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はなせなかった憎しみに

こんにちは。
今日も見に来てくださってありがとうございます。

ニクイ、という言葉には
反語的表現でいい意味を持たせたものもあります。

「よっ!ニクイねぇ〜、この色男!」

なんて。
昭和の時代はこんなセリフがよくテレビから流れていました。

でも今日はこのニクイではなく。
ましてや肉い!でも肉々しい、でもなく。

ドロリと粘い「憎しみ」の感情についてのお話です。

こんなお話でよければどうぞごゆっくり♪(え、したくない?)


突然ですが、あなたは誰かを憎んだことがありますか?


私は、あります。


それも、たくさん。

深く深く。

たくさん、たくさん。

もともとそういう素質があったのだと思います。

まさかこんな子供が?と大人が思うほどの幼少期から
憎しみという感情を抱えていました。

ただ、「憎い」という言葉をまだ持たなかった頃なので
それがなんなのか、幼い私にはわかりませんでした。

とにかく苦しくて不愉快で、とても激しい感情でした。


憎しみというものは、誰かに向ければ向けるほど自分に返ってきます。

憎いのは相手なのに、憎んでいる自分の方に嫌気がさすのですね。

これは大人になってからわかったことです。


じゃ、なぜ人は人を憎むのか?


大切なものを奪われたと感じたときに人は人を憎みます。

生命、自尊心、愛情、時間、お金、地位や名誉…etc.

中には、なにも奪われていなくても勘違いや思い込みで
憎しみを向けてくる人もいますが、それは稀です。

同じ手段でもって憎い相手から同じものを奪うことができたら
スッキリするのかというと、そうではありません。

たとえばもし、大切な人を奪われたら。

たとえその人が命からがら戻ってきてくれたとしても、
二度とそれ以前と同じような心持ちではいられなくなります。

その人を奪った誰かが罰を受けたとしても、
一度脅かされた平安も、失われた命も二度と元にはもどりません。


もしまた奪われたら…

もし他のものまで持っていかれたら…

と、平穏な日々はいつまでも戻らないままなのです。



ならば、憎みたかったら憎めばいい、私はそう思います。

なにか大切なものを奪われたのであれば、誰に遠慮もいりません。


でも、憎み続けるのってものすごくエネルギーを使います。


それこそ生き霊になってるんじゃないかと思うほど。

苦しく重く、真っ暗の真っ黒です。


その上、どれだけ憎んでも、なにも変わりません。

自分がしんどいだけです。

頭ではわかっていても、ニクイものはニクイ。

離れたくてもふとした拍子に思い出す。

こればっかりは一生、どうしようもできないと思っていました。


ところが。


ふと、気がつくと今の私は平和そのもの。

なんとも穏やかな気持ちです。

いつも心は鏡面のごとく凪いだ瀬戸内海ばりの静けさ。


つい最近になって気がつきました。


あれっ? ありゃっ? おりゃ??

あの憎しみ、どこいった???


無いなら無いで探さなきゃいいのに探してしまう悲しいサガ。

けれど、探してみてもそれはすっかり消え失せていて。

憎しみに伴いがちな悔しいとか悲しいといった

他のネガティブな感情もキレイサッパリどこかへ消えていました。

え!不思議〜!なんでやろー?


しばし考えてわかったこと。

↓これ。

自分で「ゆるし」について書いていました。

あぁ、結局これ(憎しみについて)も「ゆるし」の話に
つながっていたんだ、と腑に落ちました。

憎しみも怒りも根っこは同じなのかもしれません。

自覚はないけれど恕す(ゆるす)ことができたということなのか?
おかげで私は憎しみの感情からすっかり解放されたようです。

かつて、どれだけ手放そう手放そうと頑張ってもできなくて
もがき苦しんだ日々が嘘のよう。

ふと気がついたら憎しみの感情なんて跡形もなく消えていた。

ゆるした自覚も手放した自覚も、全くありません。

実はこれ、フラワーエッセンスの癒やしにありがちな現象です。

本人に自覚や問題意識がなくても、
本人が手放したいと意図したわけでなくても、
ある日気がついたら癒され・洗い流され・整っている。

おもしろいなぁと思いました。


過去に選ばれたエッセンスの顔ぶれを見て、
もう一つわかったことがあります。


憎しみを早く手放すには、とにかく自己肯定感を上げること。


これに尽きます。


自己肯定感が上がると、憎しみは憎しみとして抱えたままでも
苦痛ではなくなります。

たとえば私の憎しみの感情はなくなったけれど、自分が
なにを、誰を、なぜ、憎んでいたかは忘れていません。

憎しみそのものの記憶は残っているのに、
その感情は無くなっているというちょっと不思議な感覚。

原因となったことを思い出しても心がざわつかないのです。

そもそも憎しみを持ったことのない人の心の中とは
こういうものなのか、と、私にとっては初めての感覚です。


これまでは忘れよう、とか、忘れなくちゃ、とか。

忘れたい、と思うことばかりが澱(おり)のようにありました。

なにものにも囚われない日々の軽やかさを、私は今
もしかしたら物心ついてから初めて味わっているかもしれません。

自分が楽しめること、心地いいことを選んで
日々をやり過ごしているうちに、ふと気づくと楽になっている。

もし憎しみを抱くほど深く傷ついている方がいたら、
フラワーエッセンスの力というのは私が考えるよりずっと
大きく役に立つのではないかなぁ、なんて思ったりしています。

どうか必要な方に届きますように。

最後まで見てくださってありがとうございます。

#フラワーエッセンス #憎しみ #手放し #被害者意識 #愛
#平和 #心の平安  #家庭 #生活

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