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【Effectorz】case1.案内人(2/3)

   極東ゾーン南西<運動麻痺地区>

 沙那もそうだったが、夜のゾーンに初めて入り込んだ人間は一様に同じ疑問を持つ。
 何故なら人も住まず、小動物や虫も見かけないこの無人の廃墟において、夜が訪れると来訪前の様に街の明かりやイルミネーションの類が必ず灯っているのだ。
 当然外部からの電力供給は無駄な浪費になるので、来訪直後には既に寸断されている。それにも関わらず、酷い破損状態でない限り殆どのLED照明や信号機、そればかりか来訪の時点で既にレトロで寿命切れかと思われていたネオン看板なども、現在も変わらず煌々と街を照らしていた。

「……凄いですね。今の下東京市や各国の首都でも、これだけ明かりが灯ってる都市は無いんじゃないですか?」

「夕暮れから夜明けまで、ほぼ全ての街頭や民家の明かりが点灯してるのである意味世界の何処よりもゾーンとなった6都市は明るくなってる。まあ昼夜問わずゾーンの写真撮影すら禁止になっているので、俺たちや軍関係者、そして一部のアングラサイトで知られてるだけだがな。」

「いやあ、当局の情報操作は恐ろしいですね……こんな明るくて安全な所だと言わずに、危険ばかりを煽るとは。」

「安全?冗談を言うなあんた。例えばアンコウって魚を知ってるか?灯りに飛びついた獲物はそれが囮だと気付かずに、次の瞬間アンコウの腹の中だ。」

 俺は多少わざとらしく客の男に対し苦笑を浮かべる。そして自分のライトを取り出し、そのライトの明かりで足元と進行方向を確認した。
 今度は女の方がこちらに話しかける。

「ねえ、なんで何処もかしこも明るいのに、ライトを使っているのよ?」

「そうだな説明すると……いや、説明は難しい。
 あえて言うなら、ゾーンの作ってる灯りは何もかも胡散臭いからだ。だから自分が外から持ち込んだ灯りと、ゾーンの作った灯りを比べて進む……ただおかげで、昼間の様にナットをじゃらじゃら持ち歩いて、投げまわる必要が大分減る、という有難みもあるが。」

 ここら辺の話はストーカーの基礎として沙那にはレクチャー済みだった。
 例えば、<蚊の禿>や<挽き肉器>などは斥力レンズ、つまり光も直進せずに0.0003ラジアン程度の双曲空間の”歪み”を作る。
 こいつはゾーンの中の光源では全く判別できないが、外から持ち込んだライトを少し揺らして見れば一発で見つかる。光が屈折したり広がったりするのだ。
 そして<火の綿毛>など、夜間には何をせずとも赤い炎を目視で確認出来たりもする。
 軍産共同体の連中や正規軍が来ないのが確実と判れば、尚更夜は俺たち案内人の独壇場、という事になるわけだ。
 とは言え、当然夜に犠牲になったストーカー達は星の数ほどいるわけだが。

「しかし灯りの多さもそうですが、廃墟とは思えない随分綺麗な街並みですねえ。僕は西日本育ちでこちらの地理は大分馴染みが薄いですが、流石来訪前の日本最高の人口密集地だ……」

「それにしても<運動麻痺地区>なんて物騒な名前を付けたものね。」

「そうですね。どうしてそんな名前に?【ヴァーミリオン】」

「ああ、来訪時にこの地区から逃げ遅れた人間は皆、身体の何処かしらに原因不明の麻痺が出たんだ。」

「逃げ遅れた?こんなに境界部が近くて簡単に脱出出来るのに?」

「そうだ、あの当時は来訪ゾーンで何が起こるかなんて誰も解っちゃいなかった。日本政府と一緒に素直に逃げ出した連中も居れば、頑なに情報を疑い続けて犠牲になった連中、そしてやむおえない事情で逃げられなかった連中も、山ほどいたさ。」

「そうですね、だからあの時の犠牲者数が……」

「まあ、それでも極東ゾーンは他国よりマシな方だった。」

 俺は会話の間に進行方向に危険なトラップが無い事を確認していた。運良く<魔女ジェリー>が溜まるような不自然な窪みも見つからない。<魔女ジェリー>も夜は紫色に発光するので、多少は発見しやすくなるが、【青鷹】の奴はネオンの色でそいつを見逃して両足をやられていた。

