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チャイニーズのおばちゃん

もう数年前のことだけど、雨が降るこの時期になるとよく思い出すチャイニーズのおばちゃんとのエピソードがある。

まだその頃の私は車を運転しなかったので、郊外にある家とダウンタウンにある職場の行き来にバスと電車を乗り継いでいた。

その日は雨が降っていて、帰り道の途中でスーパーに寄った。

どの国にもチャイナタウンというものがある。

私の住むエリアはチャイナタウンではないのにチャイニーズの移民が非常に多い地域で、私のロシア人の友達は「中国の中のカナダタウン」と呼んだほど、ここはカナダではなくて中国ではなかろうかと思うくらいに道行く人はチャイニーズが多いし、中国語の看板やお店や広告がたくさんある。

調和を重んじて人目を気にする日本人な私は彼らに何度も驚かされた。

・列に並ばない。

・当たり前のように中国語で道行く私に話しかける。

・ウィンカーを出さずに平気で曲がってくる。

・公衆トイレの使い方がひどい。

世界中で華僑、華人が非常に発達したのはこの自分を貫く心意気のおかげだと私は思ったりもする。

立ち寄ったスーパーでトイレに行くと、黒人のお掃除のおばちゃんがため息交じりに「彼らは流さないからねー!」とブツブツ言っていた。

”彼ら”というのはもちろんチャイニーズの人を指しているのだ。

お掃除ありがとうと伝えて買い物をして、ビニール袋を3つか4つ持って外に出た。

まだ雨はしとしとと降っている。

バス停まで来た。誰もいなくて、一人屋根の下で待った。

どこからかチャイニーズのおばちゃんがやってきて私の隣に並んだ。

トイレの出来事のあとで、何となく目を合わせずにやれやれみたいな顔をしていたと思う。

彼女が中国語で何か言い始めた。

電話しているのか、ひとり言なのか。。

しらっとしていると、そのうち肩を叩かれた。

そちらを向くと、私に話しかけていた。もちろん中国語で。

「私、中国語わからないです。」

と英語で伝えたが、お構いなしに何か言い続ける。

「やだー何なのこの人。めんどくさー」と心の中で思っていた。

彼女が雨で濡れた地面にひかれた新聞紙を指しながら何か言う。

私のビニール袋を指す。そして新聞紙を指す。

・・・・え?

「その荷物重いやろ、新聞紙引いたったからここに置いたらえぇ。」

と言っているようだった。

バス停の隣にあった中国語の無料ローカル紙の入った箱からさらに新聞紙を取り出しもう一レイヤー引いてくれる。

ビニール袋をその上に置いた。

おばちゃんは私にとびきりの笑顔を向けて満足そうにした。

その瞬間、自分が恥ずかしく思えた。

あぁ、カナダに来てすぐの頃、つたない英語で何か伝えてわかってくれた時のあの喜び、

同じく英語のままならない留学生とジェスチャーを入れて伝え合って一緒に水族館を回った時のこと、

言葉は違えど通じ合った時の喜びとあの高揚感を思い出して、あぁそうだ、だから私は英語を話したくて、もっとあの感覚を味わいたくて、カナダに来たんだ。


日本人は思ったことを言わないからpassive aggressiveだと言われる。

チャイニーズはまわりを気にしなさ過ぎて呆れられる。

そんな私たちはカナダ人を忍耐力がなくて怠け者が多いという。

移民の多いカナダでも差別はあるし、どこかでみんな自分のバックグラウンド(どこで、どんな文化で育ったか)を気にしているし、それによる偏見もまだまだ根付いていると思う。

でも、やっぱり人間はそれだけじゃない。

話して分かり合った時の喜びは優にそんな気持ちを超えるのだ。


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