとわかった。
人の反応や強い言葉も一瞬自分が否定されていると感じるけれど、もしかしたら自分が大切にしたいことをわかってもらいたいだけなのかもしれないと思えるようになってきた。
その視点からもう一度その言動を考えてみると相手の大切にしたいことが見えることも多くなってきた。
できるならもう一度聞くことが大事だと思う。
これができると体験してわかってきて、もう一段深く息子たちと対話できるようになってきたと感じる。
息子たちにもこのことを共有して、何かを感じた時にその言葉をどんな風に受け取ったのかを表現して、相手に確かめることができる。
大切なことは確認することが大事だねと話してる。
こんな体験から本当に表面的な言動で解釈してしまうのは勿体ないし、危険だと思う。
それは誤解かもしれない。
わかりたい、大切にしたいと思っていると表現して、もう少し深く聞いてみることは人間関係でとても大切なのではないかと思う。