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サントエルマの森の魔法使い #9魂を贄とする魔法

第9話 魂を贄とする魔法

古代の偉大なる魔法使いファーマムーアは、邪悪な同僚の助力も得て、世界中の影を支配し、彼の足下あしもとにつなぎとめようとした。そうして生み出されたのが、<光と影の地平線>である。

世界中の影をつなぎとめ、まるで世界を裏側からのぞき見するかのような新たなる世界―――その空間は、神々の目からさえも隠されたものだった。

ファーマムーアは、そこに大いなる可能性を感じていた。しかし、その希望は長くは続かなかった。

新たな魔法の実験を行っていたあるとき、<光と影の地平線>の力を制御することができなくなり、都市をまるごと一つ荒廃させてしまうという出来事が生じた。

それが起きた場所こそ、<滅びの都>ザルサ・ドゥムである。

神々は、ファーマムーアが禁断の領域に足を踏み入れつつあることに気づいた―――少なくとも、ファーマムーアは神々の注意を引いたに違いないと思った。

そしてそのことへの恐れ以上に、彼が生み出そうとしていた魔法が、世界そのものを滅ぼしかねないことに気づいた。

そして、ファーマムーアは<光と影の地平線>をほうむることにした、ごく一部の力を<影の魔法>として残すことを除いて。

<光と影の地平線>は、今やその偉大なる魔法の亡骸なきがらである。文字通りの、空虚くうきょな、荒漠こうばくたる世界。

ごく一部の力だけがこの世界にとどまり、<影の魔法>として機能する。

<影の魔法>は、この偉大なる光と影の地平線における精髄せいずい残渣ざんさ

けれども、用心深いファーマムーアは、<影の魔法>にすら、”決して手に入ることがない仕掛け”をほどこした。

曰く、

『影の魔法を得るためには、影の魔法を望む者の魂をにえとしなければならない。そして、贄となる者は、自ら望んでその魂を差し出す必要がある。さもなくば、その魂は、光の世界と影の世界を結ぶとならないであろう』

すなわち、影の魔法を求める者が望んでその魂を差し出すことで、ようやく影の魔法を使役しえきすることが可能となるという、矛盾した制約せいやくである。


”影の魔王”は、太陽が決して昇ることのない薄明はくめいのような空を眺めながら、上機嫌にそう説明した。

「そして、ボクこそが、この世界に残された唯一の力ということさ。おまえは、いわばボクを召喚しょうかんするような形で、光の世界で影の魔法を作動させる」

何気ない言葉だったが、ポーリンの心にはあらたな疑念が影を落とした。

否、疑念というよりは、確信だった。けれども、心のどこかで、その考えは間違いであってくれるよう願っていた。

「・・・いままでのあなたの話を総合すれば、あなたを使役するために、誰かが魂を差し出したということになる。それはもしかして―――」

「おまえの父親さ」

その言葉は、銅鑼どらを打つバチのように彼女の心臓を叩いた

望んでいた影の魔法が手に入る―――――しかしそれは、父の魂の犠牲によって、お膳立てされたものだった。

こみ上げる安堵感あんどかんとともに、それを遙かに上回る悲しみが、大波となって彼女の心に流れ込んだ。

会ったことのない男とはいえ、影の魔法を探索していれば、いずれ父に巡り会うのではないかと、かすかな期待を抱いていた。そう思っていたことに、今しがた気づいた。

父もまた、影の魔法を追い求めた。その旅路の果てに、その魔法が決して手に入らないものであることを知った。

そして、いずれ娘がここへやって来ることを信じて、自らの命を捧げた。そのときの思いたるや、どんなものだったのだろう?