「よし、急いで進むぞ。<トランペット屋>までは最短ルートでも片道3時間。不測のトラップに阻まれたら倍の時間でも足りなくなるからな。」

「了解ですよ。まあ良いウォーキングになりそうですね。」

「……代金の分、よろしく頼むわ。」

 返事をした丸山央一とフエンテス美由宇、男は明るい表情で女は思いつめた表情で、ネオンとLEDの光が昼とはまた違った印象を浮かべているようにも見えた。

 そして、会話の虫に憑りつかれていたのはやはり丸山央一の方になった。

「そう、僕はそんなに成績が良い方ではなく中学高校と目立たない方でね。公務員や軍産共同体の試験も駄目で、平凡な企業の契約社員で平凡な結婚。そこで生まれた子供が心臓に持病と、なんて酷い人生だと思いましたよ。
 でも才能って開花する物ですねえ。子供の心臓病が僕の手取りでどうしようもない、と分かって、僕と妻は縋る思いでクラウドファンディングと募金を始めてみたんです。
 そうするとあっという間に結構な額と沢山の支援者、それに大手メディアの注目を集める事が出来たんですよ!
 いやあ、学校の成績や公務員や国際企業なんて目指してた過去の僕が莫迦だったんですねえ。そんな物が巨大な力だと勘違いしてて、今みたいにフリーで世の中の大多数を動かせるなんて当時は夢にも思わなかったんですから。
 元の仕事?それは当然早々に辞めてしまいましたよ。
 最初のファンディングで子供は二度、心臓の手術を行いましたがなかなか上手く行かなくてね。もうこっちに専念して、兎に角世間に色々認知してもらおうと思ったんです。
 お二人も家族の写真見ますか?ああ、ゾーンでそんな気分にならない、と。これは失礼。
 まあ、仕事からクラウドファンディングとメディア露出に方向転換したおかげで、お金は溜まりましたが、欧米に渡って移植するにしても、その移植待ちで資金切れや寿命を終えたり、あるいは移植後の生存確率も高くない、って聞いたんですよ。
 それで闇で流れているゾーンの生成物、これも僕らの支援者やマスコミの人間から聞きました。なんでそんな素晴らしいものを政府や共同体が隠匿して独占するのだ?と
 いやあ、本当にそんな所に所属しなくて良かったとつくづく感じましたよ。おかげで僕は連中を批判して、今度は追い詰める立場に立ってるんですから。政府や組織に属してたら今みたいな人生は味わえません。
 そういう点で、私はきっとストーカーの皆さんと色々と相通じる所があると思うんですよ。」

 俺は当然、この問いかけを一切無視した。どうせゾーンから抜け出た頃にはすっかり忘れる世迷言ばかりだ、過去の経験で重々承知している。
 ただ、もう一人の客の方はそれが理解できないというのは仕方がない話だ。

「ちょっと……この男をいい加減黙らせて貰えない?甲高い男の声は耳障りなんだけど、内容も……」

「悪いがここへの車中で忠告した通り、これは初めてゾーンに入った時の症状みたいなものだ。無関係と割り切って先に進むぞ。」

 美由宇は口を堅く横に結んだ。明らかに不快な表情だったが、俺は無視して先導を続ける。
 男は飽きもせずにまだ言葉を続けていた。

「政府や組織の犬、いや寄生虫と言っても良いかも知れません。そういう防壁に囲まれてただただ権益を独占する連中には、私や私の支援組織みたいな正義の集団がいずれ鉄槌を下さなきゃ駄目なんです。
 いや私が学校で莫迦にされたり子供が病気になったのもこの答えに辿り着くためだったのかもしれませんね。
 結局、社会を変革し革命を起こしていくのは私やストーカーの皆さんのような選ばれた人間だけだと思うんです。
 だって子供の重病ですよ?市民の誰だって同情して私の意見に耳を傾けるじゃないですか。それにゾーンで見つかる色々な物を……政府や軍産共同体が隠してる物を社会に公表して行けば、一気に政府の信頼は崩れ革命なんて簡単に起こりますよ。間違いない!」

 俺はやはり、この男の問い掛けを一切無視する。
 案内人は客の事情や境遇に当然深入りはしないし、俺はこの男の言い分を一切理解する気も無かった。連中を希望の場所に案内するだけだ。
 しかし、意見の相違は意外な所で起こるものだ。

「……ぇてぃるじゃない、元々……」

 か細い女の声が俺の耳にも届く。
 丸山が聞き返した、

「え?フエンテスさんなんですって?」

「何が不幸だった、よ。元々恵まれているじゃない!子供だって出来るんだし!」

 女が、美由宇の方が爆発したようだ。
 彼女は子供が産めない。それを何とかしたくて俺にゾーンへの案内を依頼したのだ。
 【青鷹】の持ってきたファイルには10代の頃の彼女の経験と、安易な堕胎による出産能力を失った事まで事細かに記載されていた。その後優秀な夫と出会い不自由ない暮らしを得ては居たが。

