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生きる世界観を選ぶこと

この世界を生きるって、とてもとても奥深い。


幼い私が心の奥底に自分で深く埋めた、宝物のような悲しみがあった。


その悲しみは、表現を変えれば

愛の表現の勘違い

その連鎖が起きていた。
それだけだった。




愛を伝えようとするとき。
その方法を外から学べば、途端に間違う。

そんなサドンデスみたいな世界に生きている。



そして、愛という冠を頭に乗せて、人はいろんなことをしようとする。

その1つが、

正義=愛

という勘違い。


私は進撃の巨人が大好きなのだけど。

この漫画の世界には、人間の普遍のテーマが盛り沢山に入っていて、その奥深さに何度も何度も心を震わせられる。

正しさを愛だと信じた。

誰かから与えられた、誰かにとって都合の良い内容を、正義だと思いこむ。

そして、誰かを傷つけていく。

正義をベースに生きている限り、悲しみの連鎖は止まらない。

その連鎖を止めるのは、
それまで信じていた正義とは、
真逆のことだったりもするのだ。


毎月、遊びに行くお話し会がある。
今月は、人との繋がりについてだそうで。
ここの言語は難しい。

日本語で話しているから、字面は理解できるけれど、言葉の奥に織り込まれた"核心"は、言語では掴めない。

厄介なのは、なまじ日本語は分かるから、伝わってるような気になって聞いてしまっていたこと。

真髄まで伝わりながら聞いていた訳ではないことに、途中から気づいて愕然とした(笑)

あるとき、急に

(✽ ゚д゚ ✽)あの話はそういうことか

となるのだが、私の大好きな進撃の巨人もある時ふと、仕掛けられた伏線に気がつくことがある。


心のからくり道場テーマ
人と繋がるって何?
自分と相手を「信頼」することは
気に入らないものを排除するわけでもなく
自分が我慢するわけでもない世界


人と繋がるって何? って、なんだろ?

テーマを聞いたとき、そう思った。

ナズルワンで、
「絆は大事よ」
「手を取り合って助け合いましょう」
なんて意味合いのことを言う訳がない。


よくわからないまま置いといて、このお話し会で1年ほど前に知り合った親友との常時ミーティング(笑)中に、ふいに私にとっての答えが出た。
それが、先日書いたこのお話だ。


奴隷頭と手負いのうさぎ|あやりん|note
それは、苦労を乗り越えて名声を手に入れることかもしれない。 または、解脱して特別で素晴らしい私になることかもしれない。 そうして手に入れた「私」を、他の誰かと比べては、誰かよりはマシなのだと確認して安堵する。


ありのままの〜

なんてフレーズが流行ったけれど、本当の自分自身のありのままを理解してる人は、どのくらい居るのだろう。

奴隷を束ねて褒めてもらえる奴隷頭や、我が身を守るために敢えて手負いになって見せてくるウサギをやろうとしている間は、人との繋がりに歪みが出る。

人と繋がっていくときに大切なのは、
自分に何か余分なものを乗せていないだろうか。
なにか不自然なものを纏っていないだろうか。
ということだ。

奴隷頭と手負いのウサギは引き合う。

だけど、そんな繋がりは果たして楽しめるのか。


私と親友の関係は去年の春先から始まったから、まだ1年も経っていないけれど、本当にたくさんの会話を重ねた。

それまで、やりたいけど出来なかったことを、ひとつひとつ実現しながら。

今どう感じているのか。

何を握り締めているのか。

同じ部分もあれば、真反対の部分もあって、そんなことを包み隠さずさらけ出して打ち明けて、泣いたり笑ったり絶望したり復活したり。

そこには、何を打ち明けても大丈夫だという、相手への不思議な信頼があり。

お互いに、相手が気づかないうちに乗せている余計なものに気がついて、

こんなものが乗ってるんじゃない?

って、伝えあって過ごしてきた。


そんな日々を過ごしたからこそわかる。
誰かと繋がることは、とても大切な宝物だ。
ただし、余計なものを取り払う覚悟とともに。

そして、日本語とかそういう次元ではない意味合いでの、同じ言語が話せる相手と繋がること。

ナズルワンでは、レイヤーという言葉を多用する。

世界観を共有する仲間、的なニュアンスだと受け止めているけれど、以前はナズルワンのレイヤーは何かとても素晴らしい感じで、そことレイヤーが違う自分はダメなんだと落ち込んでいたこともあった。

でも、レイヤーとは単に、本当に世界観のちがいのことで、イタリア語が話せるイタリア人は良くて、フランス語が話せるフランス人はダメ何てことは無いのと同じなんだろうなと思った。

こんな世界観を持つ。

それは個人個人の趣味嗜好が違うのと同じ。

カレーが好きな人も、ハンバーグが好きな人も、お茶漬けが好きな人も、バナナが好きな人も、その違いに落ち込むべき理由が無いように。

そして、バナナの話で盛り上がりたければ、バナナが好きな人たちと繋がれば楽しい。

ハンバーグ好きな人たちの輪の中で、バナナのほうが美味しいとヒステリーを起こすからおかしな事になる。

ハンバーグに興味を持ったら始めて、ハンバーグ好きな人たちの話を聞きに行ったらいい。


テーマを見て、そんなところまで思いを巡らせる私は、間違いなく妄想族のレイヤーに居るのかな。

なんて思ったり(*´ω`*)


去年親友と出会えなかったら、ふたりでお喋りという名の心のミーティングを重ねなければ、きっと未だたどり着けなかった境地なんだろうなと思う。


だから、自分が何かと繋がる選択をするとき。

誰と繋がるのか。
どんなところと繋がりたいと思うのか。が、
なによりも大切だと、そう思った。






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