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3つの掌篇 補遺Ⅱ.災禍の日

補遺Ⅱ.災禍の日

 目が覚めて8月18日がまた始まる。
 それは終わらない一日、私が152日ほど繰り返してる変わらない目覚めだった。
 その日は夜半の雨があったものの、夜明けには既にその雨が上がり、湿気を含んだ土は単なる晴天よりも蒸し暑さを含んだ肌にまとわりつく熱気になっていた。
 お盆も終わり親戚や甥っ子たちが本家である我が家を去り家路についた後、また無駄に広い母屋に独りとなった静けさと少しばかりの親族達の名残を感じていた。

 既に100回を超えた頃から、最初の日に自分がどう行動して、何を見聞きしたかは正確には忘れてしまっていた。
 徐々に説明していくが、記憶以外の物理的な事象や天気などの自然現象、あるいは他人の行動は全てループしていた。何らかのメモやデータを記録として残そうと試みたが、次の目覚めで書いたメモは白紙のページに戻っており、データは消えていた。
 記憶が残るなら、と思い自分自身の身体に何か残そうと思い、手のひらや身体にメモを取ったり、思い切って入れ墨として消えないようにしようと試みたが、やはりそれも次の目覚めで消えていた。

 初めの数回のループは戸惑ったが、上記のように肉体的な変異がリセットされる事を確認したため、それから数日は自分が不老不死になった気分を味わった。
 人間が専ら想像しているのは、人生の絶頂や幸福な時間で時を止める不老不死なのである。私もまたこういった平凡な日における不老不死になるとは思いもよらなかった。数日をもって私は時間の牢獄に閉じ込められた事を思い知った。

 そしてループの開始から一週間ほど経った後、この現象の原因と時間の牢獄から抜け出す方法を模索して行く事になった。
 まずは最初に書いたように、記録を残す事を何度も試みたがこれは徒労に終わった。ループしているのは記憶の連続性だけであった。
 そして次は現象の原因を考え始めた。調べる時間はたっぷりあったので、何度も図書館に通い、ネットを調べ、あらゆる”時間と空間”に関する知識を学んだ(時間は十分過ぎるほど有った)。最終的には関連論文を即座に読めるほどの知識と理解力を得たが、当然ながら現象の答えに至るものはその時点で世界には存在せず、私が独学で時空間の問題を解決するには、この一日で家財を用い月にまで到達するような労力が必要だというのも、紛れもない事実であった。

 次に原因と考えたのは、記憶と夢の問題だった。
 つまりは自分の8月18日の記憶だけがループしており、尚且つ実際の自分の肉体はベッドで植物状態か、一種のバーチャル・リアリティを体験してる、という仮説だった。
 これに関しては一般的な矛盾は解決するように思えるが、物理的な再現性と記憶の鮮明さに疑問が大きく残る解法である。
 私は実験として、車や電車を使い様々な観光地やショッピングモールに移動し、そこで出会った人間と会話して、それを(どんなに遠くへ移動しても自宅で目覚めた後)数回繰り返して再現性を確認した。
 結果として、物理現象と同じく人々の行動も殆ど繰り返されているのだった。まずこれは私の持つ記憶の容量では、これだけ広域の場所や人物を記憶し、再現する事は不可能だと結論付けた。バーチャル・リアリティも記録量の大小の差はあれども、無数の場所や人間を再現するのに、どんなスーパーコンピューターと記憶素子を用いても不可能な天文学的データ量と計算出来た。

 どうやってこの時間の牢獄を抜け出すか?
 100%を物理と数学で解決する事は不可能で、100%を記憶と心理学で解決する事も不可能だった。しかし一つの結論として、特定の時間線分を、宇宙全体の時間の流れから切り離すのは膨大なエネルギーと極めて精密で高度な論理が必要だろう、という雲を掴むような事柄であった。

 アインシュタインの特殊相対性理論を超えるエネルギー。
 今の人類の科学だと、「ワームホール仮説」と「ブラックホール物理」の二つしか存在しない。しかしそれも、前者のワームホールはプランク=ホイーラー長の半径(つまり素粒子一個分の最小の大きさ)が限界であり、ブラックホールに関しても人類の保有する量子加速器を最大限に利用しても、数兆分の1秒~あるいはそれ未満の時間しか維持出来ない、極小ブラックホールが可能かどうか、というレベルであり人類の限界を思い知る事になった。
 しかし私は37日目頃から、科学誌やネット情報を調べて最近の、あるいは数か月以内に行われる予定の量子加速実験、更に超新星爆発や中性子惑星同士の衝突といった、僅かでも巨大エネルギーを発する現象を収集していた。
 私のこの徒労は30日以上に渡って続く。その行動は結果的に無駄にはなったが、時間の牢獄の中では、可能性の模索こそが今の所最大の幸福であり、私の正気を維持するのに最も役に立っていると感じる事となった。

