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土ってなあに?

「ねえねえ、おかあさん!」

庭に花の苗を植えている私の横にしゃがんで、私の真似事をしながらスコップで土を掘り返していた娘が、何かを見つけたのか急に大きな声を出す。

「どうしたの?」

娘に顔を向けると、娘は瞳を輝かせて私を見上げていた。

「土って何でできてるの?」

娘の小さな手に握られたスコップには、土がこんもりと乗っていた。

「え? 土?」

改めてそう聞かれると、なんと答えて良いのか、私もその答えを知らなかった。
私が生まれ育った生家はマンション住まいだったから、プランターの土はお店でいつも購入していたからだ。

「土って、地球に元からあるものなんじゃないのかしら? おかあさんにもよく分からないわ。」

「ふうん。じゃあ、今夜おとうさんに聞いてみようっと!」

娘は、スコップに乗せていた土を、丸く掘った穴の中にバサっと埋め戻した。

「じゃあ、地球さんに返しておくね!」

スコップの背でぽんぽんと地面を軽くたたく娘の姿を見ながら、私はたった今植えた花の周りにある、ふかふかの土をそっと触ってみた。
当たり前のようにある土。お店で買える土。
何でできているのかなんて、今まで意識することもなく生きてきていた。


「あっ!!! おとうさん帰ってきた!」

夕食を食卓に並べていると、突然娘が立ち上がってバタバタと玄関に走っていく。
娘のいきなりの行動に私がびっくりしている間に、玄関の扉が開く音がした。


          ⁑


「ただいま。……っと!」

いつものように玄関の鍵を開け、扉を開くと娘がすごい勢いで中から飛び出してきて俺に抱きついた。

「おとうさん!! 土ってなにでできてるの?!?!?!」

突然の衝撃に耐えて踏ん張る俺の身体を更に揺さぶりながら、娘は嬉しそうに大きな声を出す。今の衝撃で、頭を軽く玄関の扉にぶつけてちょっと痛い。

「え、ちょっと、取り敢えずおとうさんを部屋に入れてくれないかな。」
「うん、いいよ!」

元気いっぱいに頷く娘に笑いかけつつ、まずは体勢を整えて、俺の身体に蝉のようにしがみついてくる娘を抱き上げるとなんとか居間に連れて入った。

食卓には作りたての食事が並んでいた。
娘を座らせると洗面所で手と顔を洗う。顔を上げた先には、鏡に映る少しくたびれた男の顔があった。

「おまたせ。で、どうしたの?」

居間に戻ると、娘は上機嫌に身体を揺すってニコニコしていた。
そんな娘の様子を、妻も楽しそうに眺めている。
俺の問いに、娘はニコニコしながらもう一度同じ言葉を口にする。

「ねえねえ、土って何でできてるの?」

娘は好奇心いっぱいに、瞳を輝かせながら俺を見つめている。近くにいる妻を見ると妻もまったく同じ瞳で俺を見つめていた。

「土は……堆肥でできてるんじゃなかったかな。あ、堆肥っていうのは枯れた葉っぱとかのことだよ。ウチの庭にも木や草が生えているよね。その葉っぱや枝が地面に落ちて、枯れて粉々になって微生物に分解されて土になっていくんだ。」

娘は、じっと俺の顔を見つめながら興味津々に話を聞いている。妻も同じ表情をしていることにちょっと吹き出しそうになりながら、話を続ける。

「その微生物も死骸になって分解されて土になるし、昆虫とかの小さな生き物も死骸になって分解されて土になるよ。」
「じゃあ、じゃあ、いっぱい昆虫が死んで葉っぱも落ちて、土はどんどん増えるんじゃないの?どんどん地面はたくさんになっていくの?」

娘のその問いに、俺ははたと考えた。
そういえば、毎年大量の落ち葉が地面を覆うけれど、時間が経つほど庭が盛り上がって困るということにはなっていない。

「微生物が分解するから、枯れ葉も死骸も小さくなるから大丈夫なんじゃないかな。」

「小さくなっても、増えるよね?」

「うーん、でもウチの庭はそんなに土が増えているわけでもないからなあ。」

俺が困って言い淀むと、傍で聞いていた妻が俺を見ながらふと口を開いた。

「じゃあ、木や草の根っこが養分を吸うから減っちゃうのかしら。」

「そうか!!!」

妻の言葉を聞いた娘は、突然大はしゃぎでテーブルをぽんぽんと叩く。

「減って増えるから、量が変わらないってことかぁ!」

娘は嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせながら、大きな声でそう言って笑った。
そんな娘の姿を見て、自然に俺と妻も嬉しくなってお互いに微笑みながら顔を見合わせた。
娘は、俺と妻の顔を交互に見上げながら嬉しそうに言葉を重ねた。

「土って、木や草や生き物の死骸でできてるってことでしょ。」
「そして、その死骸が微生物に分解されて栄養に変わって。」
「また、木や草がその栄養を吸って。」
「動物も木や草を食べて死骸になって。」
「おおおおおおお!!! すごいんだね~!」

「で、おとうさん。微生物ってなあに?」

俺は今度は、再び期待に目を輝かせた娘に、微生物の説明をはじめていた。



             ⁑



「今日は勉強になったわ。私も土のこと、なんにも知らなかったもの。」

娘を寝かしつけた後、私は居間で夫と二人ソファに座っていた。

「学校で、食物連鎖について習った事はあったけどね。まさか、土を切り口にしてくるなんて思わなかったなあ。」

夫は上機嫌に笑っている。
娘の謎が解けて、大喜びしている姿を見るのは親としてもとても嬉しいものだ。きっと夫も同じ気持ちだったのだろう。
しばらくして、夫がぽつりと言った。

「植物が土から養分を吸い上げて、枯れて土に戻る。」
「死骸になることと、食べて生きることって、実際は同じようなことなのかもしれないな。」

「え?」

「生きることと死ぬこと。その循環の中に俺たちは居るってことをさ。」
「今日、俺たちのもとに生まれてきてくれた娘に、改めて教えられたってことだよな。」

夫は、とても満足そうに私を見つめて笑っていた。
その笑顔は先ほど、疑問が解けて喜んでいた娘の笑顔ととても似ていて。

そんな笑顔を眺めている私の表情もきっと、ふたりと似ているのだろうなとそう思っていた。


終わり