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ロシアからきた万年筆

万年筆が好きになって5年。
国際文通をはじめて2年。

ペン先から染み出すインクに言葉を乗せて世界中に手紙を出してきた。

社会人になってそれなりのお金も稼げるようになって、自分がうっとりする万年筆をボーナスのたびに一本一本迎え入れてきた。

それぞれにかけがえのない思い入れはあるものの、私にとって唯一無二の存在感を放ち続ける万年筆がある。

それは遥か北の国、ロシアからやってきた万年筆。
魔法が使える不思議な万年筆。

今日はそんな私の秘密兵器の話をしたいと思う。

どうしてその話を今日するのかというと、今日がその万年筆が私の家にやってきてちょうど一年記念日だからである。

社会人一年目、配属された部署で激烈なパワハラを受けた私。
丁寧に丁寧に、荷物の緩衝材に使うプチプチを潰すようにして自信や自分の大切にしていること、自尊心を潰されていく毎日の中で、
私の心はバラバラに壊れて、ゾンビのような顔をして会社に通っていた。

ボサボサになった髪の毛、
ストレスで荒れに荒れた肌、
太ってしまった体。

自分の何もかもが大嫌いになっていく私を見て、
仲の良い先輩が私の知らないところで奔走してくれて、
7月の人事異動直前に私は部長陣との面談の場を持ち、
その結果別の上司のもとで働くことになった。


2021年6月終盤。

新卒から1年と3ヶ月。
辞めるか辞めないかで悩みに悩んだけど、

苦労して苦労して死に物狂いになって内定を勝ち取った大手企業をなんで私が辞めないといけないんだ、

という意地と、

なんの職歴もつけないまま華やかな大阪の街から九州の田舎へ帰ってしまったら、私は一生華やかな道には戻れないだろうという恐怖心

の二つに追い立てられてとにかくがむしゃらに耐えてきた。
石の上にも3年という言葉を胸に、3年は耐えるつもりでやってきたのに。

いきなりの終戦宣言に、部長面談の後文字通り私は膝から崩れ落ちた。

ふらふらと倉庫にたどり着き、ポロポロと泣いた。

家に帰ってまずやったことは、
部屋中のジャンクフードやスナック菓子を捨てた。
積み上がっていた飲み差しのペットボトルの中身を洗い場に流してそのペットボトルも捨てた。

流しに溜まっていた洗い物と詰まっていたゴミをカビキラーで落とした。

一年間。

決まった時間になんとか会社に行くだけで精一杯で、完全に自分のことをほったらかして、
何もかもがめちゃくちゃだったことを自覚した。

ゴミ袋を一つ捨てるたびに自分が失ってしまったもののかけらが戻ってくる気がした。

そして、その週。

いつも土日といえば死んだように眠って終わるのだが、心が騒いで寝ることもできず梅田の街に繰り出すことにした。

いつも通過する梅田で降りて、
地下街に入るとその人混みに酔った。

休日の梅田は人々の幸せな喧騒に満ちていた。

文通相手に、異動のことを知らせたくて。
海の向こうにいる仲間たちに、私の地獄の終焉を共に喜んで欲しくて。

美しいカードを探して歩いた。
一番綺麗なカードに私の一番嬉しいニュースを載せたかったのだ。

都会の幸せな喧騒は一歩踏み出すごとに私にエネルギーを与えて、私は普段は足を伸ばさない少し遠くの書店にも足を伸ばすことにした。

その書店の2階にある、
NAGASAWA文具センターというお店で、
私はその万年筆にであった。

ショーウィンドウのなかでギラギラと輝き、
その文具屋さんを通り過ぎようとした私の足を止めさせた。

万年筆には元々興味があった。
カクノという千円くらいの万年筆も使ったことがあった。

それでも、凄く書きやすくて、
私が一万円を超えるような万年筆を手に取るのは遠い遠い未来のことになると漠然と思っていた。

ギラギラと万年筆から反射している光が私の虹彩に届き、その万年筆と目が合ったような気持ちになった。

店内には今日に限ってお客がいない。
ランチタイムとぶつかったからだろうか。

店内で万年筆を磨いているお兄さんに声をかけた。

「すいません。あのショーウィンドウに飾ってるキラキラした万年筆…」

「ああ、はい。
どうぞこちらへ。店内にはもっとありますよ。」

高そうな文房具を売っているお店だ。

いつも素通りしていたお店に、
一歩一歩入っていくことだけでも大冒険の心持ちだ。

「今ちょうどフェアをやってるんですよ。
モスクワ、ロシアのブランドでBENUというんです。一つ一つ手作りなので同じ柄のものはありません。ラメの入り方も一つも同じものはないですから、気になるものがあればケースからお出しするのでゆっくり選んでください」

お兄さんの言葉も夢現。
頭の中では、このケースの中のもの全部持って帰りたいと叫んでいた。

遠慮も忘れて、何本も何本も出してもらって試し書きまでさせてもらった。

なんともいえない重みがあって、
初めてこんな高い万年筆を手に取って緊張しながらも、
私はいつの間にか自分が、「ちょっと見たい」から「買おう!」に変わっていることに気づかなかった。