 69日目、私の発想と行動のブレイクスルーになったのは予想外の出来事だった。
 時間が繰り返す事のメリットは肉体の健康が安定する事ともう一つ、手持ちの資産が全く減らず食事や旅行などで資金が自由に使える事があった(しかしどんなに遠くで眠りに落ちても、翌日元の部屋で目を覚ましていた)。
 素粒子物理学のある国立大学で、理学部図書館に入り浸った後、夕暮れ近くの閑散としてる学生食堂で、コーヒーを飲んでるその時の出来事である。
「証明の結果が合わないけど、何処で間違えたかな?」
「見せて頂戴・・・・20枚分の証明ね。ゼミは明日だから、気になる所を検算しましょう、私も手伝いますよ。」
「うん、助かるよ。この証明が明日のゼミの中心だから、答えが合わないと先に進まないからね。」

 おそらく数学のゼミの準備をしていた男女の会話だったと思う。自身でゼミの講義をする為に既に解かれている証明を、自分自身で解決して授業でポイントを理解する予習をしていたのであろう。

『正しい結果は決まってる』

 これは私にとっては一つの天啓であった。
 元々巨大なエネルギーや心理学的要素、バーチャル・リアリティが時間をループさせていたのではなく、私が因果律に従って、原因を探るのに研究をして行った事は無意味な事だったのである。

『正しい結果は決まっている』

 私が今まで69回繰り返してた時間軸、それぞれの1日は全て次の時間に繋がらない1日だったのである。
 そして〈時間〉そのものが、私に正しい歴史~時間軸に戻るようにこの状況を作り上げていた。

 私は20世紀前半の南米のとある作家が書いた短篇を私は思い出していた。
 それは架空の人物が書いた架空の短篇を論評するという奇妙なもので、テーマとなるその短篇はタイトルのみ、本文は1文字も書かれていない。
 しかし、その架空の短篇は『一つの結果に対し、過去が無数に分岐している』というものだった。
 同一人物達がそれぞれの分岐で違う場所、違う組み合わせ、違う行動を行い、結末だけは全て同じという架空の小説である。いわゆるパラレルワールド物語の原型となったものである。

 今までの事から総合すると、私の存在する〈時間〉は、そこまで多岐に渡る分岐世界を”許さない”という結論に、それから10日以上掛かって到達した。
 少なくても私の存在する〈時間〉は巨大な川の様に一本の本流が存在し、中で生きる人間や物質はその本流から外れる事はないのだろう。
 しかし川と同じように、土手の決壊や偶然の流れのせき止めによって、巨大な川が大きく形を崩すことがあるのだ。それは蟻の一穴の水漏れ、あるいは川底に引っかかった一つの石が切っ掛けなのである。

 そして、その小さく空いた穴、あるいは川底の石を処理するのに選ばれたのが私であり、用意されたのがこの時間の牢獄だったのだろう。
 〈時間〉が膨大な分岐や、本流の流れを大きく変えるエネルギーと比較すれば、僅かな手間と浪費に過ぎない、そういう事である。

 この結論は一見絶望的でもある。つまり数学の問題と違い結果=正しい未来が分からない状況で私は正しい行動を起こさなければいけないのだ。何千年、何万年この時間の牢獄に閉じ込められるか予想がつかない。
 しかしここに至るまでの試行で判明した事がある。私とこの1日の持つ”可能性”は有限だ。
 いずれこの牢獄からまた〈時間〉の本流に戻れる事は確定した事実なのである。

 そして152日目、私は全ての仕上げに掛かっていた。
 沙漠に住む一人の男のスマートフォンに、位置情報を特定するアプリケーションをウイルスを使ってインストールさせた。アカウントのIDはネットの海に流した。
 あと数時間でまた私は眠りにつくが、この眠りの後には待ち望んでいた8月19日が訪れるであろう。

 おそらく151日のループの記憶や私が得た知識も、〈時間〉が徐々に消していくと思う。この貴重な経験を失うのは名残惜しくもあるが、これからの日常の事を思えばある種、忘却が救いであるとも思うのである。
 この文章も数日は残るだろうが、データにせよ印刷するにせよ、〈時間〉の前には無駄な抵抗であるのは予想できる。しかし南米の巨匠の物語同様、私の心の慰めとしてこの文章を完成させて眠りにつこうと思う。

【エピローグ】

 2016年3月27日。シリアの世界遺産・古代遺跡パルミラがテロ組織の支配から解放された。
 テロ組織は前年の8月18日に管理していた考古学者を処刑し、バール・シャミン、バール両神殿を相次いで破壊したと公表。目撃情報も相次いだが、
 パルミラ開放後、情報に有ったような大規模な破壊は確認されず、何らかの理由でテロ組織が遺跡周辺から急遽撤退していた可能性が言及された。

by 拓也 ◆mOrYeBoQbw(初出2016.06.10)

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