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「ブレードランナー 2049」

原題: Blade Runner 2049
監督:ドゥニ・ビルヌーブ
制作国:アメリカ
製作年・上映時間:2017年 163min
キャスト:ライアン・ゴズリング、ハリソン・フォード、ロビン・ライト、ジャレッド・レト、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークス

 圧倒的な近未来映像美と映画館であるからこその音響効果、これらはプロジェクタ等でのホームシアタで持ってしても再現不能。
 全てを拾い上げると膨大な数になる伏線と台詞に代わって表現する映像諸々。当初163分の上映時間を懸念してすぐに観に行かなかったが、実際はこの163分を長時間とは全く感じさせない。それはまるで長いマーラーのシンフォニーのよう。結果としては二回観に行ってしまった。

 この映画の中では極めて「人間」の登場が少ない。上記写真左から「人・フォログラム・レプリカント」だ。『2049』ではフォログラムであるジョイとレプリカントのラブが話の中で「感情」を介してぶつかり合うシーンは主題にも被っていく。

 レプリカントであるラブが人であるジョシ警部補との対峙シーンではラブの非情、冷徹さが際立ち、第二次世界大戦時のナチを彷彿とさせる。
 約一年前のnewsに人工知能ロボットが「OK, I will destroy humans.」と背筋が寒くなる発言をし世界を驚かせたことがあった。Hanson Robotics社「感情を表現するロボット」には60種類を超える多様な表情がプログラミングされ会話をしながら更に学んでいくことが謳われていたのだ。2014年にはホーキング博士がBBCのインタビューにて「完全なAIの開発は人類に終わりをもたらすかもしれない。ゆっくりした進化しかできない人間に勝ち目はない」と発言。決してブレードランナーは絵空事ではない世界となっているからこそ2049版は第一作とは違う危機感をも伝えてくるのだろう。

 この木から話は展開していく。
 K(ライアン・ゴズリング)は農場で働いていた元脱走兵レプリカントのサッパー・モント宅の木の元に埋まっていたケースを回収する。その中にあったのは、女性のレプリカントの白骨。また、この木の根元には「61021」の数字が刻まれていた。その数字が意味する事、そしてKが持っている木馬の足に刻まれた同じ数字「61021」の重複。

 冒頭、太陽パネルに埋め尽くされた絵をはじめ、太陽光が遠いこの世界の色彩がそれほど奇抜或いは言葉を変えて異様と映らないことが寧ろ怖い。

 現実社会で新緑が溢れ力強くなっていく5月初旬は「緑が眩ゆく」映るように、映画がこの仮想の「眩い森」にシーンが移った時にこれまで如何に自然と離れた世界だったかを知らされる。いつの間にか彩度を失った世界にさえ慣れてしまう人間。

 『人間とは』を問い続けるブレードランナー。彼が大事にする「一つの記憶」の真意。それは彼にとって答えを導く大きな手立てでもある。それがオリジナルの記憶なのか、作為的記憶なのか。

 大人の事情で親元を離れて施設で育った人は幼い頃の記憶が極端に少ないという。脳の深層には刻まれている記憶であっても呼んでくれる大人がいない場合は月齢時、幼稚園前の記憶は「自ら」の記憶であっても実際限界がある。レプリカントでなくとも自らの記憶はどこまでが真実かなど確認は出来ない。
 レプリカントのKが記憶を辿り「出自」に拘るほど『人間とレプリカント』の境界がまた曖昧になっていく。

 初代ブレードランナーと二代目。

 ハリソン・フォードをずっとスクリーンで観ている所為で現在のハリソン・フォードを基点にするが、御年を知っていながらもこうして振り返ると随分と年齢を重ねられていたのだと改めて認識。

 流石にこうしたアクションシーンは切れ味が無く、残念ながら観ていてこちらが辛くなる。この老いも演出とするのであれば別だが。

 Kが導き出し納得した答えの崇高さ。これは前作のロイに通じるものがある。最後の最後まで観客は問われ続けながら映画は終わる。
 個人的にゴズリングにとって「ラ・ラ・ランド」が上書きされこの映画が彼の代表作の一つとして残るだろうことがうれしい。
★★★★☆
 





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