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そうだ 京都、行ってきた。⑤

哲学の道

南禅寺から哲学の道へ。哲学の道は、南禅寺の水路閣から送られてきた疎水沿いの約2㎞の散歩道。その起点がわからずに、東山中学・高校の先生を呼び止め、尋ねた。暑すぎて日中、地元の歩く人も、観光客らしき人もいないのだった。

ここで曲がればいいのか先生に尋ねる


先生の言う通りに行くと標識

哲学の道の標識と新島襄先生墓地の標識。同志社創立者の新島襄と八重の墓が南禅寺のすぐ近くにある。綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ、「八重の桜」を見ておけば親しく感じたのだろうけれども、今回はパスして、哲学の道に向かった。名前の由来は、哲学者の西田幾太郎氏が思索にふけりながら歩いたことから。思索にふけるなら、うだる夏ではないな。汗が止まない。

哲学の道
緑が濃い
紫陽花は満開
哲学の道はゲンジボタルの生息地

哲学の道では、5月下旬から6月にかけて自然のゲンジボタルが見られるという。夜の散歩に、ここまで来るのはちょっと通いか……

法然院へ

時間が許せば寄ってみたいところがあった。哲学の道からちょっと脇道に入る、法然院。「京都の花咲く寺」を特集した昔の新聞記事に、法然院がベスト10に入っていたのだ。ただ花は、椿が特に有名で、時期は外したけれども、来てよかったーと思う出会いがあった。

苔むした茅葺屋根の山門

上の写真ではわかりずらいけれども、山門に入ると両脇に白砂壇びゃくさだんという白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているそうだ。森閑とした、よい‘’気‘’に一瞬で変わったように感じた。

水鉢に青と白の紫陽花

仏足石ぶっそくせき

本堂内部は通常非公開。よく整えられた庭をめぐり、奥の石段を少し上ったところの仏像にお参りをして引き返そうとすると、庭を掃いていた女性に声をかけられた。仏像は新しそうに見えるでしょうけれど、江戸時代のものなんですよと言う。また、「皆さん気づかれないのですけれど」と言って教えてくれたのが、仏足石だ。

今まさに大腿骨骨折で入院している母がいるので、ありがたくお参りさせていただくことを伝えると、その女性は、母親を介護して見送って、時間ができるようになり、法然院で今こうして働くようになったと話してくれた。別れる時に、「お母さんを励ましてあげてくださいね。さようなら」という言葉をかけてくれた。「母を励まして」という言葉が、私を励ましてくれる言葉だった。

またいつか、その女性に会えるだろうか。(うん)


■「そうだ 京都行ってきた」シリーズのつづきはこちら:


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