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「負け犬」VS「人妻」、時々レズビアン ―本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか? 「よろめき」の現代史』―

 私は思う。世間一般で最も性的な意味で「過大評価」されている女性の「属性」とは何なのか? 80年代であれば、深夜番組『オールナイトフジ』に象徴されるような女子大生がそうだっただろう。90年代であれば、「コギャル」という造語で象徴されるような女子高生たちがそうだった。しかし、彼女たち以上に「過大評価」されている「性的偶像」とはズバリ「人妻」である。
 いわゆる「人妻」の性的偶像化とはズバリ、いわゆる「オバタリアン」という属性で括られているような種類の既婚女性たちとは別の「属性」だと見なされている。あえて語弊がある言い方をするならば、「美女」と「ブス」は同じ女性であっても、実質的に別の「ジェンダー」として扱われているのと同じだ。同様の事態は「イケメン」と「弱者男性」との対比にも言える。
 私はあるQuoraユーザーさんが紹介した本が気になったので、アマゾンでその本を注文した。本橋信宏氏の『なぜ人妻はそそるのか?』(メディアファクトリー新書)だが、この本は現代の日本社会で「人妻」すなわち既婚女性たちが性的な意味での「偶像化」を遂げた経緯を書いている。当然、「オバタリアン」タイプの既婚女性は排除されている。要するに、この本における「人妻」とはズバリ「美魔女」である。

 その「人妻」とは対照的な存在として、酒井順子氏のベストセラー『負け犬の遠吠え』で扱われているような「30歳以上の独身女性」がいる。しかし、酒井氏の本で扱われているような「負け犬」とは、厳密に言えば高学歴・高職歴・高収入の「勝ち組負け犬」たちであり(それゆえに、こちら側にも「美魔女」は存在する)、低学歴・低職歴・低収入(下手すりゃ無職・無収入)の「負け組負け犬」はほぼ無視されている。その酒井氏の『負け犬の遠吠え』の影響もあってか、いわゆる「婚活女子」たちが増えてきたが、しかし、女ならば誰でも「人妻」になれる訳ではない。
 結局は「階層」「階級」の問題がある。本橋信宏氏の『なぜ人妻はそそるのか?』においても、女性たちがそれぞれ属する「階層」が問題になる。戦後間もない時代に、困窮のために売春をする「人妻」たちは少なからずいた。他の男性と再婚してから、元夫が生還した例は少なくない。本橋氏は「人妻」の性的偶像化以前の時代の日本社会においては「処女性」が重視されていたとしているが、日本社会における「処女性」の重視とは元々、西洋のキリスト教文明圏から輸入された概念である。
 この本はあくまでも「現代史」に限定した内容なので、明治維新以前の日本社会の各階層ごとの「人妻」の貞操観念について詳しく取り上げてはいない。キリスト教的なモラルが日本社会に輸入される以前の時代においては、各階層ごとに性的な意味での「あり方」が違っていたのだ。いわゆる「夜這い」なんて、バリバリ家父長制の武家社会ではあり得ない事態だったのだ。そうすると、いわゆる「祖先崇拝」とは人それぞれが属する「階層」次第で様子が違っていたはずである。公家や武家などの由緒正しい家系ならば、当然先祖(特に「家父長」である男性)の名前が重要になるが、それに対して、名もなき庶民にとって「祖先」とは具体的な名を持つ「誰か」ではなかったのかもしれない。
 そう、「人妻」が必ずしも正式な「夫」の子を生むとは限らない。自分自身の意志に基づく姦通によって夫以外の男の子供を生む場合もあれば、レイプ被害に遭った結果として夫以外の男の子供を生む場合もある。そこで問題になるのが、王欣太氏の漫画『達人伝』の始皇帝と劉邦のそれぞれの母親たちの「貞操観念」の違いである。
 始皇帝の母・朱姫は元々身分の高い家柄の娘であり、最初の男・呂不韋の子を身ごもったが、呂不韋は彼女を秦の王子・子楚に嫁がせた。朱姫はさらに他の男に性的な意味で辱められて、精神的に傷を負う。しかし、全くの庶民の女である劉邦の母は、屋外で居眠りしているところを、キーパーソン盗跖とうせきの息子らしき男に襲われるが、しかし、その二人の性行為は劉邦の母を精神的に傷つけるものではなかった。彼女はその男の息子として劉邦を生むが、彼女は朱姫とは違って、あっけらかんとしていた。そんな彼女の姿勢を正当化するために、彼女の夫は「男性としての魅力がない(少なくとも枯れ果てた)」人物として描かれている。

 その『達人伝』の劉邦の母親は大らかな女性である。それに対して『春秋左氏伝』の叔向の母親は自らの貞操観念の堅さの反動なのか、自分よりも美人で男性にモテそうな同性に対して敵対的な性格の女性として描かれているが、仮に彼女が現代の日本社会に生まれていれば、いわゆる「ツイフェミ」並びに「自称フェミニスト」として自らの「ミサンドリー偽装のミソジニー」を理論武装で正当化していただろう。しかし、『達人伝』の劉邦の母親は、そんな叔向ママと比べると「優しい」人妻である。
 本橋氏が自著で「人妻は優しい」と何度も強調するのは多分、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』のアンチテーゼという意味合いがありそうだ。なぜなら、酒井氏は自著で「負け犬」の女性の「怖さ」について書いているからである。酒井氏が定義した「負け犬」女性たちは、自らの「女」としての「怖さ」をうまく隠し通せるほどの要領の良さを持たない。しかし、「人妻」は「負け犬」とは違ってうまく「怖さ」を隠し通せるのだ。その要領の良さこそが「人妻」の「優しさ」の正体だろう。
 それはさておき、本橋氏の『なぜ人妻はそそるのか?』はあくまでも「異性愛男性」の性欲を基準にした論考なので、いわゆる「主婦レズビアン」がレズビアンコミュニティーではむしろ嫌われているという話は取り上げられていない。その気になればいくらでも夫以外の男性たちを「食いまくる」事が出来る異性愛人妻さんたちは、「主婦レズビアン」の方々と比べると恵まれているよね。そして、仮に将来同性婚合法化が実現しても、専業主婦志望者の同性婚は難しいだろう。

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