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3つの掌篇 Ⅱ.運が無かった男

Ⅱ.運が無かった男

 男は、この世界には始まりも終わりも無く、ただ広々とした空間が広がってるだけだと思っていました。
 男の最初の不運は、優れた知識と論理的思考力を持ち、更に若くして科学の世界で名誉も名声も得ていた事です。
 「始めと終わりがない」という持論に辿り付いたのも、彼の並外れた合理性を考えればしょうがない事だったのでしょう。「始め」があれば「始めより前」の世界の事が議論になります、「終わり」があれば「終わりより前」の事が議論になります。物事を合理的に美しく表現するには一元的に説明するのがとても合理的だからです。
 男は自分の正しさを証明する為に、最も進んだ学問、特に最も新しい数学を学び、彼が合理的だと思った現象を数式にして次々解いて行きました。正直に申しますと、この計算は男が生きている間に全て解かれる事はなく、アンリ・ポアンカレという人が公式を正確なものにして、それから100年ほど掛けてやっと幾つかの解法が見つかったのですが、

 ですが、男の手による計算でも一つの結論に辿りつくには十分でした。
「世界はいずれ1点に縮んで消えて、終わりを迎える」
 言うまでもなく、男が信じた世界の姿は、彼自身の手によって否定されたのです。

 男の第二の不運は、男が優れた知識や論理的思考を持っていても、それが世界で一番ではなかった事です。
 これも同情すべきなのは、男自身が世界最高を自負し天狗になっていたわけではなく、普通の悩み多き研究者であり人間であった事実があったからです。しかし人々は男を賞賛し時間と共にその研究を物理学を通り越し、寧ろ文学や神話的崇拝を与えてしまったのです。
 新たな知らせは天文学者からもたらされました。ハッブルと言う天文学者の発表は男を再び打ちのめしました
「世界は今でも広がり続けている」
 男は最初の信じていた世界のみならず、客観的な計算によって導き出された世界も、今度は現実によって否定されてしまったのです。

 その時男は他の仮説でも他の学者と対立し、幾つかの仮説で自分の間違いを認める事となりましたが、やはり男の名声がその敗北をも忘れさせていきました(間違った彼の名前が頭文字になった仮設もあります)。晩年の男は解にたどり着かない自分の理論にも悩み、自分と同じ名を持ちながら日に日に大きくなる一つの偶像にも悩まされたと言いますが、
 生きている間に同様の悩みを抱える存在も歴史的に稀で、真の共感を他人に求められない事が男の真の不運であったかもしれません。

 世界の形は男が世を去ってから50年の後に、30歳を少し過ぎたロシアの青年が
「8つの形とその組み合わせで出来ている」
 という事をアンリ・ポアンカレの残した予想から証明しました。
 当然そこにたどり着くにも、男の生きた時代では届かない知識や概念が幾つも必要だった事は言うまでもありませんが、
 仮に、もしも仮に男もこの世界の煩雑さ、曖昧さ、混沌を受け入れる事が出来たのなら、
 晩年のアルバート・アインシュタインの悩みは僅かに軽いものに成っていたのかもしれません。

by 拓也 ◆mOrYeBoQbw(初出2013.04.16)

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