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3つの掌篇 Ⅰ.二人の善王

Ⅰ.二人の善王

 もう3000年かそれ以上昔の話です、現在中東と呼ばれる地方の一つの三角洲に集落と村が集まった王国があり、カイン王とアベル王が2代に渡って治めておりました。
 二人の王は兄弟だったとも親子だったとも血縁が無かったとも言われますが、ここは伝承の通り兄弟と言う事にしておきましょう。

 兄王カインはそれまでの狩猟と戦というこの地方の生業を改め、エトルリアという高原から小麦と言う穀物を取り入れ、更に進んだウル、カイロという土地から暦法と灌漑術を導入し、三角洲を大きな農耕地としました。
 農耕の導入により、数個の集落の人口が劇的に増え、噂を聞いた周囲の集落もカイン王による統治を望み、狩猟に頼ってた頃の様な戦乱は一気に減少していきました。
 狩猟を生業にしていた頃は、集落の人口が増え野獣や海産物が減り始めると、集落を分けて別の土地に移り住むか、あるいは別の豊かな集落を襲って新たな猟場を得るかのどちらかしか無かったので、戦乱により人口も一定以上増える事が無かったのです。
 国を大きくして人を増やしたカイン王は善王と讃えられました。

 カイン王が無くなり弟王アベルが即位しました。
 アベル王はカイン王を尊敬し、更にカイン王の治世の欠点であった不作の対策、乾季の対策に取り組む事にしました、
 牧畜の導入です。
 ヤギや羊、馬など過去に狩猟の対象だった獣を人の手で育てる事にしました、既にカイロでは猫、犬といった獣を手なずける手法が確立していたので、これも取り入れる事にしました。
 これで土地が痩せる乾季でも肉や乳などの食物を手に入れる事が出来ましたし、皮や毛皮の安定供給も可能になり、白く雪の積もる山々を越えて遠くの地まで探検し、異国の村々と交易する術も発展し、黄金や銀も豊かになりはじめました。

 さて、皮と小麦を北方の村で黄金に変えていた時の話です、土地の者が王国の交易人に問いました
「今の王はなんと言う名だ?」
「アベル王だ」
「その前の王はなんと言った?」
「カイン王だ」
「どちらの王が素晴らしい王なのだ?」
「それは解らない、帰って皆で話してみる」
 交易先でのこの会話が、王国で大きい議論を巻き起こしました。

 戦を減らし集落を寄せ集めたのはカイン王だ
 否、人々は水源と良い耕作地を巡ってまた争い始めた
 アベル王こそ牧畜で良い耕作地の無いものを助けた
 否、いずれ良い牧草地と良い家畜を巡って争いが起こるだろう
 カイン王こそ暦法と灌漑法で数学と自然に対する知識を広めた
 否、自然を測り粘土板に刻むなど神への冒瀆である、現に数学を進めても不作は起こる
 アベル王は国に金銀をもたらした、貨幣で不当な商売が減ったではないか
 否、金銀の価値も人が盲信するゆえの作られた価値である、神から見たら路傍の石と何の変わりがある?

 アベル王は存命でなおも賢王であられました。大臣や家臣がひた隠しにしたこの市井の議論も程なくアベル王の耳に入り、王はこう述べられました。
「私の死後に、私は兄王によってもう一度殺される事になるだろう、その後には私か兄王のどちらかが暴君として語られるに相違ない。しかし兄王や私を慕う家臣よ、人民よこれは悲しむべき事ではないのだ、私は喜んで暴君、殺戮者、破壊者の汚名を被ろう、兄王も存命ならそれを望んだはずだ。」
 多くの家臣は動揺して王を見るばかりでありましたが、重臣セトは一人涙を流しておりました。

 現在に伝わっているのは、次王となったセト王の御世から伝わる、弟殺しのカインと無辜の弟アベルの物語だけであります。

by 拓也 ◆mOrYeBoQbw(初出201304.15)

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