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選択と集中、そして分散と集中 (127/365)

「選択と集中」という言葉をよく聞きます。収益性の高い事業に経営資源を集中する。逆に収益性の低い事業からは撤退することも辞さない。そんな意味だと思います。

経営の効率化の観点からは、正当性がありますが、研究開発や事業開発の局面では、本質を見ずに「選択と集中」を適用することは致命傷になりかねません。

何故でしょうか?

技術や事業にはライフサイクルがあるからです。つまり時間軸です。事業が確立し市場環境が定量的に分析可能な局面では、「選択と集中」は重要な戦略です。これは、ライフサイクルの終盤での視点です。

一方、ライフサイクルの序盤では、製品特性も市場環境もまだ定まらず、可能性とリスクが混在している段階です。この段階で、明確な「選択と集中」を実施することは難しいですし、将来の可能性を失うこともあります。

ましてや、研究開発の段階は、事業的には序盤ですらなく、その前段階です。技術経営の観点からは、必要なとき必要な基盤技術の準備ができていることが重要ですが、この段階で技術開発の「選択と集中」を実施することは不可能です。

つまり、「選択と集中」は諸刃の剣であり、乱用は危険です。未来を見通せる超能力でもない限り。

私は、日本の技術産業の衰退の一因は研究所の衰退にあると考えています。

現在の技術産業は、シリコンバレーを中心とした、オープンイノベーション、スタートアップエコシステムを抜きにして語ることはできません。一方で、大企業の研究所の果たすべき機能が見直されるべき局面に差し掛かっていると見ています。

なぜなら、例えば半導体や量子コンピュータなど、基盤技術の研究開発をスタートアップで実行するのには困難が伴うからです。投資家は10年待ってくれることは稀で、このような基盤技術にたかだか3年の期限で投資する場合もあると言います。

これでは、安定した研究基盤を支えることはできません。スタートアップのM&Aを含めて、大企業の研究所の果たすべき役割があるはずです。

私は以前NECの中央研究所に在籍していました。80年代、90年代前半の研究所にはキラ星のような研究者が多く在籍し、今見返しても可能性のある研究が多くありました。しかし、2000年頃のネットバブル崩壊をきっかけに、研究所運営に、

ROI
そして
選択と集中

が持ち込まれ、研究所の勢いは衰退していき、優秀な研究者の流出が止まりませんでした。NECの件は一例にすぎず、同様のことが日本中で起きていたと思います。技術立国日本の失われた30年は、金融、経済、だけでなく、研究開発の衰退も大きな要因と考えます。

NECの話に戻りますが、NECはすばらしいコーポレートスローガンを持っていました。

そして、素晴らしい研究所を運営していました。これは、単に景気がよかったから自由にできたという類のものではなく、企業研究所の本質を探究した幹部、それを支えた研究企画チームがあったからです。

そのポリシーは、

選択と集中

ではなく、

分散・集中・分散

というもので、研究の要素分解、事業の理解、時間軸、地域軸、研究と事業の距離感、について深く洞察した、「基幹技術プログラム」と呼ばれる研究開発の経営方針でした。

分散と集中の研究開発マネジメント ー基幹技衛プログラムー
植之原 道行氏
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsrpim/7/1/7_KJ00002350700/_pdf/-char/ja

(タイトル画像は上記論文からの引用です)

バブル期は確かに金融を頂点として日本中の産業界が浮かれていたと思いますが、それ以前の経済基盤を作った人々は、思考実験を繰り返し、しっかりとした経営戦略を打ち立てていたのです。

本質的なことに目を向け、あきらめずに探究を続けることをやめてはいけません。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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