先人の知恵と現代テクノロジーをうまく使って、魂キラキラ「人生」を楽しむはなし
ズボラ式「新・ナチュラルライフ」を発信している、あやです。
最近、魂の煌めきについて考えるんです。
そしたらね、魂がキラキラしてない人、多いなーって気づいたんです。
と言う事で今回は、現代を生きる私たちの「魂の輝きが奪われた理由」と「魂が喜ぶ生き方」について書いてみますね。
良かったら、最後までよんでみてください。
さて、いきなりですが現代のテクノロジーって、いいですよね。
昭和の後半生まれとしては、戦後の日本のお父さんたち、本当に頑張ってくれたんだなって感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、いつの間にかテクノロジーが生み出す「時短」が重要、ラクすることが正義になっている感じがするんです。
私は個人事業主として、ビジネスや哲学などいろいろ学んできて「ユーザーの立場」と「企業の立場」を日々、体感しています。
ビジネスをされている方ならお馴染みですが、ビジネスの初期段階で重要とされているものの一つに「お客様の潜在的なニーズを調べる事」があります。
つまり、お客様が気付いていない「潜在的な問題」を見つけて、それを解決することが重要だってことなんですね。
もちろん、それはとても素晴らしい事。
ただ、それが行き過ぎてしまった結果が、今の社会なんじゃないかなーって感じるんです。
私が感じているのは、企業がユーザーの希望を叶えようと頑張った結果
「時短・ラク」が全てとなり、結果的に人としての本質的な「生きるという感覚」が奪われてしまったんじゃないか、ってこと。
ようは、ラクをするためお金で「時間と不健康」を買って「人間の尊厳」を失った感じ?
言い方、悪いですけどね。
あ、最初にお伝えしたいんですが、私は現代のテクノロジーを否定しません。恩恵も前向きに甘受してます。
ただ、気になるんです。
世の中の情報や常識が、偏ってることが。
そして、個人的にムカついてるんですね。
だから、ちょっと言葉遣い悪いけど、書いちゃいます。
さて、私ちちがラクな人生を手に入れる事で失った「人間の尊厳」とは何か。
昔の日本人には、万物の神に感謝し、万物に魂が宿っていることを感じながら、丁寧な暮らしをする感覚がありました。
ほら、昔の人は、物を大切に扱ってたでしょ。
私の祖母も、家財道具を修理しながら大切に使ってましたよ。
壊れたら、新しいのを買えばいいじゃん。っていう発想と真逆ですね。
でも、今はどうでしょう?
物を丁寧に扱うって感覚の、ありますか?
物理的なことではなく、感覚の話をするなら、
「時間に追われて生きる」のではなく「毎日の出来事を楽しみ、日常のひとつひとつに感謝する余裕」がある人生を、歩めているかどうかってことです。
時短でラクをしてるんだったら、時間に余裕があると思うでしょ。
本来なら、好きなことをする時間だって、確保できるはずなのにね。
でも、周りを見てみると、魂がキラキラしている人が少ない。
魂が、喜んだ生き方をしているとは思えないんです。
でね、現代人の魂がキラキラしてないのって、ラクや時短を重要視ししすぎて、反対に、生きてるって感覚を感じる余裕を奪われちゃったからなんじゃないかって思ったんですね。
例えば、食べ物を例にすると分かりやすいかな。
昔ながらの製法で丁寧に作られた料理や調味料、和菓子など。
グローバル社会の視点からすると「無駄」だと思われる工程が多い伝統的な食べ物は、口に含んだ時、特別な感じがしません?
それを、私ちちは特別な、贅沢品だと勘違いしてるんだと思うんです。
まぁ、和菓子は贅沢品だと思うけどね・・・(おっと、失礼しました)
ようは、贅沢品だと感じる特別な感覚
あれを食べてる時のように、日常の食事も特別に美味しいと思う感覚をもてるはずなのに。
特別は特別、日常は日常って思ってる人、多くないですか?
本当なら、毎日頂く食事も命を繋いでくれる大切なもので、美味しいものであるはず。
そして、命をいただいたいることを感じる余裕があるなら、食事の時間に感謝の気持ちが溢れ出て、魂が輝くんだけどね。
でも、今の人たちって、空腹を満たすために食べる。栄養補給のために食べる。
命を頂いている感覚を持たない人が多いなって、思うんですよね。
そうなってしまった理由の一つに、物も食事も「大切に作られた想いのこもったモノには大きなエネルギーが宿る」けど、安価にするため人工的にスピード命で作られたモノには、エネルギーが宿りづらいんじゃないかと・・・
だから、時短が当たり前になった現代、強いエネルギー、想いの込められた食事をする機会がなくなって、エネルギーを感じる感覚が生まれずらくなったんじゃないかな?
なんて思うんです。
私も、空腹を満たすためのインスタント食品をいただく時は、魂が喜ぶ感覚を感じないもの。
まぁ、魂が喜ぶ・喜ばないは感覚の話なので、もう少し具体的に言うなら
「はぁ〜、美味しい、幸せだぁ〜。ありがとう〜」
という安心感と感謝の思いが、五臓六腑に染み渡る感覚を食事の時に持てるか、持てないかの違い。
と言えばわかりやすいかな?
でもじゃあ、昔ながらの生活に戻せばないの?
って言ったら、それもどーかと思うわけ。
だって、時代が違うんだもの。
家事を、自分の手で全部やろうと思ったら、時間がかかりすぎて大変。
だから、現代のテクノロジーも必要に応じて、ありがたく使わせて貰えばいいと思うの。
そうすることで、時間に余裕が生まれるしね。
つまり、バランスが大切だってこと。
なんでもかんでも、時短やラクを軸にするのではなく、掃除が苦手なら掃除機やお掃除ロボットの力を借りればいい。
だけど、掃除機やお掃除ロボットでは難し箇所は、自分の手で丁寧に掃除をしてあげる。
人任せやロボット任せにしたお部屋と違って、自分の手を使ってキレイにする部屋は、本当に愛しい場所に変わるから。
料理だってそう。
大切に育てられたオーガニックや自然栽培の野菜は、味が濃くて特別なことをしなくても美味しいから、余計な調味料を使わなくても美味しい料理が作れちゃう。
無駄な買い物が減って、料理の時間も「時短でラク」になるという特典つき(料理が嫌いじゃない人に限られるけど)
つまり、私が冒頭に書いた「偏ってるって感じてムカつく」のは、「時短」や「ラク」を追求した結果、魂が喜ぶ「生きるという感覚」を奪われたと感じる現状のことなんです。
心理学は発達していて、私たちの消費行動は洗脳という形でコントロールされてるの。
それが、現代の社会の構図を作っていて、魂が輝かない生き方をしている人を増やしてしまったんじゃないかって感じて悔しい。
だから私は、「丁寧な暮らし」という生き方は、ズボラでも簡単に出来るってことを伝えていきたいし、
現代のテクノロジーの力を借りても、魂が輝く生き方はできるんだよーってことを、伝えていきたい。
これは、経験したことある人しか分からないんだけど、人生が根本から変わるものなので、本当にオススメ。
もし、魂が輝く生き方に興味があるなら、参考にしてみてください。
このnoteでは「食事、美容、健康、お金、恋愛」をテーマに、人生を豊かにするナチュラルライフについて綴ってます。
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