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「偶像破壊」のための「偶像」 ―塚本靑史『霍去病』―

 中国史小説を中心に執筆活動をしている作家の塚本靑史氏は、高名な歌人である塚本邦雄氏の息子である。すなわち、「二世タレント」だ。しかし、それゆえに一般人の息子である宮城谷昌光氏のように「貴種崇拝」的な作品は書かない/書けない。むしろ、「貴種」に対する偶像破壊的な姿勢が目立つ作風だ。
 塚本氏のメジャーデビュー作『霍去病』とは、宮城谷昌光氏のヒット作の一つ『孟嘗君』のアンチテーゼである。

『霍去病』も『孟嘗君』と同じく、豪華絢爛な群像劇だが、その中でタイトルになっている霍去病本人とは別に意外な人物が実質的な主人公になっている。『史記』の酷吏列伝で伝が建てられている義縦ぎ しょうである。「なして、こんな人が主人公なの?」という疑問は、漫画『キングダム』の主人公のモデル李信や、『センゴク』シリーズの仙石秀久にもあるが、義縦はあの二人以上に意外な人選である。
 義縦は『マルドゥック・スクランブル』で言えば、バロットの「復讐モード」とシェルの「立身出世モード」の一人二役である。彼はバロットと同じくある男に使い捨てにされて殺されかけるが、後にその男に復讐するために、前漢王朝の皇太后の侍医である姉のコネで役人になる。彼は『孟嘗君』の白圭の「ダークサイド」だ。

 この小説においては、タイトルである霍去病は空虚な中心である。

 複雑な出自の彼は、後の塚本作品群ヒーローたちの原型として非常に非情な人物である。しかし、彼の非情さとは、彼に対して嫉妬心を抱く王侯貴族たちのような悪意に基づくものではない。単に、他人に対して関心がない結果として非情なのだ。しかし、彼はそのスター性によって人気者になっていく。
 その勇壮なスター性があるからには、彼もまた、宮城谷作品群のヒーローたちと同じく「偶像」である。しかし、その「偶像」とは美術品として大切に扱われない。あくまでも、物語の構成材料としての「偶像」に過ぎない。用が済んだら打ち砕かれる偶像。塚本氏はおそらくは、自作小説の登場人物たちに対しては過剰な思い入れを背負わせないだろう。
 宮城谷氏の作品群の中には、やたらと主人公に対する「キャラ萌え」や甘やかしが目立つものがあるが(例えば、『楽毅』や『青雲はるかに』など)、塚本氏は宮城谷氏のように登場人物のえこひいきはしない。宮城谷氏の作品群ではある種の「特権」を得ている「美女」たちも、塚本作品群においては「醜女」や「普通の女」と変わらない。要するに、塚本ヒロインズは宮城谷ヒロインズとは違って「人間」なのだ。

 ちなみに私は『霍去病』の中では怪人・東方朔と女医・義姁ぎ く(義縦の姉で、実質的なヒロイン)の異色カップルが好きである。東方朔はお茶目なキャラクターが憎めないし、義姁は「有能な医者兼薬剤師」という以外は普通の女性だが、その「ただのお人形さん」ではない生身の女性らしさに好感が持てる。
 それにしても、私の宮城谷ヒロインズに対する嫌悪感はまさしく、春秋時代の晋の叔向の母親の「美女嫌い」に瓜二つである。だからこそ、私は叔向ママに対しては同族嫌悪を抱くのだ。

【Metallica - Master of Puppets (Live) [Quebec Magnetic]】
 そういえば、『ゴールデンカムイ』に「まさに戦争中毒」というフレーズがあったね。とりあえず、塚本靑史作品にはメタル系の楽曲が似合う。


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