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無駄の巧妙

サスティナブルな社会というキーワードでは
世の中にあるあらゆる無駄をなくそう!
資源を有効活用しよう!
そんなわけで
今までのノーマルをニューノーマルにしようなんて
そんな活動が活発パンパンになっている。

農家さんが作ってくれた人参
主にヒューマンが食べるのは
皮を剥いたアノ部分であるが
アノ部分はなんと言うのだろうか。
人参は土の中になるが
あのオレンジの部分は実なのか根っこなのか。

まぁいいや
上の方についている葉っぱの部分や
皮の部分を利活用したり
万が一ゴミとして残ってしまっても
それがまた肥料となって
新しい人参の栄養となったりとか。

ザッツサスティナブル!
作り手の想いが大切に伝わっていく
そういった取り組みが
ミスターセンクスは大チュキである。

そんな中で人間はサスティナブルな方向に向かうか
そういったヘンテコなことを考え出した。

その結果ミスターセンクス は
無駄の巧妙っちゅーもんがあると
怪我の巧妙ではないが
無駄によって得られるものがあるのではないかと
そんなことを思っているのである。

無駄を省けばきっとゴールに最速で辿り着くであろう
無駄を許容すればゴールへの道は遠くなる。
これは山登りのルートに似ている。

最速ルートを1つだけ知っている人間と
色々なルートを知っている人。

どちらも魅力的な人間であるが
ミスターセンクスは後者の人間に魅力を感じる。
なぜならば飽き性だからである。

最短ルートを知りながらも
別のルートを楽しむ事ができる
そういった人間になりたい。

無駄がないことを合理と言うのであれば
無駄の許容は非合理である。

無駄な人間
じゃなくて
無駄を許容する人間は
合理の代わりに非合理な幅を得る事ができる。

人間活動における非合理とは幅を得る事だ。

エルトンジョンソン!

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