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お茶の間のスターからスタンダップ・コメディアンへ転身した理由|ぜんじろう

かつてお茶の間を賑やかせたテレビスターは、いま、バーや小劇場でスタンダップ・コメディアンとしてトークライブを行っている。

が、その裏では単身、アメリカに行き、スタンダップ・コメディを学んでいた。そんな彼がなぜスタンダップ・コメディアンになったのか?そして、日本のメディアや日本人の表現に対して感じること、成し遂げたいことについて深ぼっていきたい。

スタンダップ・コメディについてはこちらの記事をご参照ください。


テレビの昔と今の違いは?

記者)
まず、はじめに今のテレビと昔のテレビでどんな違いがあるのか感じていることを教えていただけませんか?

せんじろう)
はい。バラエティもそうですが、昔のテレビには現場にも力があったなと思います。自分たちでおもしろいと思うものを表現してみたり、『モンティ・パイソン』や『サタデー・ナイト・ライブ』といった海外で受け入れられているコメディの要素を取り入れて新しい取り組みをしてみようという気運がありました。

それがバブルになって給料も高くなって花形になったことと、その後のバブル崩壊で業績が落ち込んだことで方向性が大きく変わってしまったんです。

特にバブルが弾けてから大きく変わったのは予算のところでした。とは言ってもテレビマンたちの給料を下げるわけには行かず、テレビという組織自体がどんどん保守的になっていきました。

バブルが崩壊しても昔と比べれば広告収入は一定あったので「もう海外のことを取り入れなくても大丈夫だ。自分たちがおもしろいものをつくっていけてる」と、新しい挑戦よりも数字や誰に忖度するかを見るようになってしまったんです。

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図1「テレビ業界におけるビジネスモデルの変容」 ~放送ビジネスからコンテンツビジネスへ~ 著:小倉 淳 より引用


テレビに求められているものって?

記者)
なるほど、ありがとうございます。では、そんなテレビにいま求められているものや、果たすべき役割ってなんだと思いますか?

ぜんじろう)
これは世代によっても違うと思いますね。例えば"テレビ世代"と言われた50~60歳代の方々は「すごく価値があるものだ」とか「おもしろいものだ」と思ってくれている人も多いです。しかし、一方でインターネットやゲームなど技術の発達でテレビ以外にも楽しみがある若者世代にとってはテレビ世代ほどそこまで重要度は高くないでしょうね。

逆にテレビ世代はテレビに求める役割もそうだし、その分の信用度も高いですね。でも若者世代はテレビに何を求めているかというと「別に」と感じていますよね。

テレビの画面もスマホの画面も一緒の感覚で、おもしろいものを探していて、それを深掘ると心にグッとくるものであって、そうなると数字の計算や忖度で作られた苦情も出ない保守的なものには何もリアルを感じないですよね。

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新たな挑戦

記者)
その中でぜんじろうさんがテレビの出演数が減っていった理由って何なんですか?

ぜんじろう)
まずは客観的なところでいうとテレビが僕を必要としなくなったということですね。テレビが「ぜんじろう」というものを素材としてみた時に商品として売りたいと思わなくなったということと、僕自身も目指したい方向性が違ってきていたのでそこで「売ってください」としがみついてお願いをしてまで続けたいものではなくなっていたんです。

番組のスタッフさんたちとも打ち合わせをしているときに、海外のお笑いの話題をしても、そこに興味を持って反応してくれる人がいなかったんですよね。そこからテレビの方向性の違和感を感じるようになって。

ドリフターズさんとかビートたけしさんは常に海外のお笑いに対してもアンテナを貼っていて、その当時ではかなり挑戦的なお笑いを放送の中でしていました。それをバブル崩壊後はできない環境になってしまったんですよね。

でも、自分はスタンダップ・コメディという日本にないスタイルの芸、パフォーミンクアートを日本に根付かす活動が一番やりがいを感じるし、やり遂げたいことです。結果としてテレビの世界からどんどん離れていきました。

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スタンダップ・コメディとの出会い

記者)
スタンダップ・コメディは昔から知ってたんですか?

ぜんじろう)
いえ、バブル絶頂の時にアメリカに行った友人がいたんですが、ある日、彼から「ぜんちゃん、これめちゃおもしろいで」と1本のテープが送られてきたんです。それを見ると大きなホールで一人の男が喋っていて、会場は大爆笑に包まれてるんです。

「なんだこれは、なにがおもしろいねん」と最初は思ったんですけど、内容を知っていくと次第に興味が湧いてきて。というのも日本だと1人での漫談ってここまでウケることって基本的にないんですよね。2人の掛け合いになると話は変わるんですが。それにアメリカでウケるような社会的なジョークも日本だと全然ウケなかったりするんですよね。逆に日本でウケてるものをアメリカに持って行ったとしてもウケなかったりもします。

この"違い"という疑問を抱えているうちに、知りたいなという強い欲求になっていったんです。


でも、一番影響が大きかったのは実は立川談志師匠の影響が大きかったんですよね。

僕が19歳の時に上岡龍太郎の弟子として東京でのイベントについていった時に、上岡は先に帰ったんですけど「ぜんじろうは残って同じイベントに出演されていた談志師匠の付き人をしてくれ」と言われたんですね。

で、その後の談志師匠の予定が何かしらの打ち上げで、たまたま談志師匠の真ん前に座ることになったんですよ。その時に談志師匠が気さくに「君は誰を目指してるんだ?」と聞いてきてくれはったんですね。

その時に「談志師匠です」と答えると忖度になるし、「上岡です」と言っても普通すぎる。とはいえ「ビートたけしさんです」と言うとミーハーな感じに思われるのも嫌だったので、海外のよくわからない人の名前を出しておいたら話題を変えれるなと思ったんです。

で、とっさに「レニー・ブルースです」って言ったら談志師匠が「おお!レニー・ブルースか!○○みたか?あれ、すごくいいんだよな〜!」と、まさかのすごく食いついてきてくれたんですよね。

で、その場はなんとか終えて、大阪に戻った後に上岡に「どうやった?」と聞かれたんで「レニー・ブルースの話をしました」と言うと「お前、レニー・ブルース知ってるんか!」とまた盛り上がってしまったんです。


これはダメだと彼のことを勉強をすることにしたんですね。レニー・ブルースはユダヤ系のアメリカ人で、スタンダップ・コメディを作った人なんですよね。で、彼の半生を描いたドキュメンタリー作品を見たんです。

あんなスゴい人たちが「スゴい」と言っている人の話を知れることにワクワクしてたんです。でも、その期待とは裏腹にその作品の内容はすごくどんよりしてて難しかったんですよね。

でも、これをなんとか理解したいと思った時に仕事が減ってきたタイミングだったので、ちょうどいいやとアメリカに飛び立ったんです。

で、スタンダップ・コメディをはじめてからどんどん意味がわかるようになりました。「あぁ、アメリカと日本は社会が全然違うんだな」って。

で、40代で次は世界各国を回った時にもっとその日本社会がクリアに見えてきてスタンダップ・コメディの魅力にさらに気付きましたね。


ぜんじろう インタビュー vol.2『スタンダップ・コメディのスゝメ|ぜんじろう』に続く

【撮影協力】
シネマパブ WILD BUNCH
住所:大阪市北区長柄中1-4-7
HP:http://www.cinepre.biz/wildbunch

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