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「わたしは、ダニエル・ブレイク」

原題:  I, Daniel Blake
監督:ケン・ローチ
製作国:イギリス・フランス・ベルギー
制作年・上映時間:2016年 100min
キャスト:デイブ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ

  機能しない公機関における福祉行政へ拳を上げた映画。
 ケン・ローチ監督は見逃すことが出来ない社会問題なのだとインタヴューで答えている「弱者救済システムの無機能化」。
 映画の中では、明確に「医療機関」にて心臓病の為に仕事をしてはいけないと云われた主人公が働きたくとも「働けない期間」だけの経済援助を受けようとする姿を描く。
 冒頭の意味がない電話での「受給資格確認」が第三セクターであるところから始まり、繋がらず長時間待たされ無意味なオルゴールを聞かされるサービス案内電話。見ていても他国のことではない苦笑の親近感映像だ。

 出向いた役所ではこの映画のもう一人の主人公シングルマザーケイティが援助を受けられず門前払いされる場に立ち会う。
 当初は弱者救済のシステムとしてそこそこは機能していたのだろう。しかし、日本もそうであるよう資格が無い人が援助を受け続けていくとシステムは歪んでいく。正しい援助をしようとルールを見直せば見直すほど、そのルールは「救済の為」から離れ「(悪意ある人を)はじく」ことに力注がれ、本来受給資格ある人が援助を受け辛くなっていく悪循環。映画は正しくこの部分に多くが割かれている。

  二人の子を抱え住居のみ辛うじて確保しながらも生活に追われるどころか「食べる」ことさえままならない彼女を自身もまた援助が必要なダニエルが実質生活から精神面まで支えていく。飢餓はアフリカだけで起こっているのではない事実にいたたまれない。食べるという基本的欲求が脅かされ彼女は尊厳まで失いかけそうになる。

 絶食が続いていた彼女はダニエルに連れてこられたフードサービスで倒れる。ダニエルは「君は少しも悪くない」と労わるシーンは弱者を弱者が支え単に映画の世界ではなく現実がそこにあることを伝えてくる。

 日本でも食べることに困難な人へのサービスが広がっている。ニュースで児童への食事提供を知った人も多いはずだ。一見自由な社会の元皆が満たされているような中、衣食住そのものに困難な人が生まれている格差社会はイギリスだけなく日本もまた同じだ。
 映画の中で人種を越えて描かれる「隣人」がこの厳しい映画の中で救いだ。
 *補足:食べることに不自由な人々にとって女性の生理用品購入は優先順位で落ちてしまうことがリポートされている。その為に女の子たちが学校へ行かれない期間が生じていると知る。この映画の中でもケイティが食品の他に生理用品をフードセンターで択ぶシーンが描かれていた。
★★★★

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