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自分が好きなこと、大切なことに、ちゃんと心動かされていたい

27歳のとき、私は、お下がりの大きなバックパックを背負って、世界一周ひとり旅に出た。

その中で、日本にいるとすぐカチコチになってしまう私の頭を、ゆるめてくれる思い出が、アテネにはある。


すでに何カ国か回り、その年の9月、ギリシャの首都アテネに到着した。

そして、何となく嫌な予感がしていたのだが、到着早々それが的中した。
予約したホテルの窓口で、
「あなたの予約は入っていないし、それに、今日は満室だよ」と言われたのだ。

受付の人が、英語が堪能でない私に分かるよう、ゆっくりと丁寧に伝えてくれただけ、ありがたいことだったのだろう。
しかし、女ひとり旅である。ギリシャ人は皆が想像するようなイメージそのもので、すれ違うギリシャ人は皆いかにもガタイがよく、情熱的で強靭な雰囲気を醸し出していた。たとえ一晩でも、野宿というわけにはいかない。
何とか近くにあるホテルを紹介してもらい、地図の苦手な私がしつこくカウンターに聞いていると、後ろから声が。


「案内しましょうか。」


日本語しゃべる人発見!どうやら、彼が泊まっているホテルの近くらしい。
やったー!困ったときの日本人!神!


ひとり旅は、決して独りじゃない。数カ国を回ってそれは実感していた。
バックパックを背負って地図を広げていると、見知らぬ旅人の私に、「どこに行きたいの?」と声をかけてくれる人は、たくさんいた。初めは、何か下心が?変なところ連れて行かれたらどうしよう?と疑ったし、まぁ中には悪い人もいるのだろうけど、多くの人は全くの善意だった。旅人には親切にという自然な空気が、世界にはあるようだ。


というわけで、直感で大丈夫、と思えたこの人にも、素直に甘えることにした。
しかし、行ってみると、紹介されたホテルは、貧乏旅行の私にはとても贅沢すぎる。すると彼が、「近くにユースホステルがあるよ。」と連れて行ってくれ、そして無事そこに泊まれることになった。


私の宿が決まると、彼は安心したように、
「じゃあ、いい旅を。」
と言って、行ってしまった。



部屋に荷物を置き、ひと休憩。
日本とは全く違う景色、風土の異国の地。乾燥した空気もいろんな意味でアツいこの空気感も、これがギリシャなのか。


周りを散歩でもしようと思い、ユースホステルを出ると、レストランやおみやげ屋さんの並ぶ通りで、偶然にもさっきの彼に再会した。
ちょうどお腹も空いていたので、カフェにふらっと入り、一緒にご飯を食べた。


名前は、ケン。


「会社の休みでアテネにきて、日本にはないエレキギターの部品や画集を探してるんだ。」と話してくれた。
日系アメリカ人のケンは、どことなくなまりのある言葉で、それがなんだか、やわらかくて心地よかった。栗色のふわふわの髪と、透き通った肌のきれいな顔立ちをしていた。めんどくさい男性のしつこさも、よくある日本人の、ちょっと仲良くなったら「メール教えて」と言うようなことも、お世辞のような親しさも、ケンには微塵もなかった。爽やかな風のような人だなと思った。


私は、世界一周をしていること、ひとり旅は初めてだということ、これまで旅した国がどんなだったかとか、これから先は、イギリス、ヨルダン、カナダ、イースター島に行く予定だと話した。

他愛のない話をしながら、小さいお店が立ち並ぶところを、ふらふらと見て回った。だんだんと昼間の灼熱のような日差しは和らぎ、夕暮れに照らされた石畳と遠くに見える土肌の山が景色の中で際立ってきて、ここはギリシャなんだということを思わせる。

夕暮れは情熱の国らしい真っ赤な夕焼けで、でもケンが隣にいるからか、ひだまりのような柔らかい雰囲気もそこにはあった。


ケンと私は、初めからお互い、旅に対する感覚が、少し似ているような気がした。私たちはどんな偶然か、同じ時にこのアテネの地を旅していて、今日この時間にたまたま同じ通りを歩いている。日本にいたら交差しなかった、旅の中だからこそ、あまりにも自然に分かち合っている時間。お互い旅の良さのその部分を、言葉にせずとも知っているような、そんな。


別れ際、ケンからひとつだけ、お願いがあった。
「いいこと思いついた!イースター島から絵ハガキをだして。」


それだけを約束して、握手して、別れた。何だか不思議な、夢を見ているような時間。旅の中では、そんな時間がふいにやってきて、またやってきたときと同じように、自然に去っていく。



偶然泊まることになったそのユースホステルは、狭い部屋に2段ベッドが2つ、男女相室の4人部屋だった。

30代くらいの裸の大将みたいな日本人は、今度アテネの学校に入学するからと、家を探しにきたらしい。「ギリシャ語わかんないし、今日も話が進まなかった~」と言いながら、毎日歩きまわって帰ってくる。

