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「分からない」から始めよう🤝いのちの出会いにありがとう🫶また出会いましょう!

隣のヴィラに滞在している女性と一緒にお茶を飲んで話をした。

4人の孫がいて、3人の子どもは40歳前後だと言っていたからちょうど母と同じくらいの歳だろうか。

配達されたランチを取りにエントランスに向かっているときに別のヴィラの前で声をかけられ、「このあたりでどんなところに遊びに行ったか聞きたいから、ごはんを食べたらぜひまた来て」と言われたので、食事を終え、日本から持ってきた小さな急須とお湯呑みをトレーにのせ、沸いたお湯を持って行ったら「すてき!」といたく喜んでくれた。

お互い英語が母国語でなく、英語のレベルがちょうど同じくらいだったからだろうか。
それとも、アプローチは違えど仕事を通して取り組んできたことに共通するものがあったからだろうか。
もしくは「型から外れた生き方」をしている者同士だったからだろうか。

とにかく、ゆったりと話が深まり、気づいたらお互いの人生の話を語り合い、聴き合っていた。

途中、パートナーとの関係やそこから学ぶことについて話していたとき、彼女が何かを言って「何を言おうとしているか分かる?」と聞かれた。

使われている単語は聞き取れたが、話として何を言わんとしているのかはまだ掴めていなかったので「まだ十分には分かっていない」と答えると、彼女は言葉を変えて話してくれた。

それでもまだ分からない部分があったので「この部分は理解することができたけど、この部分はまだ分からない」と正直に伝えた。

そうすると彼女はまた少し考え、ゆっくりと自分自身について感じていることを口にした。

その一言で彼女がそれまで話していたことがスッとつながっていった。

おそらく、彼女は感じていることを婉曲的に(遠回しに)表現していたのだろう。自分自身が認めづらいことだったのかもしれない。

深層的に感じていたことの輪郭が言葉にされようとする過程で明らかになっていったのだろう。

ふたりで静かにうなづき、そしてまたお茶を飲んだ。


「あなたの人生をシェアしてくれてありがとう。わたしはあなたからCourageous(勇敢さ)を感じたわ」

そう言われ、わたしも「一緒に人生について語り合えて楽しかった。わたしはあなたの中にInnocence(無垢さ)とMaturity(成熟)が同居していることを感じたよ」と伝えたら、彼女の目がふわりと滲んだ。


英語での会話は以前に比べるとだいぶできるようになったが、別れのときというのはまだどこかドギマギする自分がいる。

セッションの中でそういう場面はあれど、日常の中で出会った人に対して、感じたことと過ごした時間へのお礼を率直に言葉にすることにまだ慣れていないのかもしれない。

惜しげもなく気持ちを表現する人たちを見て、いつも「わたしも、これが最後であるかのようにそこにある気持ちや感謝を伝えたい」と思う。



クライアントさんとのセッションはいつも、本当に宝物のような時間だ。
今ここに立ち現れるいのちの響きを聴き届けられることはなんて幸せなことだろうと思うし、自分自身も人生についてともに学ばせてもらっていると感じる。

以前はご一緒するクライアントさんとは音声のみのセッションで時間をともにしていて、そんな中でも(顔は知らずとも)その方の人生をとても愛おしく感じていたが、今はセッション以外の場でも何かの機会で顔を合わせることが増え、セッションは音声だけで行っていてもひとりひとりの顔を思い浮かべられるようになった。

noteを始めた5年前と今と、一番変わったことはそこだろうか。

あの頃も関わっている方にその時できる形でできることをしていたと思うけれど、関わっている人の顔を思い浮かべられるというのがこんなに幸せなことだということを、5年前は知らなかった。

初めて投稿したnoteのタイトルは「From here to Tokyo」

オランダ語には "van hier tot Tokio" (from here to Tokyo)という言葉があります。これは単に物理的な距離が長いことだけでなく、とっても大変なことを表現しているそうです。今は半日もあればオランダから日本に行くことができるけれど、その間にある物理的な距離に変わりはありません。

