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ムスメが不登校になった 4 カウンセラーへの相談

わたし自身、ムスメが学校へ行かないというプランは
まったく想定もしておらず、

実際は不安でいっぱいでした。

自分のムスメという一人の人格を
わたしの言動や思い込みひとつで
だめにしてしまうかもしれない、

というプレッシャーで押し潰されそうでした。

ひとは、自分の経験をもとに
困難に対処するものかと思いますが、
わたしの過去の経験のなかには
この件に対処するノウハウは持っていませんでした。
不安でいっぱいでした。

そんな心細いわたしを、わたしたちを
助けてくれた人は、たくさんいました。
その中の1人の方とのお話を思い出してみます。


どうして不安なのか、を自分なりに分析したとき、
「不登校という事象について、無知だから」
との考えに至り、
専門家に相談することに決めました。

それも、わたしたちのことを知らない専門家。

私情や感情をはさまず、本当のことを知りたかったのです。

インターネットで片っ端から検索をし、
ひとりのカウンセラーの方を見つけました。

その方は、子ども専門ではなく、
大人も含め、学校や職場、家庭になじめないような方を
対象としている、女性の心理カウンセラーでした。

すぐメールを書きました。
「明日からムスメにどう接したらいいか、教えてください」

すぐ返事がきました。
「娘さん、心配ですね。すぐ来てください」

直感で、この人に相談したい、と思いました。

当初、わたしひとりで行こうと思ったのですが、
ムスメが「もし行きたい、話してみたい」と言ったら
何か良いことがあるかもしれない、と感じたので、
ムスメにきいてみました。

「カウンセラーの方を見つけたよ。
 お母さんに話しづらいことも含めて、まずは
 いろいろ吐き出してみるいい機会だと思うから、
 ただ聞いてもらう、ということで、一緒に行ってみる?」

そしたらムスメは「・・・うん」と返事。

すぐに、ムスメと一緒に行きました。

名古屋駅近くの、細長いビルの一室のドアをあけました。
白を基調にしたお部屋からは
グリーン系のさわやかな香りがしました。

「こんにちはー」と
サバサバした女性のカウンセラーが出迎えてくれました。
少し低めの、心地よい声でした。

カウンセラーの先生は、ムスメに
「少し話をきかせてくれる?」と聞きました。
「はい」とムスメは言いました。

その返事ににこっと微笑んだ先生は、
ムスメだけをお部屋に案内し、二人きりで話すことに。
わたしは別の部屋に一人で待機です。
待っている時間は、とても長く感じました。

1時間くらい経ったあと、先生に呼ばれ、
3人が1つの部屋に入りました。

「お母さん、娘さんはたくさんのことを教えてくれました。
 学校のこと、先生のこと、友達のこと。

 まず自分のことをここまで話してくれることが
 嬉しかったです。
 また、疲れた時は、体も心も、しっかり休めないといけません。
 学校を休むために、お母さんが
 娘さんの背中を押してあげたことは
 本当によい決断だと思いました。

