#21. 生きる意味を与える瞬間
何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン
#21. 生きる意味を与える瞬間
その姿をみて、ポーリンはサントエルマの森にあった図鑑の1ページを思い出していた。
「あの九つの首の化け物は、ヒドラ・・・の骨?」
「ああ、ヒドラね」
チーグは半ば諦めたように淡々とつぶやいた。
「大魔法使いヤザヴィも戦ったという・・・」
ヒドラの骨は、とても骨とは思えないような生々しい咆吼を上げながら、九つの虚ろな眼窩に邪悪な炎を灯らせていた。
戦いを予感したノタックは、ハンマーを地に着けいつもの祈りの姿勢をとった。
デュラモも剣を抜き、ノトも震える手で弓矢を構えた。
ボーン・ヒドラは、明らかな敵意に満ちて、眼前のちっぽけな生き物たちを見つめた。うねうねと九つの首が動く。
「骨にしてはずいぶんと・・・躍動していること。これが、あの塔の守り手というわけ?」
ポーリンが言う。
「こいつを倒さないと前に進めないというのなら、やむを得ない」
チーグも小剣を抜いた。
「戦えーーー」
というのと同時に、ヒドラは既に彼らに襲いかかってきた。
ノトが矢を放つが、強靱な骨はそれをはじき返す。デュラモは一つの首の攻撃を避けながら、胴体の部分への斬撃を試みるも、別の首の攻撃を受けて弾き飛ばされた。
そして、別の首が祈りを捧げるノタックへと襲いかかる。
咄嗟にポーリンが炎を投げつけるものの、また別の首がノタックを襲い、ノタックもまた弾き飛ばされた。
「ううむ」
チーグは剣を構えながらなすすべもなく後退する。
生きたヒドラは、ヘルハウンドよりもさらに危険な魔獣である。骨のヒドラが生前と比べて強いか弱いか分からなかったが、ゴブリンたちには荷が重すぎる相手だろう。
すでに両手の上に炎を宿らせ戦いの姿勢をとっているポーリンは、自らが踏ん張るしかないと覚悟を決めていた。
しかし、今の彼女の炎では、ボーン・ヒドラを仕留めるほどの力はないかもしれない。もっと火力を上げなければ・・・
一つ炎を投げつけてボーン・ヒドラの気を引きつつ、ポーリンの頭は忙しく回転していた。
ここに来てまた、慌ただしい実戦のなかで、壁を乗り越えなければならない。
サントエルマの森での、静かな瞑想と研究の時間も愛おしい。けれども、彼女の心の別の部分は、繰り返し訪れる死線に立ち向かう時間に、たぎるものを感じていた。
ポーリンは、あのホブゴブリンの牢の中での屈辱的な経験を思い出しながら、あのときに感じた魔法との一体感を引き出そうとしていた。
ボーン・ヒドラがずりずりと骨の巨体を引きずりながら、彼女の方へと身を寄せようとする。デュラモが後ろから攻撃し、損害は全くないもののわずかながらの時間を稼いだ。よく見れば、チーグとノトもその攻撃に加わっている。
ポーリンは、勇気をもらった。
先刻の幻覚破りの呪文に、かなりの力を消費した。残る力を全て絞り出さなければ、彼女が思うものは実現できないだろう。
あのとき召喚した炎の蛇を掌の上に凝集させるような像を頭の中に描き、呪文を唱えながら強く念じる。洗濯物から水分を絞り出すかのように、彼女の身体のすみずみから魔力をかき集め、想像を具現化させようとする。
右手の上に現れた紅の炎は、その火力を増し、青白さを纏うに至った。
「・・・できた」
息を切らしながら、彼女はつぶやいた。
だが、辛うじてできたというに過ぎない。それを掌の上に留めおくのも難しいように思えた彼女は、まだ少し距離があったもののボーン・ヒドラの胴めがけて投げつけた。
空気すら焦がしてしまいそうな灼熱をまとう青白い炎はかろうじてヒドラに命中し、大爆発を起こした。爆音に続いてバラバラと音を立てながら、三つの首が荒れた大地に崩れ落ちた。
「やった!」
九つの首のうち、三つを吹き飛ばすほどの結果をもたらしたことに彼女は満足し、自信を深めた。
ボーン・ヒドラが怒りの咆吼を上げる。
ポーリンは強い決意をもって、再び青い炎を作ろうと呪文を唱え始めた・・・が、できなかった。彼女の中に、強力な呪文を使う魔力は残されていなかった。
戦いの最中にありながら、それがどうでも良くなってしまうほどの疲労感に襲われた彼女は、その場にへたり込んでしまった。
――これが、私の限界?
命を落としてしまうかもしれない恐怖感以上に、力を出し尽くしながら一定の戦果を上げた満足感と、それでも敵わなかった敗北感の複雑な板挟みを強く感じた。
残念なのは、大魔法使いヤザヴィが想定した“短く、険しい道”を踏破できる水準の力に、まだ達していなかったという事実だ。
けれども、しょうがないのかも知れない。サントエルマの森で学んだとはいえ、しょせんまだ、正式なサントエルマの森の魔法使いと認められていない身なのだから。
少々死線をくぐったとはいえ、まだまだ魔法を極める道のりは遠かった。ただ、それだけのこと。
ボーンヒドラの胴体がずりずりと土を削りながら迫ってくるさまを、彼女はぼやける視界の中で感じていた。
――まだ終わりじゃない。
弱りゆく身体の力を、力強い精神の言葉が叱咤する。
魔力で炎を起こせなくても、精神の炎は絶やしてはいけない。旅に出るまでは何者でもなかった彼女が、ようやく何かをつかもうとしている。ここで、死ぬわけにはいかない。
いや、例え死ぬとしても、闘志の炎に身を焦がして死ぬのだ。
手を強く握りしめ、ぼやけかかった視界が再びはっきりとする。
目の前では、ノタックが戦っていた。
魔法のハンマーが、ボーン・ヒドラの一つの首を穿つ。
「ポーリン、大丈夫か!?しっかりしろ」
ひるんだボーン・ヒドラとポーリンの間に仁王立ちしながら、ノタックは少し振り返りながら言った。
――――ああ。
ポーリンは、今までに感じたことのない思いが、突如心を満たすのを感じた。
――――いまこの瞬間、私は、間違いなく生きている。
直前までの死の覚悟から開放された反動ゆえか、彼女は強くそう感じた。
そして、戦うのは一人でではないのだ。一人で乗り越えれない試練でも、仲間とならできる。
彼女はよろよろと立ち上がると、ノタックのすぐとなりに並んだ。
「・・・大きな呪文はもう使えないけれど、援護ならなんとか・・・ノタック、行けるかしら?」
ノタックは深くかぶった兜のまびさしの隙間から、じっとポーリンを見た。滅多に笑うことのない変わり者のドワーフだが、そのときは目が不敵に笑っているように見えた。
「任せておけ。自分、役立たずではないゆえ」
「もちろん。あなたは、<最強のドワーフ>ですから」
「・・・せめて貴公には、それを証明してみせよう」
祖国を追放されたドワーフと、サントエルマの森から出てきた女魔法使いは、首の数が半減した骨のヒドラと再び相対した。
(つづき)
良質なファンタジーの古典を目指していますので、どうかゆっくりと続きをお読みいただければ幸いです。
(はじめから読む)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?