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乱歩殺人事件ー「悪霊」ふたたび

■ 感想

昭和8年、かつて横溝正史も編集長を務めた雑誌「新青年」で、暫く休養していた江戸川乱歩の本格的探偵小説が連載開始、しかも初の長編連載となれば否が応でも期待は膨らむ。編集部も歓びに沸き、連載開始を煽る予告文が毎月紙面を賑わせていた。

「今度こそ!いよいよ四月号から連載できさうである。」
「本号から連載予定の長編は遂に間に合はず。次号を待たれよ」

しかし次号にも乱歩の名前はなく

「いよいよ氏も重かったお尻をあげた。来月号誌上で多分吉報の予告をあげることができよう」

度重なる原稿の遅れに、いよいよ、いよいよと繰り返しながらも「多分」と少しだけ慎重になっているのがなんだか可愛らしい。しかし原稿は一向にあがあらず、延ばしに延ばした連載は最初の予告から丸1年を経て本当にいよいよ始まる。これがなんでもまるっとハラスメントな現代なら、載るぞ載るぞ詐欺の「ノルハラ」とでも言われそうで、或る意味豪快。

しかし、やっとのことでスタートした連載は三回目にして行き詰まり、休載となってしまう。気負いが頂点に達し、自信がどん底まで落ち込んだ乱歩は執筆が立ち行かなくなり、傑作となるはずだった「悪霊」は「作者としての無力を告白」する形で途絶したまま未完の作となった。犯人もトリックも謎がひとつも解かれないまま眠り続けた「悪霊」は、芦辺さんの筆によって90年の眠りから覚め、乱歩が込めた謎を全て解き明かし、なぜ「悪霊」が未完になったかにも迫っていく驚きと興奮に満ちた展開に、前のめりで没入していった。

物語は江戸川乱歩と思わしき人物が、執念深い訪問者から真っ赤な革表紙で閉じ合わせた部厚な二冊の手紙の束を売りつけられたことを端緒に、猟奇耽異な世界へと踏み出していく。その書翰集は、或る殺人事件の第一発見者である新聞記者の手で書かれたものだった。

有名心理学者たちの身辺で起こった不可解な連続殺人事件は密室、唯一の証拠品である奇妙な符号が書かれた紙片、心霊学会、時代錯誤な庇髪に矢絣の着物の娘、霊媒体質らしい視覚障害を持つ少女など、様々な要素が複雑に折り重なり、目の前の真実は欺瞞のベールに包まれていく。

美しい人が死に、同じ人の手にかかってまたひとり美しい人が死ぬと予言されたところで乱歩は筆を置いた。何もかもが宙に浮いたまま茫然とするしかないこの局面から、悪霊はふたたび重い腰をあげ、静かに陰鬱な幕を開ける。本のカバーを外すと「The Rampo MuderCase」と記されており、これは重要なヒントなのだろうかと頭の片隅に置いて読んでいたにも関わらず、結末までに幾度もの驚きがあり結局全て片隅から吹き飛んでしまうというへっぽこ探偵ぶり。

ラストは「現世は夢 夜の夢こそまこと」と寂しく乱歩が呟くような感慨があり、鬱々と美しい。スランプで苦悩する乱歩が身を潜めた「張ホテル」の幻想のベールに包まれた現世と異界の境界線は揺らぎ、時間軸ものたりのたりと揺れ惑うようで蠱惑的。

結末を知った上で最初から早速再読し、物語から立ち昇ってくる乱歩と芦辺さんの苦心や高鳴りをより深く感じたい。一旦鳴りを潜めた悪霊をふたたび目覚めさせ、乱歩自身をも蘇らせるように巻き込み、見事に昇華した会心のミステリ!

■ 漂流図書

■探偵小説四十年(覆刻版)|江戸川乱歩

乱歩の自伝的要素を含む、探偵小説史。函入りクロス装と意匠を凝らした装幀も素敵。

執筆を休み、身を隠すように過ごしていたとい「張ホテル」につての言及を読むのが楽しみ。

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