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429-430 オランダの人は毎日よっぽど楽しいのかと思っていたが

429. オランダの人は毎日よっぽど楽しいのかと思っていたが

今日と昨日の静けさはどう違うのか。書斎の窓の外を眺めているとふとそんなことが思い浮かんだ。斜めに開けた窓の隙間から聞こえてくる車の音は、昨日よりも大きいだろう。しかしそんな、物理的・数値的に計測可能なものだけではなく、計測できない音も、昨日よりも随分たくさん聞こえてくるように思う。それは人の動くエネルギーのようなものかもしれないし、人の心の中の声なのかもしれない。

先日、近くに住む日本人の方とお茶をしたときに興味深い話を聞いた。オランダの人は内面的なことをあまり話題にあげないという。例えば家賃や収入などは割とズケズケと、悪気なく聞いてくる。(確かにそんなイメージはある。)しかし、パートナーや親子の関係、どんなことを感じているかなどは聞いてもこないし話もしないと言うのだ。そういえば、と、オーナーのヤンさんとのこれまでの会話に腑に落ちるようなものを感じた。「ものごと」についてはあれこれと話をするが「心情」や「関係性」については「それはあなたのことだから」という感じなのだ。それを私は、「他者のことを引き取らない潔い態度」「明確な線引き」だと思っていた。そしてさらに、いつも前向きなことを口にするオランダの人はてっきり、よっぽど日々楽しく過ごしているのだと思っていた。しかしどうやらそうでもないらしい。人間なのだから様々な感情が湧いてくる。ただそれを、人前では出さないだけだと言う。それを聞いて、ハーグにライフコーチをしている人がそこそこの人数いて、太極拳・気・ヨガなどの教室も50万人ほどの人口に対しては随分とたくさんあるということとも何か辻褄が合うような気がした。気軽に身近な他人に話せない分、話を聞いてもらうことや、自分で心身の調整が必要なのだろう。日本のように飲み屋で愚痴を言うのが健全かというとそうとも思えないが、機嫌よく生きているように見えるオランダの人たちも同じ人間なのだなと思うと、なんだかちょっとホッとしたりもした。

バカンスで数週間、ときには数ヶ月他の国に出かける彼らを羨ましく思っていたが、ある意味そういったバランスを取る時間が必要なのかもしれない。

大気中のエネルギーがどんどんと動き出している。私も、環境を調え、今日の活動を始めることにする。2019.10.28 Mon 8:19 Den Haag

430. 食への反省

1、2、3、4と数えながら開きっぱなしにしていたパソコンの画面上のウィンドウを閉じた。8つのウィンドウが開いていた。これが頭の中だったらと想像すると恐ろしくなる。同時に8つのことを処理していたのか。そんなはずはない。中途半端に向けられた8分の1の意識で、1つのことに向き合っていたのだろう。それはもはや、向き合っているとは言えない。ストイックかもしれないけれど、一事が万事なのだと思う。先日、「生き方は日常の細部に宿る」というような言葉を聞いた。日常の過ごし方の一つ一つが生き方をつくると言ってもいいだろう。

そういう意味では今日の食については反省点が多い。打ち合わせの前に、空いた小腹に何か入れようと近くのスーパーに行ったことが関連しているが、そもそも、家には小腹に入れるのにふさわしいバナナもリンゴもあった。そうだ、バナナと一緒に食べているカカオニブがなくなっていたのだ。それを昨日オーガニックスーパーで買い足そうと思ったところ、瓶に入っているものは袋に入っているものよりいくらか安価だが、これまで摂っていたカカオニブは瓶に入ったものであり、瓶に入っているものを購入すると瓶をゴミとして出すことになり、それがなんだか気が引けるように感じた。(ビニール袋のゴミと瓶のゴミ、どちらが環境負荷が高いのかというのは分からないが。)近くの一般的なスーパーで袋に入っているカカオニブが売られているのを見たことがあったので、それを購入しようと思い、今日はいつもは行かない一番近くのスーパーに向かったのだった。カカオニブはレジの手前のオーガニックフードの置き場にある。しかし私はそこに行くまでの間に、店の中をぐるりと回り、オーガニックの穀物でできたクラッカーとカニのペースト、チョコレートのかかったシリアルバーと、ココナッツパウダーでできたお菓子をカゴに入れたのだった。それらが今、おなかの底に寝転がっている。その結果、身体全体の感覚は鈍い。本来、身体に入って来てくれたものに対しては心から感謝をしたい。それができないなら、それを取り込むことを選ぶべきではないのだと思う。

もし、買い物をやり直すとしたら、その前に湯を沸かし、リンゴをかじり、お茶を淹れただろう。心と身体の声にもっと耳を傾けていたなら、そのとき必要としていたものがちゃんとわかったはずだ。

身体の感覚を研ぎ澄ましていたいというのが、今願っていることだ。

それが、気を抜くとあっという間に惰性の中に堕ちていってしまう。今の自分はそのくらいなのだということもできるが、だからこそ、何度でも気を取り直し、襟を正し、姿勢を正し続けたい。

今、自分がオランダにいる意味というのを時折考える。日本にはない静けさと一体になりそれを届ける。それをせずして、わざわざ母国を離れて一人異国で生きる必要があるだろうか。常識や慣習、日本語の情報う空間から距離を置いている今、生まれるノイズは心と身体の中のものだけだ。10月がもうすぐ終わる。この1ヶ月は言葉にしたこと、しきれなかったことがたくさんある。1ヶ月の終わりということを考えながら、そこにある1日1日と向き合い続けたい。2019.10.28 Mon 19:34 Den Haag


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illustrated by HISAKO ONO

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