「何が選ばれた人間よ!
 あんたが最悪だと思ってた人生にも届かない人間は沢山いるのよ!
 それなのに子供を利用して!
 あんたなんか利用されてるのも解らない、子供以下の大莫迦じゃない!
 子供が作れるのに……子供が……子供……」

「わ、私が利用されてるだなんて……私は選ばれた……」

「うるさい!
 さっき犬や寄生虫と呪った連中以下じゃない!」

「……あ、いえ、とにかくすみませんでした。釈明させて下さ……」

「うるさい!
 いいから黙れ!」

 そして二人とも言葉が途切れた。
 俺は周囲を確認する。港湾部にある<トランペット屋>にはまだ遠い、海岸もまだ見えない。
 典型的なアーケードのついたシャッター街の中央を俺達は歩いている。人が住んでいた頃は閉店してたような店でも照明が全灯しているので昼の様に歩き易い。
 ドラックストアやコンビニエンスストアの様な所に生成物が無いか俺は目を凝らすが、侵入し易い地域でもあるのか既に他のストーカーが獲物を持ち去ったか、あるいは<火の綿毛>が邪魔をして侵入できない店かのどちらかだった。
 もし、<豚の歯>や<子安貝>があれば後は他の生成物を見繕って引き返す事も出来たのだが。
 美由宇が後ろから声を掛けて来た。

「ごめんなさい、大きな声を出してしまって……これもトラブルに含まれるのかしら?だったら契約じゃ引き返す事に……」

 女の声はまだ涙声で、後半はフェードアウトしていった。
 俺は周囲を見渡し、ゾーンの空気が静謐で乱れが無いのを感じ取る。

「ああいや、こちらは問題が無い、今の所。進むか戻るかはあんたら次第だ。」

 客の男も女も幾分委縮していはいたが、俺の言葉を聞いて黙って前へと歩みを進めた。

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   東欧料理店『ティトー』特別応接室・日本

「そういえば沙那さん、あの今回の客───丸山って男は、沙那さんから見たらどんな奴だった?」

「【青鷹】さんも調べたんでしょう?」

「それはそうなんだが、俺は日本の大手メディアやワイドショーってのが良くわからなくて。」

「うーん、そうですねえ……言ってる事は立派ですが、自己顕示欲とナルシシズムの塊、でしょうか。」

「手厳しいね。芝居とかメディアの作った印象とかじゃなくて?」

「それも一部あるでしょうけど、子供の事を切っ掛けにして結局、自分自身が注目を浴びたいだけ、だと思いました。」

ゾーンに入ったのも、子供の治療よりゾーンから帰って英雄視されるのが目的かね……」

「流石にそこまでは解りませんけど。
 ただネットメディアで見る限りは、真っ当な事を言ってはいるんですが、質問や反論を受け付けずにお題目の様に繰り返すんです。反政府デモや反共同体デモの参加動画も有りましたが、何もかもが単調。誰かに吹き込まれたり指示された事をやってる、空っぽの人間ですよあの人。」

「それは俺も同意する、というか、やはり女性は人への観察眼がすさまじいな!」

「って言われますね。しかしなんであの程度の人間が持ち上げられるのが解りません。」

「まあ、大手メディアってのは頭の良し悪しとは別に狂信が入った人間を持ち上げた方が視聴数を稼げるってのが解ってるんだ。前世紀に色んな独裁国家や共産主義国家がやってた手法……
 ……と、そういう事か!」

「どうしたんです【青鷹】さん。」

「奴の支援団体、おそらくは軍産共同体だろうな。」

「え?、今現在、丸山央一が猛烈に批判している巨大国際組織ですよ??」

「だからそういう事なんだよ、社会に対するガス抜きの駒だ。あるいは反政府や反共同体を集めておくための撒き餌。」

「後者は解りますが、最初のガス抜きって何です?」

「どんな社会だって貧困層は出来るし、境遇の悪さからデモや暴動、挙句にテロに走る連中は一定の確率で発生する、こいつは防げない。だもんで境遇の似た、扱い易い、使い捨てのカリスマを用意して、そいつに代弁や反政府活動させるんだ。それをそもそも政府でコントロールするとどうなる沙那さん?」

