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「ベイビー・ドライバー」

原題:Baby Driver
監督:エドガー・ライト
制作国:アメリカ
製作年・上映時間:2017年 113min
キャスト:アンセル・エルゴート、ケビン・スペーシー、ジェイミー・フォックス、ジョン・ハム、CJ・ジョーンズ、リリー・ジェームス、エイザ・ゴンザレス

 英語が母国でないことがとても致命傷であり悔しかった作品。
 というのも曲というよりもシーンによっては音楽「フレーズ」ごとに演技を合わせたシーンが続く、それは単にrhythm(=ノリ)を合わせているだけではなく当然歌詞も台詞の一端を担っている筈。そう考えると詳細な歌詞が解らないことには全てを理解出来ず歯痒い。
 「ラ・ラ・ランド」を引き合いにレヴューしている人が居るが、それは見当違い。ミュージカルでは俳優自身が歌うがこの映画では溢れるほどの音楽が台詞同様に「俳優の力を借りず」に存在している。内容も深みも無かった「ラ・ラ・ランド」と同等と取られると納得いかない。

 上記写真冒頭シーンが予告でも使用され一番カーチェイスでは目立つシーン。これ以降はこのシーンを超えることはないが「全編」カーチェイスの必要もなく配分としては申し分ない。(*とても個人的な発言:我家は父の代からスバルである。現在の私の車も然り。それも今時のマニュアル運転で周囲には呆れられている。スバルが『富士重工業』から2017年4月1日付で、社名を「株式会社SUBARU」に変えたことは海外での評価の高さが背景にあった。富士重工業の名が完全に消えることは淋しいことだったが、こうして映画冒頭でスバル車でる姿を観ると仕方なかった時代の趨勢と受け止められる。)

 幼い時家族に起こった事故の為にPTSDで聴覚障害になる主人公。耳鳴りから解放されるにはこうして「別の音」で『耳を塞ぐ』しかない生活を強いられる。彼がそれを苦痛としているかと問われると、共存の今は寧ろ楽しんでいるようにも描かれている。彼は強盗団の中では極端に若年だがグループを安全に逃がすドライバーの役を諸事情あって拒絶することも出来ず受けている。強盗物の映画ではない為に強盗内部シーンは一切ない。心情深く探ることもなければ謎解きが求められるでもなく、素直に音楽と共にスクリーンを楽しめる。

 iPodが懐かしかった。いつの間にかiPodを介さずに私に関してはApple Musicで聞くような生活にシフトしている。現在使っているApple Musicの方が遥かに曲数は多いが便利と引き換えに捨てた物が確かにあったと久々のiPod操作を観ながら考えていた。iPhoneの中の「一部」としてある音楽ではなくiPodでは「丸ごと」音楽を『手にしている』のだ、純粋に。其処には通話もmailもなく。
 彼はiPodに留まらず音楽記録媒体に「テープ」を使う。ある意味、今の時流先取りである。

 音楽と車に話題を取られるがこのランドリーシーン然り、色彩バランスも良くこうした安定の元にカーチェイスの動きが映えているのだろう。

 時折差し込まれる里親とのシーンが印象に残る。
 彼のどちらかと言うとベビーフェイスを裏付けるような日々生活のやわらかな風景が音楽を聞きながら天才ドライバーにスイッチが入る彼と同位置づけで描かれる。里親ジョゼフとの手話のやり取りがとても自然で気になって調べた。ジョセフ役CJ・ジョーンズ氏は聴覚障碍のご両親から生まれご自身も聴覚障碍を持ちながら俳優をされている。だからこそ、彼の手話に演技を越えた「余韻」のような個性的な膨らみを感じられたのかもしれない。
 障碍がありながら里親設定かとレヴューも見受けられたが、世話する子もまた耳に問題を持つことでは理解者。一方で耳鳴りを抱えながらも自ら音楽を作る子と無音の世界にいる親の対比でもあろう。

 脇役がこれ以上締めようない堅固な体制で若手エルゴートを支えブレない。

 終盤、この辺りからバディとの緊張が高まる。二人でiPodを聴くシーンは是非字幕ではなく英語歌詞と台詞を聞いて欲しい。髪型さえほとんど崩さず感情的バッツと対照的に冷静だった彼が髪もふり乱しながら若造相手に憎悪を見せる。(勿論、それ相応の原因はあった。)

 今回のケビン・スペシーもいつもと云えばいつもの役柄ではある。いつか金太郎飴よろしくどこを切っても100%善人役、しかも主役を観られるかしら。
 それでも、今回はスプーン一杯ほどの善人が観られた。
 去年の夏公開だった「シング・ストリート」のように映画館を出てからも余韻が強いのはやはり音楽との相乗効果なのだろう。
★★★★






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