いろんなものを書かせてもらう中で、
一本。

手から離れなくなった。


「それは、グランドセプターというシリーズで。
形状やデザインが魔法の杖をイメージして作られてるんですよ」

「魔法の杖ですか…」

なんて素敵なんだろう。

「それにこれは、昼の間に光を蓄えて、
夜になると光るんですよ」

お兄さんはそう言って、私の手から万年筆を取ると店の戸棚を開けて暗い中に放り込んだ万年筆を見せてくれた。

とうとうと青い光を見事に放つそれは、
おとぎ話の中の洞窟に封印された魔法の杖みたいな。
ラピュタの洞窟の中の無数の飛行石の原石のようになんともワクワクさせる輝きを放った。

カップラーメン、コンビニ弁当。
ペットボトル飲料。
カバンの中にはゴミがたくさん。
ボサボサになった髪の毛。

今週水曜までは午前9時に会社に辿り着き、繰り返される暴言と無視に耐え続けるしかない私の生活。

それなのに今休日に高級文具店で万年筆を選んでいる。

その事実にすごくワクワクしてすごく嬉しかった。

真っ青なラインが美しいピカピカの紙袋に、
魔法の杖とブルーのインクの瓶を詰めて店内を出た。

2万円。
社会人になって自分のために買った初めての贅沢品だった。

書き味とか、ニブの太さとか何にもその頃は知らなかった。
知ろうともせずに、
このデザイン全振りの贅沢品を自分の金で買うことで、私は昨日までのパワハラに怯えてボロボロになった自分から抜け出す最初の一歩が欲しかったんだと思う。

この万年筆のペン先から染み出すブルーのインクで紡がれる言葉は私だけのものだ。

誰にも奪われない私のもので、
それがどんなにくだらない言葉でも全てに価値を持つ。

だってこの万年筆は魔法の杖。
魔法が使えるんだから。

その日から魔法の杖は私の最高の相棒になった。

その後、他の万年筆が家に来ても、
毎日優しく私を見守ってくれて、夜にはいつも青い光で机上を照らした。

私はそれから立て続けにBENUの万年筆を買った。

新しく届く仲間たちもいつでも私の脳天を撃ち抜く美しさだった。

いつか、
モスクワに行ってこの美しい万年筆を作った人たちに会いたい。

日本で買えないデザインのペンも直接手に取って買いたい。

そんな思いでロシア語にまで手を出してしまった。
アルファベット、簡単な文法。
ロシア人のペンパルにはいつもロシアの万年筆のことを書いた。

ロシア語を勉強してることも書いた。

少しずつロシアに近づいて、
このコロナが終わればモスクワ行きの航空券を買って、覚えた少しのロシア語でBENUの本店に辿り着いて。。

そんなことを考えていたが、
その夢は戦車に轢き潰されてしまった。

Instagramのロシア人の友人たちは、
盛んに「Нет войне!」と戦争反対の言葉を書いた。

でも、言論弾圧が凄まじくなり何も言えなくなっていった。

私はロシアにポストカードも手紙も送れなくなった。

そして、ある日ロシアからこんなポストカードが届いた。

「私はあなたに強くお願いしたい。
多くの日本人に、ここにいる人々は今のこの恐怖に対して反対していることを伝えてほしい。

私は、ただいつか世界が私たちの国がしてしまったことを許してくれる日が訪れることを祈ってる。

本当に申し訳ないと思ってる。」


3月22日の消印。


言論弾圧が日に日に激しくなるロシア国内で、
言葉を選びながらそれでも自分の言葉を世界に向けて送り出すその勇気に眩暈がした。

彼女の言葉も彼女だけのものなのだ。

私は彼女に返信のEメールを送った。
自分がロシアの万年筆が大好きでいつかモスクワの本店に買いに行くことを夢見ていること。
そのために少しのロシア語を勉強していることを丁寧に書いた。


そしてこの記事を書く数日前にBENUは本部をアメリカに移した。

BENUのブランドアカウントでは最後まで大胆に戦争反対を訴えていた。

(BENUのインスタグラムの写真はどれもため息が出るほど美しいのでよかったら見てみてください!)

私は、暫く心の整理がつかなかったけど。
結局は今も毎日魔法の杖を手に取ってあらゆる言葉を世界に向けて書いては送り書いては送り。

ロシアからきた万年筆達でキリル文字を練習して、書き連ねている。

魔法の杖が私の家にやってきて一年間で
本当に私は変わり、3本の万年筆達の故郷も変わってしまった。

それでも今私はあのゾンビ状態から抜け出し、
やっと自分を取り戻せた。

傍にはいつも魔法の杖があった。

故郷はロシア。
氷の国からやってきた万年筆達。

キラキラ光って、誰がどう見ても不要不急、贅沢品の極みのような存在だけど、それでいい。
むしろそれがいい。

私が人間性を取り戻していった奇跡を描いた魔法の杖。

いつまでも無駄にギラギラしていてくれ。

今日のお話は、私のちょっと異端なファースト万年筆のお話。

この万年筆が世界平和の魔法をかける日の到来を信じて今日はおしまい。

おやすみなさい。

来週もがんばりましょう。

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