「……あ!被害や規模をコントロールして不満の解消だけに……」

「で、使い捨ての有名人がゾーンに送られた、って事は……」

「もう用済み!じゃあ【ヴァーミリオン】は!?」

「まああの男の目は沙那さん以上だ。<死神>付きってのに気付いて引き返して来る……と、信じるしかないかな。」

「【ヴァーミリオン】……」

「そういやもう一つ沙那さんに聞きたいんだが。」

「はい。」

「もう一人の女性、フエンテス美由宇の方は?」

「ああ、彼女と似た面影は病院でよく見ますよ。不妊治療に行き詰って、僅かな希望を必死に手繰り寄せる女性の顔です。」

「じゃあ彼女の方は……」

「ええ、諦めて希望を捨ててないので、治療の為ならどんな犠牲でも払いますよ。
 どんなものでも。」

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   極東ゾーン南西<運動麻痺地区>駅前通り

 アーケードを抜けると直ぐ駅前に出た。
 ここから駅に入り、線路に降りてそのまま港湾部へと侵入するのが基本ルートだ。流石に電灯は点いても電車や新幹線が再び動き出すのは無いので、ストーカーにとっては定番のルートになる。
 駅前には来訪当時のイルミネーションが大分残され無人のロータリーや駅舎を照らしていた。

「何これ、綺麗───」

 先程の激昂から口を噤んでいた美由宇が呟いた。
 俺はその言葉に返事をする。

「確かに殆どは来訪前の駅のイルミネーションだが、見えてる中にゾーンの罠も幾つかあるから気を付けるんだ。」

「例えば、どんな?」

「左手奥の柵の上、連続して灯っているのは<消えない蝋燭>。熱さも燃焼速度も弱いが、何かに引火するとその物体を燃やし尽くすまで消えない。ロータリーの中央の時計塔の周囲のライトの様なものは<日焼け照明>、肌を晒すと一か月は赤や茶色や、時には青緑と変色する。とりあえず健康には害は無いが……」

「それでも綺麗……私たち以外誰もいないイルミネーション。」

 それ以外の照明と罠との区別を付けて、駅舎から線路に出るルートを模索する。思った以上にランダム・エンカウント―――無作為に生じるトラップが駅周辺には多い様子だ、駅の構内はどうだろう?
 美由宇の方は立ち止まって光の芸術に心を奪われている様子だった。それに対して丸山は、この夜の駅前で四方八方を見渡し、何かを探している。
 そして男は俺に話しかけて来た。

「あの【ヴァーミリオン】。」

「どうした?何か質問でも?」

「あの、あそこの上の方にある黄色い光も、ゾーンの生成物ですかね?」

「……ああ、あれは……普通の街灯だな。」

「ああ、<黄金の球>では無いんですね?」

 俺は少なからず動揺するが、それを表情や仕草に出さず、ルート確認にまた視線を移動させる。

「<黄金の球>……【ヴァーミリオン】は見た事あるんですか?あるいは仲間の誰かが、」

「そんなものは都市伝説だ。ネットやアングラの創作だろうよ。」

「私は、子供の支援者から、それも資産家で信頼できる方から聞いたのですが……」

「あんた。あんた自身が”ゾーンの情報は隠匿されている”と主張していたんだろう。金持ちだろうと大統領だろうと皇帝だろうと、ゾーンの内情で外に漏れ伝わる事なんて実際8割方が流言飛語の類だ。生き残る事と、目的のモノ以外は気にするんじゃない。」

「しかし……」

 その会話に美由宇が割り込んでくる。

「何?その<黄金の球>って?」

「はい、<黄金の球>あるいは<願望機>という代物らしいです。ゾーンの一番奥に在って、その場所に辿り着けばあらゆる願望が叶えられる、と。」

「……と、言う都市伝説だな。二流の作家や映画監督が思い付きそうな幻想譚、だ。」

「そうね、でも確かに魅力的で人を惹き付けるのは解るわ。」

「……じゃ、駄目なんです、私にとっては……」

 丸山は何かを呟いたが、前後がよく聞き取れなかった。
 そしてルートは決まった。

「真っ直ぐは行かずにロータリーを大きく迂回するコースを取る。
 あそこに見えと思うが、地上50㎝から幅100㎝くらいの、光のカーテンの様なイルミネーションが続いているのが見えるか?あれが<剃刀カーテン>だ。
 一旦、あの手前の所まで移動して、その<剃刀カーテン>に沿って駅舎に入れば、他のトラップの類は無いはずだ。」

 説明を聞いた二人は俺の後ろに付いて歩き出した。

 間近で見る夜の<剃刀カーテン>はどんなイルミネーションよりも印象的に見えた。
 コンサートやイベントなどで、銀紙や金紙で作られた紙吹雪が宙に舞っているのを見た事があるだろうか?周囲の照明を反射して、舞いながら落ちてくる銀紙が明滅する。見た目はそれを思い出して貰ったら良い。
 それが地上50cmから、幅100㎝程の帯状に空中に伸びており、その反射する金銀の紙状のモノは、肉眼では生成される所も、舞い落ちて消えて行く所も確認出来ない。

