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サントエルマの森の魔法使い #8光と影の地平線

第8話 光と影の地平線


影の世界の中を、ポーリンはずっと落ちていった。沼の中に沈み込んでいくかのように、ゆっくりと。

恐怖感はなかったが、もはや自分の力ではどうにもならぬ絶望感と虚無感きょむかんに心を縛り付けられ、あらがうことなく影の世界を落ちていく。

落ちる、というのが正しいのかどうかも、もはや彼女には分からなかった。どちらが上で、どちらが下かも分からない。

ただすみのような漆黒しっこくと、わずかにオレンジ色がかった白い光だけの世界・・・その漆黒と輝白きはくが作る形は、影絵となって外の世界の様子を彼女に見せていた。

<鐘の鳴る街>マーグリスの姿が見えた―――正確には、その影にすぎないが。影絵の世界で、尖塔せんとうの鐘が揺れていた。けれども、その音は遙か彼岸ひがんにあるかのように、決して聞こえない。

サウラの大博物館の円筒状の建物が見えた。そして、副館長のアシェラムの姿も見えた。アシェラムは誰かと話している・・・館長だろうか?

だが、それらはすべて絵本の中の影絵に過ぎず、近くに見えるのに、実際は永劫の地平の彼方にあるものだ。現実感のない世界。

とても、奇妙な感覚だった。

それらの影絵が、時に左右に、時に頭上に、そして時に足下に現れては消えていった。

サントエルマの森にも、数々の驚異・怪異かいいが存在する。けれども、これほどのものはとても存在しえない。

この世界は、彼女の心を圧倒した。そして、次から次へと現れては消えていく紙芝居のような外の世界の投影は、彼女の目を捕らえて放さなかった。

ここには、森羅万象しんらばんしょうが存在する。それが、永遠に手のとどかない光の世界であったとしても。

どれほどの時間と、どれほどの距離を「落ちて」きたのか分からなかったが、ようやく彼女はこの世界の地面とおぼしき場所にたどり着いた。見渡す限り広がる漆黒の大地―――――そして、あけぼののように輝くうつろな空には、依然として外界の出来事が影として映し出されていた。

感嘆のため息をもらしながら、ようやく、彼女は本来の目的を思い出した。彼女は、影の魔法を求めてやってきた。そして、どう考えても、その秘密に迫りつつある。

けれども、この広大な虚無の世界において、これからどこに行こうか?

そう頭を悩ましはじめた矢先、後ろから声がした。

「おい」

「きゃ」

あまりの驚きに、ポーリンは外の世界では決してもらさないであろう小さな叫び声を上げた。

あわてて振り返ると、先ほどまでは誰もいなかったはずの空間に、人間で言えば三歳くらいの大きさの存在が、あぐらをかいて座っていた。

影そのものを具現化したような漆黒の存在で、眼窩にはこの世界の空と同じようなオレンジ色がかった光がともっている。先っぽがとがった尻尾がぴょこぴょこと動いており、その姿はサントエルマの森の図鑑で見たところの、小さな悪魔だった。

「あなたが本当の“影の魔王”?」

心臓が口から飛び出しそうになるのをどうにか押さえ込みながら、震える声で訪ねた。

「影の魔王?」

悪魔のような存在は、びっくりしたようにそう繰り返すと、くっくっくと小さく笑った。

「影の魔王、いいね。それでいこう」
 
ポーリンは混乱しながら、ただうなずくのみだった。

「おまえは、ラザラ・ポーリンだな?」

まさかの問いかけに、ポーリンはさらに驚き、混乱極まった。

「・・・そうだけど、どうして私の名前を?そして、ここはどこ?」

「ここは<光と影の地平線>。おまえが来るのを、ずっと待っていた」

影の魔王は、赤子のような出で立ちなのに、話し方は尊大そんだいだった。漆黒の存在なのでその表情をうかがい知ることはできないが、人間風に言えば満足げににやにやしているというところなのだろう。

「私が来るのを・・・待っていた?」

「そうそう。まあ、座れ」

そう言うと、いつの間にか彼女の後ろに、影でできた腰掛けが現れていた。ポーリンは、事態の推移に心を追いつかせることがなかなかできないまま、おずおずと腰掛けに座った。

影の魔王は上機嫌で空を指し示した。

「外界のできごとを眺めながら、話そう。アルファザリア王国の競馬なんて、面白いぞ」

ポーリンも空を見上げたが、もはや何も頭に入ってこなかった。ちらちらと、うながすすように影の魔王を見る。

「まあ慌てるな、ラザラ・ポーリン、ガラフの娘よ。今からぜんぶ、話してやる」

「ガラフ・・・父の名ね?」

「その通り。おめでとう、ラザラ・ポーリン。ガラフの魂と引き換えに、影の魔法はおまえのものだ」

(つづき)

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