メメント・モリ短篇集 Ⅲ.Re:
件名: 研究室配属と近況報告
宛先: 支村 六郎
送信者: 多仁山 寛
支村さん、お久しぶりです、
電話でも御報告したとおり、志望の研究室に配属されましたので重ねてご連絡申し上げます。
支村さんもN大学の大学院に行かれてから半年近くになりますが、その後のお元気でいらっしゃいますでしょうか?
ゼミ時代には有り難うございました、位相幾何学の面白さに気付いたのも支村さんと一緒のゼミだったからです、本当に有り難うございました。
ところで、生物科から転科して来た、平坂那美香という女性を覚えておいででしょうか?
彼女も私と同じ研究室に配属されたのでが・・・・彼女の数学センスには正直舌を巻きました。
超幾何関数の代数的解釈など、彼女が配属から数ヶ月で纏めた論文は
私がLATEXで.pdfに整理して、このメールに添付したので
是非、支村さんのご意見や見解も返信して頂ければ何よりと思います。
彼女自身は、メーリングリストや若手数学院生との情報交換はやっていないようなので
私が彼女の才能を是非数学界に広めて行きたいと思います。
ここだけの話、支村先輩にはお話致しますが、
彼女には個人的な好意も抱いておりますので・・・・・
では返信お待ちしております。
多仁山 寛
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件名: RE: RE: 研究室配属と近況報告
宛先: 支村 六郎
送信者: 多仁山 寛
支村さん、貴重なご意見と詳細な論文添削ありがとうございました。
支村さんがここまで詳細な解析画像とLATEXで論文を纏めて返信してくれるとは思いもよらず、
私自身、数式の理解に手惑いこの返信が遅れてしまった事を最初にお詫びいたします。
彼女、平坂は印刷した支村さんの添削を直ぐに理解し、
先輩のアドバイスの通りに関数の離散多次元展開に挑んでいる所です。
先輩も彼女も、私がまだまだ届かない数学の高みに居られると思うと、
自分が情けない反面、私の精進の原動力にもなっております。
彼女とは、前回先輩にメールを送った後にお付き合いする事を確認し、
先週の事ですが、彼女の故郷である福井県の方に小旅行に行ってまいりました。
彼女の故郷とは言っても、彼女は幼少の頃から家族がおらず、
福井の方の孤児院で育ち、奨学金を貰って大学院にまで進学したそうです。
この境遇を聞いて、私は彼女の才能と知識が世界に認められるよう、
全身全霊でもって彼女を支える事を心に誓いました。
福井の旅行ですが、海産物や若狭湾の情景を楽しんだ他に、
彼女は”八百比丘尼”の伝承地を好んで巡っていたようです。
先輩は八百比丘尼伝説をご存知でしょうか?その名の通り、800年生きた尼僧の事だそうです。
伝説ではその土地の長者の娘が、16歳の時に宴会で人魚の肉を食べ、その後不老不死になったという話で
”白雉5年(654)に生まれ、宝徳3年(1451)に京都を訪れ、その後に小浜へ戻って800歳で入定(要するに即身成仏)となる。”
という伝説が残っており、彼女とはその由来が伝わった空印寺というお寺や、八百比丘尼が入り即身成仏となった洞窟も見物して参りました。
数学の素晴らしい論理的思考や実存論を持った彼女の趣味にしては非常に意外でしたが、
そう言った慣れ親しんだ風土や想い出、と言うのは、思考形態とは別に、身体に染み付いてる様なものかと、
今回の旅行で感じた次第であります。
私も旅行の後に少し気になって、八百比丘尼に関して文学部の図書館やネットで調べてみましたけど、
不老不死伝説とは別に、論理的な説に巡りあいましたよ。
八百比丘尼は個人ではなく、沿岸部を放浪する非定住民の子女を指す言葉で
幕府や藩、士農工商にも属さない為に正式な記録は残らず、
舞踊や歌、軽業、占いあるいは貞操を売る―事を生業とした一族で
歌舞伎の始祖で有名な”出雲の阿国”も呼び名が違うだけで同様な一族だったと言う事です。
それが定期的に定住民と関わるので、歳を取らない女=不老不死の八百比丘尼となったと言う説です。
他にも異説が有るようなので、もう少し調べてみたいと思っています。
後半の方は私信と民俗学になってしまいましたが、
彼女が新たな論文を纏め終わりましたら、私が電子化して送信いたしますので
再びご指導の方宜しくお願い致します。
では失礼致します。
多仁山 寛
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件名: RE: RE: RE: RE: 研究室配属と近況報告
宛先: 支村 六郎
送信者: 多仁山 寛
支村さん、度々のメール大変申し訳ありません。
今回は那美香の論文ではなく、私個人で相談したく思いメールを送りました。
支村さんが新たな論文を心待ちになさってるのは前回の返信で心得てますので 非常に心苦しいのではありますが、
私が相談できるのは支村さんしかおらず、是非ご理解願いたいと思います。
恋人同士とは言え那美香に相談できないのは、メールを最後まで読んで頂ければご理解して頂けるかと・・・・
以前の私のメールで八百比丘尼の話と民俗学的考察を送ったのを、覚えておいででしょうか?
