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そうだ 京都、行ってきた。③

京都市役所

イノダコーヒー本店で一休みして、次に行きたいところは南禅寺と哲学の道だった。どちらも初めての場所。地下鉄で行けば南禅寺の最寄駅まですぐ。でも、来た道を引き返すのはもったいない気がして、京都市役所の方まで歩くことにした。

京都市役所

京都市役所は遠目からも目を引いた。昭和初期の歴史的建造物らしい。観光マップでももらおうかと、中に入つてみる。9時スタートなのか、案内の女性が席に着くところを待ってマップをもらう。阿形(夫)のぶんまで2部頂戴した。

『おこしやす京都 京歩きマップ』が今日のおともだ。片手にマップを持ちながら街歩きするのは何年ぶりになるのだろう。Googleマップは行きたい場所を瞬時に、最短経路を教えてくれるけれど、全体を把握するには紙のマップの方が見やすい。

市役所から南禅寺の最寄駅まで地下鉄で3駅。道はひたすらまっすぐ東の山に向かって行けばいい。歩こう。時間はたっぷりある。

高瀬舟の高瀬川

すぐに京都ホテルオークラがあり、そのすぐ先に川風がきらきらと吹いた。高瀬川とある。森鴎外の短編は『高瀬川』だったか……。いや違う。『高瀬舟』だ。

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞い(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。

『高瀬舟』森鴎外-青空文庫
森鴎外の『高瀬舟』の舞台となった高瀬川

京都の風物詩

高瀬川沿を奥の方まで歩きたい気持ちを抑えつつ進むと、鴨川の景色がわっと大きく開けた。京都の夏の風物詩である川床が設けられていた。

鴨川の御池大橋より三条大橋を臨む
納涼川床 正面のビルは京都ホテルオークラ

実際の川床を見るのは初めてだ。ただ、川床といっても、なんだ、川の上に張り出すのではなく、川べりのテラス席だったのか……と対岸から見て、そう思っていた。このnoteを書くまでは。

早合点だった。川床の下には、鴨川に沿うかたちで、全長2㎞あまりの「禊川」という大正時代に造られた人工水路があったのだ。「禊川」という名前も鴨川の別称で(「みそぎ川」とも「みそそぎ川」とも言うらしい)、かつて鴨川で天皇が「禊」をしていたことに由来するという。床の下を歩けばわかったのに、悔やまれる。

ゆかとかわどこ

そんなことを調べていたら、京都で川床といっても呼び名は2通りあることも知る。二条大橋から五条大橋までの鴨川の納涼床を「ゆか」と呼び、貴船の川床を「かわどこ」と呼んで区別しているとのこと。

Q
「川床」って”かわゆか”と”かわどこ”と呼び方が2種類あるって本当?
A
鴨川の納涼床は“ゆか”が正解です。
鴨川の納涼床は“ゆか”、貴船や高雄にある川床は“かわどこ”と呼びます。呼び方の由来には諸説ありますが、私は鴨川の場合、建物の床板から床が面で出ているから“ゆか”だと考えています。また各地の川床を区別するために、呼び分けていることも考えられます。これを機会にお客さまにも、鴨川は“ゆか”と覚えていただけるとうれしいです。

京都・滋賀の“いま”を届ける地元情報誌『Leaf』

もうひとつ、後から知ったこと。床は、私が歩いた左岸(下流に向かっ左側)に現在はない。一説に、「大正4年(1915)の京阪電車鴨東線の延伸」が理由に挙げられていたが、実際、京都駅に引き返したのでよくわかる。左岸に地下鉄が走っていたのだ。では、地下鉄ができてから左岸に床を設けても良いはずだが、それをしなかったは、景観を大事にしたのではないだろうか。床から眺めるのは床ではなく、自然の山を借景とした。京都人の美意識として、そうしたのではないかと、ふと思った。(うん)


■「そうだ 京都行ってきた」シリーズのつづきはこちら:


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