「これも綺麗ね、危険なの?」

「近づかなければ安全だが、触れれば最も危険な部類に入るだろう。」

 俺は懐から新品のナットを一つ取り出した。

「見ていてくれ。」

 俺はナットを目の前の<剃刀カーテン>に投げてみる。
 そうすると肉眼でも判別できる現象が目の前で起こる。
 鋼製のナットが豆腐かチーズの様に、真っ二つに断ち切られた。その半分になったそれぞれがキラキラ光る紙状のモノに触れると、また二つに、そして四つ、八つと、次々に細切れにされて行った。
 いわば<剃刀カーテン>の名前の通り、この帯の中を舞う光る紙状の存在は、鋼鉄だろうと、おそらくダイヤモンドだろうと何でも切り刻む刃という事だ。

「……確かに、近づかない方が身のためね。」

「その代わり、<剃刀カーテン>の周辺には他のトラップが存在しない。沿って進めばもう駅の構内だ。」

「わかったわ、行きましょう。」

 そして俺と美由宇の二人は歩き出した───そう、二人。
 丸山央一は、その光の帯<剃刀カーテン>を見て立ち止まっていた。

「どうした?怖気づいたか?まだ半分を超えた所だが。」

 丸山は、今までとは打って変わってこちらを見ずに、ぼそぼそと呟きだした、

「そうなんです、解ってたんです。私の子供は何千万掛けた薬でも何億円掛けた手術でも、絶対完治せずに、また更にお金が必要になってたんです。」

「また口数が戻ったか?別に喋るのは構わないが、先に進みながらだ。」

「いえね、さっきフエンテスさんが言ってた事は私も解ってたんです。
 もう途中から子供の事は口実になってて、自分自身が注目され、持ち上げられる事に中毒になってたんです。」

「別に、メディアや動画に出てる連中ってのはそういうのが大半だろう。気にする事は無い。何にせよ、あんたは子供を救いたいはずだ。」

「それが、多分駄目だと思うんです。
 最初に使った薬も、次に行った手術も、支援者から”必ず助かる”って言われて、上手く行かなくて、それでまた次の治療、今度は前回の倍額のクラウドファンディング、と、規模が増えていくだけなんです。」

「それも良くある手口だろう。今度は自分がゾーンから生成品を持ち帰って救うんだ。」

「それも多分無理です。
 外に持ち出してしまえば必ず妨害に合います。支援者とメディアが手のひら返しをするでしょう。おそらく”金に換えて、欧米で手術をした方が、正体不明のゾーンの物を使うより確実”と、私から持ち帰ったものを取り上げるはずです。
 そして私はそれに抵抗出来ません。<黄金の球>みたいに願うだけなら良かったのに。」

「この機に手を切れば良いだろう。」

 丸山央一は、ゆっくり首を横に振った。

「もう何もかも手遅れです。
 フエンテスさんが言ったように、私は結局、支援者とマスコミの都合の良い寄生虫でしたから。寄生が出来なくなれば妻も子も守れません。
 【ヴァーミリオン】、貴方のチームはメンバーが脱落しても、取り分を遺族に分けてくれる、と【青鷹】氏から聞きました。」

「ああそれはそうだが、あんた、何を考えてる。」

 俺と美由宇に顔を向けたその男は、涙を浮かべながらも微笑んでいた。
 そして俺の目には、<死神>に憑りつかれた特徴がありありと見て取れた。

「もう私はここまでになります。
 【ヴァーミリオン】貴方はゾーンがずっと地獄だと言っていたけど、あなた方二人とここまで歩いて来て……メディアに流されていた時と違って、こんなに気持ちが穏やかなのは久しぶり、いや初めてでしたよ。」

「別に、軍産共同体やメディアの枠組みに寄生せずとも、生きる方法など幾らでもあるだろう。」

「それはストーカー、あなた方の様な元から強い人間として生きて来た人種だけです。
 では、すみませんがこの辺で。」

 そこからはスローモーションに見えた。
 俺は一言「見ない方がいい」と、金縛りにあっていた美由宇を強引に抱き締め、その場面を視ないように顔を俺の胸元に押し付ける。
 丸山央一はまるで柔らかなベッドにでも倒れ込むように、両手を広げ<剃刀カーテン>に倒れ込んでいった。(続)

拓也 ◆mOrYeBoQbw

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