確かに一般的な学説なので筋の通った話ですし、記録でも裏付けが幾つか存在しています。
しかし、私はその後にもう一つの可能性を考えてみました
「本当に800年間、不老不死だった少女が存在していたら?」
という一つの仮説です。
不老不死――ファンタジーやホラーや陳腐な映画でしか語られない荒唐無稽な妄想――を私が改めて考えたのは、
それにも幾つかの裏付けとなる事実が、しかも記録ではなく科学的事実があるからなのです。
まず、生物や遺伝子が現れた原初には「生物に寿命と言うものは無かった」という事実です。
今現在も単細胞生物には寿命が存在せず、老化無しに永遠に細胞分裂が可能な物が有ります。
”寿命”は生物にとってはあくまで後天的なものであり、ミトコンドリアとATPによる熱生成、活性酸素の取り込み、多細胞生物化と、生物が進化し活動範囲を広げていく過程で取得していった能力の一つに過ぎないのです。
特に”寿命”を持つ決め手となったのが、交配によって生物が次世代への世代交代で進化していく、という選択をした時だったと言われます。
今の人類が科学技術を高めて、一個ずつ不老に向けて医学的問題をクリアしていくには・・・・
活性酸素、ビタミンB6~12の欠乏、テロメアの減少、細胞の癌化、ミトコンドリアによる細胞破壊、と
おそらく我々の寿命どころか、人類の種としての寿命をギリギリ使っても可能かどうか難しい所です
が、逆に”寿命”が生物が進化で獲得して行った一つの能力と考え、
それを「捨てる事が」可能かどうかで考えてみたらどうでしょうか?
今の生物は進化の手段として”世代交代と固体の寿命”を選択しました、
では”捕食と自己進化による無寿命”を選択してきた存在が地上に残っていないのか?
可能性があるとしたら、人魚の捕食によって不老不死になった八百比丘尼、です。
原因はタンパク質か酵素か、あるいは今の人類には分離出来ない有機物かもしれませんが、
人魚の肉が、それを食した少女に”自己進化による無寿命”を与えたと考えられます。
・・・・・話がここに至って、頭の回転が早い先輩なら、私が那美香に相談できない理由に
なんとなく見当が付いて来たのではないかと思います。
私は彼女の部屋に泊まって彼女が寝静まった後、
生物科に居た頃の彼女の研究内容を、黙って閲覧してしまったのです。
そして、私が理解しうる部分を、今このメールでお伝えしたのです。
彼女の生物科での研究の最後には、私には理解出来ない重合有機分子の構造式が書かれ、
その構造の特定の為に、今、那美香と先輩が挑んでいる多次元超幾何関数の完全解が必要だと思われます。
そして私にはもう一つ、頭にとり憑いた不安が一つ有ります。
那美香が解析してる有機物は、何者からか取り出されたサンプルであった、と言う事です。
それが何者から取り出されたのか・・・・・・確かめる手段は存在しますが、今の私はとても実行出来そうにありません。
またメール致します。
多仁山 寛
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件名: RE: RE: RE: RE: RE: RE: 研究室配属と近況報告
宛先: 支村 六郎
送信者: 多仁山 寛
支村さん、私はもうこの状況に耐え切れない様になってきました。
先日、那美香と喧嘩をしました、
私が投げたウイスキーか何かの瓶が彼女に当たり、彼女は額から出血しまたのです。
しかし、数秒程で出血は止まり、私が強引にタオルで拭いたら、傷痕は残って居ませんでした。
私は、あの有機物のサンプルの宿主が誰か確かめようと思います。
過去に少女が八百比丘尼になった方法と同じ手段をとります。
結果がどうあれ、私が再び平穏に支村さんと再会できる事は無くなると思います。
今まで本当にありがとうございました。
多仁山 寛
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件名: RE: RE: RE: RE: RE: RE: RE: 研究室配属と近況報告
宛先: 多仁山 寛
送信者: 支村 六郎
多仁山君、僕は最後の希望を持って、君のアドレスにメールを送ります。
警察は研究室の血液が那美香君の物であった事から、多仁山君を指名手配していますが、
生命の危機に陥っているのは多仁山君、君の方だと確信しています。
仮に、多仁山君が既にこの世のもので無かったとしても、
このメールを確認しているであろう那美香君、彼の遺骨か遺品を、
彼が生きた証拠として僕や彼の家族に送って下さい。
那美香君が、多仁山君を利用して僕に計算の答えを出させようとした事は解ってます。
彼と恋人になった後に、彼にわざと不老不死の知識を植え付け、自分に協力を求めましたね?
でも君は人の心の弱さを見誤りました、人知を超えた存在に人は恐怖します。
多仁山君の遺品を送って貰えれば、
那美香君が永遠に生きる苦しみから逃れる事の出来る、
有機物を分解するタンパク質の構造計算を手伝いましょう。
では返信を待っています。
支村 六郎
by 拓也 ◆mOrYeBoQbw(初出2013.07.06)
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