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完璧な人はいないという話の欠点

「この世界に完璧な人はいないから大丈夫」という言葉は、落ち込みやすい人なら誰でも一度はかけられたことがあるのではないだろうか。

私はこの言葉を聞くと辟易としてしまう。

完璧な人はいないから少しくらいの失敗は大丈夫、とかそういうことなんだろうとは思うけれど、この言葉で立ち直れる人はある前提を満たしている気がする。

確かに、すべての人から好かれるような人はいないし、いいところだけで構成されている人はいない。
どんな人間にも欠点は存在する。
しかし、その比率は人によって異なる。

長所:短所=7:3くらいの人なら、「完璧な人はいないから大丈夫理論」は大いに勇気づけられるだろうし、まわりも納得してくれるだろう。
それがどうだろう。
長所:短所=3:7の場合だとそうはならないんではないだろうか。
 
私のような人間は圧倒的に後者なので、「完璧な人はいないから大丈夫理論」を振りかざされると余計に短所の割合が増えたような気がして落ち着かなくなる。

もちろん、そういう言葉をかけてくれる人は悪意もなければ他意もない。
完全に受け手である私の問題である。

とはいえ、「完璧な人はいないから大丈夫理論」は、3:7だった長所と短所の比率が2:8になったのではないかと私に思わせるなにかがある。

そもそも、私の長所と短所の比率が3:7なのか自体不確かなことである。
本当は7:3なのかもしれないし、はたまた1:9なのかもしれない。
それは本当にわからないのだが、少なくとも私が見ている私は短所の方が多いわけである。
もっとひどい言い方をすると、欠陥品では無いかとすら思えてくる時がある。

機械であれば返品交換ができるが、人生ともなると返品先はないし交換もできやしない。
欠陥品のまま、完全に壊れて動かなくなるまで寿命を全うしなければならない。

もし私が欠陥品であれば、なるべく人様にご迷惑をおかけしないように生きていきたいとは思っている。
もしくは早めに壊れる方がいいかもしれない。

話は逸れたが、基本的に「完璧な人はいないから大丈夫理論」で立ち直れる人は長所の比率が短所より高いと自認しているという前提が働いている気がする。
短所の比率が高い自認があると、比率が増えて長所の比率を食いつぶすのではないかという不安に怯えてしまうのではないだろうか。

それともそう思っているのは私だけなのだろうか。

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