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たー坊をお腹に宿した時から私の頭の片隅にずーっと消えずにあったもの。

それは、保育園。

産休に入る前、私は今のキャリアコンサルティングの仕事が大好きで、生涯この仕事に関わっていきたいと思っていた。だから、たー坊の9月の予定日がくるまで、そして生まれたその瞬間までは、たー坊が生後半年になる4月にたー坊を保育園に入れて仕事復帰をしようと決めていた。

すでに旦那さんとも事前に相談して家事分担や当番も決めながら4月の保育園デビュー&仕事復帰に向けて準備万端だった。

でも、産後すぐにたー坊のドナドナ事件があり、緊急搬送先でダウン症の疑いありと言われ、生後1週間でダウン症だということがほぼほぼ確定した。

真っ暗などん底で「なぜ我が子はダウン症なのか・・」と心を乱しつつ、一方でそんなことはお構いなしにスクスクごきげんに日々成長を続ける我が家のアイドルと過ごしているうちに、だんだんと「生後半年で保育園に入れることが本当にたー坊にとってベストなのだろうか」という疑問が湧いてきた。

例によって、「保育園に入れると決めていただろ」、「お前のキャリアはどうなるんだ?」、「復帰しなければキャリアが頓挫するぞ、会社に居場所がなくなるぞ」という小悪魔と、「そんなことないわ。何よりたー坊にとって母親はあなた一人なのよ」、「今は子供を優先すべきよ」という天使が現れては、やいのやいの言ってくる。周りからも「仕事じゃなくて子育て優先すべき」論がこれでもかというくらいに飛んできた。

たー坊が生後3−4ヶ月くらいのとき、「ダウン症という現実を何とか受け入れなければ」という自分から自分へのプレッシャーと同じくらい、「たー坊と仕事のどちらをとるのか」という選択に日々悩んでいた。毎日出る答えは違ったりして、正解がわからないイライラや、仕事復帰できないと思うと焦りや不安もこみ上げてくる。そこにたー坊軸が加わって、「何が本人にとってベストなのか」誰も教えてくれないし、自分でもわからない。いろいろ大切にしたいことや守りたいものがぐちゃぐちゃに混ざり合ってグルグルと堂々巡りの日々を過ごしていた。

そんな中で転機となったのは、「療育」だった。療育をしても発達スピードは変わらないという人もいるけれど、ダウン症の有無に関係なく「人の可能性は無限大」という話を聞いて、療育にかけてみよう、と思った。もはや保育園はいつから・・なんてものに答えは到底出そうにない。それならば、一旦療育にどっぷりと浸かってやる、そう思った。

会社に相談したら、復帰を後ろ倒しすることを快諾してくれた。会社の代表がくれた「まず今目の前にある育児にどっぷり浸かりなさい」とアドバイスにハッとしてこれまでの迷いが驚くくらいスーっと消えていった。

迷いながらやるのではなくて、これだと決めてやる。「決める」と決めれば、目的が明確になる。そうすると行動もシンプルになる。そしてそこにきっと後悔はない。

ということで、現在も鋭意療育を継続中のたー坊さん。ダウン症児の中でも発達はかなーりゆっくりさんで、寝返りはできるけど、寝返り返りはもはやそのそぶりすら見えない。まだ自力でお座りもできないし、ズリバイも背ばいも全然な超スローでマイペースくん。セッカチ母としては、早く早くと気持ちは焦るのだけれど、如何せん本人がとにかくニッコニコでハッピーそうなので、もはや段々このスピード感に慣れてきつつある・・気がする。療育にどっぷり浸かったその成果は今はまだよくわからない。でも、素敵なPTの先生とのご縁があって、たー坊の強力なサポーターになっていただいた。生涯伴走してもらえたらと切に願うばかり。

そんなたー坊さん、ついに9月から保育園デビューが決定。生まれてからこの1年間、病院で1.5ヶ月親元を離れて過ごし、退院してからは療育漬けにされ、そしていよいよ保育園という大海原へと航海に出かけることに。

世で言う「保活」。想定以上にしんどくて、超絶大変。世の中のパパさんママさんがこんな大変だなんて想像もしていなかった。。9月というタイミングの悪さやコロナ禍であること、そしてもれなくついてくるダウン症という特徴がもしかしたら通常の「保活」よりも物事を複雑にしているのかもしれない。

保活については書いても書いても書ききれないのでまた別途。

【まさか自分が保育園に行くとは思っていない・・はず】

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