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幸せの格差は、想像力の格差(#連載86)

▼前回のnote記事



【教育者の卵】自分を知る授業.026

突然ですが、質問です。

上の画像を「あなたの大切なパートナー、あるいはあなたの両親が作ってくれたある日の晩御飯」だと思ってみてください。直感的にどう感じましたか?


Aはうどん。

Bは定食。


うどんが好きな人は、Aを見てテンションが上がるでしょうし、うどんが嫌いな人は「微妙だなぁ…」と思うでしょう。品目が多いBの定食を見て「作るのに時間がかかってるだろうなぁ」と思う人もいるかもしれません。

いろんな価値観があり、好き嫌いがあるのでる読んでいる人によって様々な感想や意見があると思いますが、、、この画像を見てパートナーや両親が実際に料理を作っている姿は浮かんだでしょうか?

料理を作る前には、スーパーに買い物に行ってくれているかもしれません。夏だと火にかけたフライパンのようなアスファルトを歩きながら滝のような汗を流しているだろうし、冬は体を震わせながら出かけている。

スーパーでは、買い物カゴを持ちながら「あの食材はどこにあるんだろう?」と探して必要な食材を1つ1つカゴに入れている。

買い物に行く前には、「今夜は何を作ろうかなぁ?何が喜ぶかなぁ」とレシピを考えているでしょう。



ぼくは学生時代は、母に晩御飯を作ってもらっていました。

食卓の上にある料理を見て、「美味しそうだな」とか「まずそうだな」と思っていましたし、時には「なんで唐揚げじゃないの」とか「カレーが良かった」と言っていました。

ひどい時は、「なんでこんな晩御飯なの?カップラーメン食べたい」と平気で言ったりしていました。


母はぼくの予備校や専門学校の学費を稼ぐためカラオケスナックを経営していて、身なりも工藤静香のように前髪を立たせてしっかりしていました。お酒の仕入れや準備も忙しいのに、晩御飯の用意をしなかったことはありませんでした。

それなのに、ぼくは母の優しさを全く受け取れていなかったのです。

先ほど言っていたように、調理中の姿やスーパーでの買い物、往復の姿を想像できる力があれば「忙しい中ご飯作ってくれてありがとう」という言葉が出ていたのではないかと思います。


母は毎日毎日「プレゼント」を贈ってくれていたのです。でも、ぼくはそれを当たり前だと思っていて、「プレゼント」を受け取りきれてなかったのです。


「プレゼント」は贈る側の人がどれだけ「これが良いかなぁ」と悩んだり考えたり時間やお金を使っていても、受け取る側の想像力がないとそのうちの何分の1しか「プレゼント」は届いていないのです。


今、この瞬間もぼくたちは、身近な人以外にもいろんな人たちから「プレゼント」をもらっていますが、受け取れているでしょうか。

例えば、ぼくは元公務員ですが、当時はクレーム担当の部署で働いてい他ので、

「それぐらいやって当たり前や」
「早くせいや!」
「この税金泥棒!」
「誰のおかげで飯くえとんねん!」

と言われることもありました。


▼公務員時代のエピソードを綴ったnote


「仕事だから・・・どれだけ言われても我慢だ」

と耐えながらも、正直モチベーションはすごく下がりました。


「なんで朝から晩まで働いて文句を言われないといけないんだ」

と思ったこともあります。(先日も、スーパーのレジでイライラしたお客さんに怒鳴られているレジ担当の方を見ると当時の事を思い出したりもしました)


「これだけやっても感謝されないのか…」となると、「プレゼント」を贈るパワーは落ちました。


でも、「ありがとう」と言われたらモチベーションがアップしたのです。つまり「プレゼント」を贈るエネルギーがアップして、声も表情も明るくなるし、

「住んでいる人たちのために何か頑張りたいな」

と思えたこともあります。



このコロナ禍でも、SNSで、

「早く10万円よこせ!」
「もう1回|毎月よこせ!」

という投稿をよく見かけます。


でも、ぼくの友人や後輩の公務員は、その10万円の給付金や事業主への給付金を支払うための事務をしながら通常業務をおこなっていました。帰るのが遅くなって生まれたばかりの子どもはすでに寝ている。そして朝起きて子どもの寝顔を見てまた出社。。。裏ではそんな事情があるのだと、教えてもらいました。


「もしかしたらこの人にも大変な事情があるんじゃないか?」
「生活を犠牲にして頑張ってくれてるんじゃないか?」

と想像ができると、優しい言葉が出てくるんじゃないのかなと、ぼくは思います。


見えてないだけで、聞こえてないだけで、実は「プレゼント」は実はすぐ近くにあるのではないでしょうか。「もらって当たり前」ではなく、「ありがたいな」と噛み締められるかは自分の想像力次第なのです。


もう母は亡くなっているので、あの頃どんな気持ちでご飯を作ってくれていたのかなと思っても、聞くこともできません。


「人はなくなってから気づく」と言いますが、「物の豊かさの時代」から「心の豊かさの時代」になった今だからこそ、「ある間」に気づける力、想像力を持って生きていけるかが、最も重要なことではないかと、ぼくは思います。



2020年12月6日

ハル



▼自己紹介・水樹ハルの人生ストーリー



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▼連載:第1話


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・公務員を辞めてフリーランスとして生きる上での在り方のお話 ・ライティングや、仏教哲学、心理・脳科学に関するお話 ・人生のゴール「チャレンジを応援しあえる世界の実現」を応援できる ・まだ世には出せない話、ハルの心の中の考えを知れる

ストーリー制作専門のWebライター、カウンセラーとして、「チャレンジを応援しあえる世界」を実現することを目指す、水樹ハルのnoteマガジン…

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