チリから来たというおばさんは、バックパック身体こるー!と言いながら、毎日ユースの狭いベッドの上でストレッチしていた。私が今月末にイースター島に行くと話したら、とても喜んでくれた。

カナダ人の女の子は、おしゃべり好きみたいで、英語のできない私にも気さくに話しかけてくれた。カナダでもユースに泊まる予定だと行ったら、割り引券をくれた。


この狭いユースの一室の中でさえ、色々な旅の目的があって、色々な人生があふれていて、この空間に、私は気づけばものすごく魅了されていた。




街を歩くと、様々な光景が目に焼きついた。
片足がなく、もう片方の足は巨大に膨れ上がった太った物乞いに、アコーディオンをひく女性がまゆをひそめていた。数秒後、女は太った物乞いのそばに行き、アコーディオンをひき始めた。
市場の魚の匂い。
皮をはがれ、そのままつり下げられた鶏。
太い出刃で、大きな肉をたたき切る市場の人たちがいた。



アテネを発つ前の晩。
同室のチリのおばさんに、明日発つことを伝えると、「元気でね」という表情で、ハグしてくれた。
なんだか涙が出そうだった。
同室だった2日間、特に何を話したわけでもなかったのに。すれ違うとき、ハーイ!と挨拶をし、ただお互いに、「行ってきます」と、「おかえり」を言うだけ。おばさんが、チリからアテネに何をしにきたのかも知らない。

なのに、この気持ちは何だろう。何でこんなに温かい気持ちになるんだろう。

昨日仲良くした人が、次の日には旅立っている。そのベッドには、また新しい人が入ってくる。
ここでは、みんな分かってる。旅が一期一会なんだということを。




出発当日は、8:15の飛行機に乗った。ユースホステルを出発したときは、まだ外は暗く、星が出ていた。
こんな時間にだれもいないだろうと思っていたら、ロンリープラネットを片手に、宿を探す外国人が何人か道を歩いている。
旅の終わりと始まりが、石畳の上で交差する。がらんとした街の中で、スーツケースをひく音だけが響く。
まだ朝日の上らない肌寒い道をひとり、ガムの吐き捨てられた石畳の上を歩きながら、私はギリシャでの旅に思いを馳せていた。


思うのはいつも同じ。
やっぱり
やっぱり、旅が好きだなぁってこと。




空港についたら、なぜかケンがいた。


なんで?
聞いていた予定からすると、もうケンは、日本に発ってるはずなのに。
どうやら、昨日の飛行機が航空会社の都合で飛ばず、エアポートホテルで一泊して、フライトを待つことになったらしい。


偶然にまた出会った私たちは、カフェで一緒にドーナッツとマフィンを食べた。
相変わらず、どこか不思議な空気感のあるケン。
ギリシャに2週間もいたのに、パルテノン神殿にも行かず、ただ、日本にはないエレキギターの部品や、画集やレコードを、ひたすら見て過ごしていたらしい。“レコード” という響きすら、ひさしぶりに聞いた。
テレビとインターネットはないけどレコードプレイヤーはある、という東京荻窪の一室で、ケンはどんな暮らしをしているのだろう。

私の荷物を見てびっくりしていた。私は大きなバックパックに、小さいけれどスーツケースをガラガラ引っ張っていたから。


「ケンの荷物は?スーツケース?バックパックだけ?」
「ううん、俺、リュック。あと、財布と本。」


「え、それだけなの?」
「うん。・・・時計、いいね。」

「え?時計ももってないの?」
「うん、もってない。」


私とケンは空港で別れ、私は、世界一周最後に訪れたイースター島から、ケンにモアイの絵ハガキを送った。




旅は、人生に似ていると思う。
考え方、感じ方次第で、いかようにも変わる。

小さなリュックと、財布と本だけを持って、旅をしていたケン。

私は、そんなケンをいいなぁと思いながらも、今でも相変わらず頭はカチコチで、持ち物が多く、何かを計画しては日々、“must”に追いかけられている。

持ち物が多くなると、それを持ち歩かなければならなくなる。管理するためには、そのための時間が必要になる。
あれこれ計画を立てることも、時にはもちろん必要だ。けれど、計画をこなすことに躍起になると、自分の感性が犠牲になっていく。「自分はこれだけの事を考えている!」と得意気に胸を張るその姿の裏に、自分の感性を置き去りにしてはいないか。片肘を張っている人は、自分が肩肘張っていることに、なかなか気がつかない。

自分が好きなこと、大切なことに、最近私はちゃんと心動かされているだろうか。自分の持ち物に埋もれて、かたくなっていないだろうか。

「もっと身軽に、もっとナチュラルに、旅そのもの、生きることそのものを楽しめばいいよ。」

カチコチになった自分に、そう言ってあげるとき、その確かなイメージが私の中にあることは、幸せなことだ。



思い馳せるのは、ひとりで旅に出た時の、あのアテネでの不思議な出会い。

もうあれから10年もたったのに、今さらになって、ケンを思い出す。

あのナチュラルな栗色の髪と、片手に持った小さな単行本を。



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