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ベトナム、カンボジアがくれた勇気

私は海外に行くのが好きだ。中でもカンボジアやベトナムがお気に入り。
ヨーロッパにもいったことはあるが、東南アジアの方が楽しかったのだ。

そもそも東京から淡路島へのホームレス移住を決断できたのも、
東南アジアでの経験があったからだ。
(詳しくはこちらをご覧ください↓)

▼東南アジアの良さ

23歳で初めて海外に行ったのだが、行ってよかった点がある。
それは、自分は「何にテンションが上がるのか」がわかったということだ。

ヨーロッパは確かに街並みも綺麗だし、美人も多く楽しかった。
しかし、先進国の文化を感じ日本とのギャップをあまり感じることができなかった。

それに引き換え東南アジアは、道路からお店から交通ルールから全てが自分の常識をはみ出してくる。衝撃の大きさこそ私の求めているものだと知ることが出来たのだ。

中でもカンボジアのトゥクトゥクは格別だった。日本でも少しづつトゥクトゥクは出回ってきたが、カンボジアのそれとは違う。あのオンボロさがたまらなくテンションが上がるのだ。

カンボジアでAirbnbで泊まった家のお風呂はお湯が出なかったし、家の外で野良犬に絡まれた。200円程で買った現地のズボンはその日に破れた。最高すぎるではないか。

仲良くなった人達は金銭的には貧しく、病気になっても病院に連れていく交通費がないというのだ。それでもとても楽しそうに前を向いて生きている彼らを見ていると、色々と考えさせられることがあった。

旅の中で印象に残っている2つのエピソードを紹介していく。

▼おばあさんの夢

村一番の陽気なお婆さんは1度だけ人前で涙を流したという。
おばあさんには日本に行きたいという夢があった。
そしてその夢の為に一生かけてカンボジアの中ではかなりの大金を貯めたのだそうだ。しかし、その額では日本への片道の交通費にもならないと知り、崩れ落ちてしまったのだという。

その時の私は貯金など一歳なく、ノリでクレジットカードを切ってカンボジアに向かった。逆におばあさんは一生かけても日本に来ることはできなかった。

▼高速バスのカンボジア人

カンボジアからベトナムへ高速バスで移動していた時の出来事。
海外は治安が悪いという印象があったため、私は隣に座っているカンボジア人を警戒していた。

すると彼は、「どうして日本は戦後に経済成長ができたのか?」と熱心に流暢な英語を使って私に聞いてきた。当時の私は、ほとんど英語で話すことはできなかった為、大した答えも出来ずに会話は終わった。

高速バスが停留所に着いた。私はルールが分からなかった為バスに留まっていた。
すると隣の彼は、私の分の肉まんを買って手渡してくれたのだ。

勝手に相手を警戒して、英語も話せない私と、
見ず知らずの私に親切にしてくれ、努力して英語を覚えた彼。

日本より学習機会が少ないであろうカンボジア人の彼の優しさと努力を思うと考えさせられた。

▼日本で生まれたと言う事

この旅を通していかに恵まれた国で育って来たかを感じた。

だからこそ、自分のやりたいように精一杯生きることが日本に生まれた責任だと。くよくよネガティブに生きてはダメだと肝に銘じた。

一度きりの人生、冒険しようとホームレス移住に至ったのもこの旅の影響は大いにある。

このような経験ができた東南アジアで仕事を作って拠点を持ち貢献したいという夢が私の中に生まれた。
しかし、ホームレス移住時は次いつ海外に行けるのか分からないほど何も持っていなかった。

それが今年、淡路島3年目にしてついに仕事でベトナムに行くことが出来たのだ。
業務提携をしている神戸の企業さんがベトナムでも事業をしていて、出張扱いでお仕事をいただくことが出来たのだ。

淡路島へ移住後、始めは苦しい事もあったため、このチャンスは感慨深いものがあった。
そしてこれをきっかけに自分でもベトナムで会社を作るイメージができた。

今一緒に仕事をしている仲間たちを東南アジアに連れていく事も確定したし、
今後増えていく仲間も社員研修として一度は訪れてもらえるようにしようと思っている。

それくらいインパクトの強かった東南アジアに進出する準備をこれからも続けていく。

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