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絵描きの掌編 〜空っぽの御伽話〜


空っぽの御伽話



 彼はおとなになっても、穴を発見すると指を突っ込む癖が治りませんでした。
 塀の穴も壁の穴も、幹の穴や蟻の巣も、土竜や蛇の穴だってとりあえず指を突っ込みます。きっと銃口を向けられても、指を突っ込むに違いありません。
 彼は土を捏ねる陶器作りの職人見習いだったけど、彼の作る器には不自然な穴が存在して実用性が全くありません。師匠に良くも悪くも見放され、非実用性過多の陶器作家として、細々と生計を立てていました。

 空ばかり見ている彼女は、よく電柱にぶつかったり、石に躓いて靴が脱げたり、普通に穴に落ちたりします。
 それでも空を見上げていると、自分の存在の曖昧さと生きている実感が錯綜して、無性に胸がいっぱいになって涙が込み上げるのです。そして、いつかあの雲が描き出す穴の向こう、濃い青の世界にダイブしたいと本気で思っていました。
 彼女は絵描きでした。空を盲信してキャンバスに空の再現を試みています。夜空も昼の空も、狂ったように素手で空の青に隠されたいろんな色を塗りたくります。手だけではなく頬も足も服も絵の具まみれです。

 ある日彼女はキャンバスの中の空に、雲の穴を発見しました。絵の具まみれの指でその穴に触れてみました。妙な振動。もう一度触れるとほんのり風を感じました。思い切って指を突っ込むと、キャンバスの穴は実在していたかのように、彼女ごと飲み込んでしまったようです。
 少しだけ呼吸が苦しい。微かな湿気。足元に眩しい川が星のように流れています。どこか懐かしい土の香りがしてあたりを見廻すと、淡い霧の中に虫歯の穴みたいな形のベンチで、自分の人差し指をじっと見つめている彼を見つけました。彼も曖昧にぼやける、頬に絵の具をつけた彼女の姿に気づきました。
 boy meets girl

 泥まみれの彼と絵の具まみれの彼女は、こんな所で出会いました。
 穴が繋げたご縁。
 「こんにちは。はじめまして」
 「こんにちは……はじめてじゃないかも」
 「前の世界で会ってたかしら」
 「わからないけど、そんな気もする」
 「あたしの名前はそら、そらよ」
 「ぼくはくう、くうだ」
 ふたりは笑顔を交換して、指と指でご挨拶のキスをしました。
 ふたりはふたりだけの不思議な穴の空間で、空っぽで実りのある話をたくさんしました。そのせいなのか、彼の器の穴の存在意義や彼女の空の絵の混沌は、多角的に多次元的に変化していきました。
 「僕たちの魂は次の世界で会えるだろうか」
 「きっと会える……若しくは魂が融合してひとつのかたちをしているかもしれない」
 「気づくことができるかな」
 「わからない……でもそれでもいい」
 ふたりは再び指と指でキスをして、それぞれの世界に戻りました。

 「次の世界で憶えていたら、お互い指でキスができる人を探そうね」


おわり
(1177字)


空の穴



初めて参加させていただきます。
苦手な掌編ですけど、どうぞよろしくお願いします。




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