身一つでオランダに渡りようやくビザが取れた頃。

そのときのわたしには日本は遠くて、それでも誰かに何かが届くようにと試行錯誤しながらいろいろなことを綴ろうとしていたのだろう。

誰に届くか分からない手紙を小瓶に入れて海に流す。

それを読んでくれていた人がいたのだと知ったのはずっと後になってからだ。

孤独な旅を続けることができたのは、そのときすでにご一緒していたクライアントさんたちとの時間があったからだ。

静けさの中に耳を澄ましたときに聞こえてくるいのちの響き。

あの頃はまだ、それがいのちの響きなのだと気づいていなかったけれど、それが何かとても大切なものだということだけは分かっていたのだと思う。


今の自分があるのはnoteや綴ってきたものがあったからだ。

無限の宇宙に散らばる星くずの中でまたたく小さな星を見つけてくれて、ノックをしてくれた。

「あなたにはあなただけの、かけがえのない輝きがあるのだ」ということをときに体当たりで教えてくれた。

もちろんそこにはわたし自身の勇気もあったけれど、それだけではない。
ノックをしてくれた人の勇気があったから、出会うことができた。

出会ってきた人、ひとりひとりの顔と、その人との出会いの物語、そしてその人自身の物語が浮かぶ。

なんて幸せなことなのだろう。


noteを始めたときに儚く思い描いていたことが、気づけば現実になっていた。

今も誰かに届けたいことや伝えたいことや言葉にしたいことは尽きることがないけれど、それを表現するのはこれまでと同じ形でなくていいのだと、そんな風に感じるようになった。

さらにゆっくり、静かに、深く。
関心ごとや世界との出会い・世界からのいざないを深めていきたい。
言葉と言葉にならないものたちをじっくりと味わい、そこに自ずとやってくるものを掬い上げていきたい。

何よりも、顔が思い浮かぶ大切な人がいる。
今日の日の中で出会う人がいる。

その人たちとともに時間を過ごすこと。
ともに何かを深めたりつくったりすること。

今のわたしには、5年前のわたしにはなかった喜びがある。

いのちといのちが出会っている。そんな実感がある。

生身の人間として出会うことやどこにも残らない時間をともに過ごしていくことをさらに大切にしていきたい。


これからどこでどんな形で心から溢れ出るものを表現しようかまだ決めていないけれど、これから出会う人たちともいのちといのちで出会うことができたらいいなと思う。


わたしたちは日々、あたらしい自分になっているから、すでに出会っている人とも、何度でも、「わからない」から始められたらいいなとも思う。

そうやって出会って、ともに過ごす時間の中に立ち現れるものを一緒に味わう。

残りの人生、そんなふうに生きていけたらすてきだなと思う。


そんなふうに生きていくことが、いのちの望みなのだと思う。


想いも話も尽きることがないし、名残惜しいけれど・・・

これまでnoteを通じて出会ってきたあなた、
noteを読んでくださったあなた、
noteの中で想いを伝えてくださったあなた。

あなたの言葉が、ともに過ごした時間が、
いのちといのちの出会いの喜びを教えてくれました。

本当にありがとう。


これからもお互い旅の途中で、いのちといのちで出会っていきましょう!

Bon voyage!


この記事を持ってnoteでの5年間の旅はひとまず完了となります。
今後またnoteにやってくるかもしれませんが、そのときはあたらしい形になるかと思います。そのとき最新のお互いで、新たな形で出会えるとうれしいです!

最新の取り組みだけは更新する見込みです。
メンターコーチングの新たなコースや講座の情報も記載していますのでよかったらぜひそちらもご覧になってください♪


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その他の発信ツールからも一旦離れ、今後はいろいろな表現をWebサイト等にストックしていく予定です。
*現在更新中のため特にスマホからは見づらいところがあるかもしれません。

最新の取り組みはこちらからも見つけやすいかと思います👇


3月から5月は佐賀県の嬉野に滞在しています。秋も嬉野にいるはずです。
来年の冬はまたウブドに来るかもしれません。
夏はどこにいるかまだ分かりません。1年に1回は知らない場所に行きたいと思っています。

嬉野にもウブドにも、そして世界中にすてきな場所がたくさんあります。
写真には写りきらない体験があります。
ぜひ、地球のどこかで、いのちの響きを一緒に味わいましょう♪

*ウブドで朝にボイスワークや楽器の練習をしにいっているお気に入りの場所と、いまだに拙いながらも楽しんでいるウクレレの演奏をお届けします。わたしの頭の中ではメロディとボーカルが流れているのですが、ウクレレだけだとなんのこっちゃですね。何の曲か分かったあなたはかなりのawai通です笑 「分かった!」という方はぜひこっそり教えてくださいね♪

このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。