「・・・お前の父は、影の魔法に課された制約を知って、この魔法はまさに我が娘のためにあると確信したようだ」

ポーリンの心境を察してか、影の魔王が静かにつぶやいた。

「お前の父は、影の魔法の贄となるべき存在。そしてお前は、この魔法を使役するための存在」

「なんということ・・・」

父が魂を差し出した時点で、ポーリンが魔法使いになるとは限らなかったわけだし、何より魔法使いになったとしても、この危険な魔法を手に入れようと思うかどうかすら分からなかった。

の悪い賭けだが、父は娘を信じた。あるいは、父親らしいことを何一つできなかったことへの贖罪しょくざいであったかも知れないが。

いずれにせよ、父の旅は、この虚無の世界で終わりを迎えていたのだ。

「あとひとつ、伝えておく」

影の魔王はおごそかに付け加えた。

「ボクと契約を結ぶまえに、お前の父は一つだけ願いを申し出た。『この影の世界から、娘をひと目見たい』と。そして、お前の姿を見に行ったよ。少女だったお前は、沈む夕陽を背に自分の影を見つめていた」

ポーリンの鳶色とびいろの瞳は涙にうるみ、喉からは小さく嗚咽おえつが漏れた。

一人、草原で影を追いかけて遊んだ幼き日々――――父がそれを見守っていたときが、あったのだ。

胸が張り裂けそうだったが、同時に心がぽっぽと火照ほてる感じもした。彼女はひとりぼっちだが、本当はひとりぼっちじゃないかも知れないという気もした。

影の魔王は小さく肩をすくめた。

「偉大なるファーマムーアは、こういう形を予期していたのかな?」

ファーマムーアの想いは分からなかったが、父の想いはどうにか理解できたように思えた。そして、家を出たあとも、父は娘のことを大切に考えていたことも理解できた。

かくなるうえは、影の魔法を自分のものとして、魔法の進歩に貢献することこそが父への報い。

彼女は目に浮かんだ涙を拭き取ると、強く決意に満ちて、影の魔王を見下ろした。

「・・・それでは、よろしくね、小さな”影の魔王“さん。この殺風景な世界にも飽きてきたから、そろそろ帰りたいのだけれど」

「いいだろう、ラザラ・ポーリン。けれども、ボクを使役するためには、かなりの魔力を消耗することになる。ボクの力を十分に使いこなせるようになるために、お前もなお精進しょうじんすることだな」

「言われるまでもなく」
 
ポーリンは力強く言った。

「よし」

影の魔王はぴょんと立ち上がると、腰に手をあてながら、反対の手で尊大にポーリンを指さした。

「ではまず、元の世界へ戻りたいと、集中して念じてみろ」

細かい方法は分からなかったが、ポーリンは言われたとおりにした。魔法の呪文を唱えるときと同様に深く集中し、強く念じる。

しかし、何事も起きない。

正直なところ、ここへ来るまでに多くの魔力を消耗していた。残された力は限られている。

影の魔王は、両手を挙げて肩をすくめた。

「やれやれ、才能はありそうだが、まだまだだな」

「いいえ」

影の魔王の言葉に、ポーリンはむきになって答えた。

「まだ、これからよ・・・」

そうして、再び集中状態に入る。今までの人生の中で、もっとも魔法の呪文が成功し、高揚感に包まれたときのことを思い出す。そして、父のことも。

光と影の世界を結ぶ緒となるのは、父の魂だ。そのことに敬意を払わなければならない。

深い集中は魔法との一体感を生み、彼女が生きる意味を感じさせてくれた。

ポーリンの周囲に、高い魔力が渦巻くのを感じると、影の魔王は満足げに唇をつり上げた。

「ガラフの見立て通りだね」

そして、影の魔王がこの世のものではない言葉で呪文を唱えた。

その不思議な音色ねいろが彼女を包むかと思っていると、やがて色彩の乏しい空虚な空間の姿は薄れ―――――彼女は元いた地下迷宮へと戻っていた。

どっと疲労が押し寄せて、彼女は思わず床に倒れた。身体が重く、指一本動かすにもかなりの労力が必要だった。影の魔法を使いこなすためには、かなりの魔力が必要である。彼女は身をもってそのことを感じていた。

ウィル・オー・ウィスプがあざ笑うかのように周囲の空間を乱舞する。

「・・・見ていなさい」

彼女は歯を食いしばると、床に転がっていた背負い袋から、最後の巻物を取り出した。集中するのが難しい状態であったが、最後の力を振り絞る。

弱々しいが呪文の詠唱えいしょうを成し遂げた彼女に、恍惚こうこつとなるような魔法の力が降り注いだ。「帰還リターン・トゥ・ホーム」の呪文で、彼女はトーテムの置かれた宿の部屋へと舞い戻った。

(つづき)

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