そこに“品”はあるか
noteの記事は下手なビジネス書を読むよりよっぽど良質の情報が得られると思っていて、定期的に色々なテーマで読むようにしている。
あまりSNSの使い方がうまくはないのだが、一応一通りアカウントは持っている中で、情報の質・量ともに一番好きかつ有益と感じているのがこのnoteだ。
そんな中、ある記事を読んだ後に、
ふと某メディアの記事がリコメンド機能で出てきた。
あくまで個人的な意見ではありながら、
「あー、このメディアnoteに進出してきてるんだ...」って思うアカウントがあり。
FacebookとかInstagramとかで、おかしな広告が出てきてげんなりする瞬間あると思う、あの感じだ。なんとなく、それをnoteで感じてしまったのが、残念だった。
で、ちらっとそのアカウントを見てみたら、そのメディア本体(紙・WEBともにある)の記事の転載のようだったのだが、過激な見出しにギリギリの写真。やっぱりちょっとげんなりしてしまった。
この「げんなり」の正体って何だろうと考えた時に、
一言で言うとそこに「品がない」ってことだと思って。
「品がない」=「汚い」とか「下ネタ過剰」とかそういうことだけじゃない。
ここで言う「品」とは
・気持ち、誠意、想い
・マナー
・配慮
・美意識
・ポリシー
みたいな、色々意味を内包している。
言い方を変えると、相手にどのように映るか、どう伝わるか、という視点だ。
当人が意識しているか否かに関わらず、そのアウトプットの仕方によって、その品位がにじみ出てしまう。
ネットの記事であれば過度に不安をあおったり、事実と違うことを書いたり
(私は昨今のメディアやSNSに溢れる「煽り」表現がとても苦手だ)。
本質的ではない、「ひとまず注目させろ」という考えが透けて見えるのは、やっぱり品がない。
noteの記事の話をあげたけれど、
仕事でもイベント運営でもなんでもそうだよなあ。
一見そう見えないとしても、実は相手のことよりも、自身の目先のメリットを優先させている、というケースはよくある。
ただ存在だけで注目させるには相応の時間と質が必要なので、結果が出るまでつい小手先のやり方に走ってしまうけど、そのフェーズを品を保ちながらどう表現して、維持していくか。
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とはいいつつ(noteの話に戻ると)、そういう記事ってつい見てしまったりするんだけど、、やっぱりたいてい時間の無駄になるもんね。
1ユーザーとして、noteは今のまま、住人が住みやすい場所であってほしい。
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