 まずは夏休みがまだ続いてるわ〜くらいのゆるい気持ちで
 学校をしっかり休んで、
 疲れている心を、ゆっくりと休めてあげたら
 いかがですか?」

その時、私の目からぽろっと一粒、涙がこぼれました。
いままで気を張り詰めていたんだ、という事に気がつきました。

わかってくれる人がいたことに、安心しました。
わたしにも、寄り添ってくれる人が必要だったようです。

また、こうも教えてくださいました。

「今後ですが、ただ休むだけでは、
 学校には行きたくならないと思います。
 今の学校のイメージを変えないといけない。

 決して学校は怖いところではない、という
 イメージ変換と、

 何のために学校へ行くのか?の意味を
 一緒に考えてあげられるとよいですね」

そのカウンセラーの先生は、
学術的知見や、多くの事例をもとにして、
・いまの状態
・いまの問題点
・これからどうするか
・今できること
を整理してくれました。

わたしの悩みや迷いについて、的確に答えてくれました。



専門家の先生に相談することは
本当に良き経験でした。

ムスメに寄り添い続けるためには
わたしも「心の体力」が必要で、
わたしが疲れた時に寄り添ってくれる人が
必要なんだ、ということ。

それが、専門家の先生だったら、なおさら
心強い、ということ。

親って、ぜんぶ一人で抱えてしまいがち。
自分の家族のことは、外には相談せず、
自助努力に任せようとしがちです。

家族の問題だからこそ、はやく外の空気を
吸いにいくほうがよいな、と思いました。
停滞していた何かが、ぐぐっと動き始めた実感が持てました。

それはまるで、深呼吸をすることで
体のすみずみに血が巡り、新鮮な空気が届くかのように。

もう1つ、気づいたことが。
先生は、わたしの「ありのままの姿」に
寄り添ってくださいました。

ぽろっと一粒、涙がこぼれた安心感を
わたし自身が経験することで、
ムスメに対して、これからも寄り添っていける、
と自信がついたこと。

わたし自身が寄り添われる経験をすることで
わたしが他の誰かに寄り添う循環ができます。

先生にお礼を重ね重ね伝えました。
先生は、よかったです、と言いつつ、
こうおっしゃいました。

「わたしたち専門家にご相談いただくことで
 ひとつ、困難があるとすると、

 はやく子どもに学校へ行ってもらいたい、
 自分が導きたい方向へ解決してほしい、
 などというスタンスで相談いただくと

 わたしは、望んだお答えは出せないと思います。

 「問題は何か」が、
 親と子どもでずれている可能性が非常に多いです。

 子どもは本当に学校へ行きたいのか?
 子どもは親が望む形で人生を送りたいのか?

 親御さんの問題を解決するのではなく
 お子さんの問題を解決する、
 というところに、立つ必要がありますね。

 それには、親御さん自身が持つ「問題」の定義を
 考えなおしてもらう必要があって、

 お子さん側に立って、同じ景色をみる事で
 お子さんの問題を、汲み取ることが大事です」

つまり、
親であるあなた自身が変わらねばならない。

そしてそれはほぼほぼ正解で、図星で、
痛いところを突いてくる内容だと思います。

子どもが大変な中、
親であるあなたが変わるべき、と指摘を受けるのは
けっこうきついと思います。

けっこうきついですが、専門家のアドバイスは
要するに的確で、解決には一番早い。

解決へのカギは、実は
親である自分自身が、アドバイスを素直に受け入れられるか、
なのかもしれません。

「自分はこんなにしてあげてるのに」
「自分はこんなに心配しているのに」
「自分はこの子の将来をこんなに思ってるのに」

という思いは、実は自分だけのエゴかもしれません。

それらを、どれだけ置き去って
【その子自身】に思いを寄せるか。
これが一番近道で、実はけっこうタフな事と思っています。

わたしもここに至るまで、ムスメに対して
自分の思いやエゴがたくさんありました。

願わくば、中学校へ戻ってほしい。
部活も頑張り、運動会も楽しんでほしい。
先生や友達とも、
”そこそこうまく”、やり過ごして欲しい。

ただ今回、カウンセラーの先生にメールで相談した際に
書いた文面は、
なぜか「ムスメを学校に行かせたい」ではなく、

「わたしは、ただ彼女の幸せだけを祈っています」
「なので、”わたしはどう接したらよいか”、教えてください」

と送りました。

消え入りそうなムスメを目の前にしたとき、
必死に無事を願い、エゴを捨てた文章がこれだったのかと
振り返って思います。

が、時間が経つと、また親のエゴ丸出しになってしまうんです。
「学校は??」「勉強しなさい!」とか、言いたくなっちゃいます。

ですが、一瞬でも、一度でも、
「エゴを捨てた」経験をすると、

再びエゴのかたまりの世界へ入ったとしても、
いかんいかん、エゴが漏れ出てたわワタシ、と
認識することができます。

そして、そのエゴを捨てることが
だんだん怖くなくなってきます。

エゴの世界から出たり入ったりすることで
だんだんと、親も、成長をしていくものだと感じます。



もし、今、苦しい方、
ぜひ、専門家に相談してみてください。

こういう機関もあります。
「不登校支援センター」

わたしのように、心理カウンセラーの方も良いと思います。
(わたしが相談したカウンセラーの先生は、現在
 新規の方の受付を停止しているため、ご紹介できないのです)

そのつらく不安な気持ちに
共感と寄り添いを与えてもらえることが
まずもって大事です。

解決方法は、もっとあとでいいです。
心身ともに癒され健康でないと、解決方法なんて出てこない。

「わたしははひとりじゃない」と、
安心することが、まずもって一番にすべきことです。

もしいま、つらい方がいたら、
わたしでよければ、お話きかせてください。
解決方法は出せるか分かりませんが
きいて、寄り添って、一緒に泣いて、
一緒に笑うことはできます。

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