有閑作家 aya

生きるとは? 使命とは? 幸せとは? 死とは? 生と死への自分の哲学を 少し鋭い切り…

有閑作家 aya

生きるとは? 使命とは? 幸せとは? 死とは? 生と死への自分の哲学を 少し鋭い切り口で 世の中に発信しています。 これから迎える多死社会 自分にとっての安心の輪を広げるために 大自然や精神世界からの気付きをお伝えします。

最近の記事

ワンネス

夜の帳が下りて尚、 地平線上に残る七色の陽光 それはまるで、白夜のようで その光を架け橋に 海と夜空と 光と星々とが融合する すべてが繋がっているという感覚 ワンネス 人も生き物も 海も空も 地球も宇宙も すべてが繋がっているという 絶対的な安心感 わたしはこのことを伝えていく

    • うちにこもって模索してきたことが現実化していく

      わたしはずっと オーストラリア(タスマニアとメルボルン) で暮らすことを夢見ている 初めて 一人で海外に行ったのも オーストラリアだったし ウルル(エアーズロック)が 先住民であるアボリジニに 返還されたのも わたしの誕生日だったし なにかと勝手に縁を感じている 初めて訪れる場所でも なぜか懐かしさを感じ すごくリラックスしながらも どこからこんなにエネルギーが湧いてくるのか!?というくらい勢力的に動き回り 帰国の途に着くときも ちょっと日本行ってくるわ と、さな

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      • 流されてはいけない、と誰が決めた?

        人間に バイオリズムがあるように 人生にも波がある 花は咲いた後 散る 散った花びらを見て この木は枯れた とは誰も思わない 来年も 時季がくれば 美しい花を咲かせてくれる と無意識に期待する 自然のリズムは 信じられるのに 自分のリズムを 信じられないのは 何故だろう 下がりっぱなしはない 上がりっぱなしもない 上がったり 下がったり うねうね ぴょこぴょこ 波乗りをしているのが 人生 なかなか波が来ないときは ただただ浮かんで 待っていればいい

        • 本当にやりたいことの見つけ方

          わたしって ほんとにゲスいなー ってことがわかった 自粛のまま GWに突入して 人ってこんなに寝れるんだ👀 ってくらい 昼まで寝たのに お昼寝したり… 家事しかやることがないのに 惣菜を買ってきたくなったり コロッケ屋さんお休みだった…ショック😭 怠惰道まっしぐらである🤪🤪 たぶん、わたしが 心からしたいことって なんにもしたくない これにつきるんだろうな… まあまあショックではあるが… 強いて言うなら ぼーっと海を眺めていること🌴 ぼーっとしてること

          人を愛することは人生の自立である

          自粛生活の中 旦那さんも残業禁止となり いつもより帰りが早い 普段、一緒に 食事を摂ることは稀なので なんだか正月休みのような 気分である 思えば 今年で15年の付き合い 交際期間が 人生の半分を超えるのも もう間も無くだろう 家族、友人からの 大変な反対を振り切って 結婚した2人であったが 今も良好な関係が続いているのは ひとえに 互いに相手を愛し "われわれ"として 人生を歩んでいくことを 決めていたからであろう 結婚式で両親に宛てた手紙に したためた

          人を愛することは人生の自立である

          セコセコせず、一服するとき

          引き寄せは わくわくのエネルギー を感じて 行動していくことで起こる みたいに言われていて 2年くらいそのことを信じて バタバタしてきたけど 最近 あれ? これって解釈が違うんじゃないか… と強烈に思った わくわくルンルン って、わたし的には ジェットコースターに 乗ってるようなイメージ ワーーー❗️キャーーーー‼️ たのしーーーーー!!!!!! そりゃ刹那的には かなりテンション上がるけど 毎日乗ってりゃ正直疲れる で、揺り戻しが起こって なにも

          セコセコせず、一服するとき

          "溶け合い"という和の力

          枕草子で知られる 清少納言は神だと思っている 季節の美しさを 日常レベルに落とし込んで あんなに的確に 言い表す人はいない もともと 日本人の心には 自然を生活の一部 として愛でる という感性が備わっている 借景などといって 自らと外界をつなぎ合わせる 外と溶け合う能力が ある 脅威に立ち向かい 排除するだけではなく 受け入れ、溶け合う 耳障りのいい言葉で言うと 共存する力 いいか、悪いか だけではなく いいね!か死ね! だけではなく 違いや恐れを感じ

          "溶け合い"という和の力

          わたしの死生観

          死に魅せられている こういう言い方をすると サイキックに 捉えられるかもしれない 小さい頃から 死というのは ずっとわたしの隣にいて やさしく見守ってくれる 存在だった わたしが本当にもう無理 ってなれば 救いの手を差し伸べてくれる と思っている だから 断崖絶壁の小道を やすやすと走って行けたし 大きなトラックが 鼻先スレスレを 疾走していったこともある 一緒にいる大人たちは それはそれは肝を冷やしたらしいが 当の本人は ケロっとしたものであった わたしに

          わたしの死生観