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うちにこもって模索してきたことが現実化していく

わたしはずっと
オーストラリア(タスマニアとメルボルン)
で暮らすことを夢見ている


初めて
一人で海外に行ったのも
オーストラリアだったし


ウルル(エアーズロック)が
先住民であるアボリジニに
返還されたのも
わたしの誕生日だったし

なにかと勝手に縁を感じている


初めて訪れる場所でも
なぜか懐かしさを感じ

すごくリラックスしながらも
どこからこんなにエネルギーが湧いてくるのか!?というくらい勢力的に動き回り

帰国の途に着くときも
ちょっと日本行ってくるわ
と、さながら故郷を後にするかのような
心境であることに驚く

単純に
食べ物、人柄、空気感といった
風土なりなんなりが
わたしに合っているのだろうが

あの
大自然と共存することがベースの価値観

にすっかり心奪われている


自然保護
と大仰に謳い

ウイルスを倒すと息巻き

まるで人間が
食物連鎖のヒエラルキーの
てっぺんにいるかのごとく
論じる人たちがいる

自然派、エコリスト、化学物質ゼロ

生活の利便さを否定してまで
極端なエコに走る人たちもいるし

安くて、便利で、時短が全て
刹那的な快楽に身を委ねることしか
しない人たちもいる

どちらにもそれぞれ
もっともな言い分はあるが


極端に走れば走るほど
対極も鋭さを増してくることを
忘れてはならない


極端な自論を語るためには
同じくらい極端に対極にある考えを
否定する必要があり

否定すればするほど
対極は攻撃性と勢いを増してくる

議論はますますヒートアップし
もはや結論を見出すというよりも
ただ戦うという状況を愉しんでいるだけ
のようにも見える


ものごとはすべて
陰陽のバランスで成り立っており

極端は反対側の極端をもって
中庸へと導かれる

目の敵にしているような
相手の存在が

実は、自分が中庸から外れている
度合いを読み解くサイン

だったりする

人間も自然界の、一生物に過ぎない


同じ太陽を眺め
空気を吸い、時を共有している


そのくらいの謙虚さは必要だろう


この中庸の原則は
万物すべてに当てはまり

願望にも同じことが言える

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