『春の祭典』における供犠と共同体の表象

はじめに・・・
2016年7月に書いたもの、授業のレポートのために執筆したと思われる。

1.意味の統合からの脱却、劇場の共同体

 演劇と言えば近代演劇という意識は私の世代に至ってなお拭い去れるものではなく、それに比して古典演劇も現代の演劇も等しく「難解」で「前衛的」である。なぜなら舞台に溢れている記号において、伝達される意味は矢印のように唯一の気づきを促すものではなく、端からその絶対性は目されていないからである。ハンス=ティース・レーマンは1970年代以降の必ずしも筋行動に依らない演劇を「ポストドラマ演劇」として理論化した。彼によればポストドラマ演劇の記号は極端な多義性を有し、暗示的で両義的なテーゼを提示する。それは「統合的、閉鎖的な知覚」ではなく「開かれ分裂した知覚」を求め、その点で演劇への解釈は非常に個人的な独我論的なものとなることが許されているのである(Lehmann, 1999, p105)。レーマンは20世紀初頭のアヴァンギャルドはその多様な革新性にもかかわらず、未だテクストの再現に奉仕し「ドラマ演劇の本質的なものを保持していた」、つまり彼が扱う「ポストドラマ演劇」の範疇には含めていないのだけれども、意味の分裂が技術やメディアによるものだとすれば(※1)、ハイデガーが匿名性・無名性について言ったように(※2)アヴァンギャルドの時代から記号感覚へのメディアの影響は確かに存在したに違いない。演劇が共同体による集団的な経験であるとしても、またあるがゆえに、現代の演劇(ここでは仮に20世紀以降の非リアリズム演劇としよう)の意味の統合からの脱却は、全体へ同化しない観客の受容の特異性を浮き彫りにする。そこにジャン=リュク・ナンシーのいう「共同体」が重なって見える。ナンシーは『無為の共同体』の中で、共同体は近代によって失われたものではなく、全体主義国家によって達成されるものでもないという。共同体は何の企てにもよらない企て以前のものであり、もともとあって失われる、あるいは達成されるものではありえない。その契機はより根源的なもの、「死」にある。人は自分の死を究極には経験できず自らのものとすることができない、有限な存在である。死は常に他人の死であり、それを看取る他人と分かち合うものである。分かち合うことで両者の有限性が露呈(exposition)される。この自己と他者の非相互的な関係が各々の果てしない特異性をも露呈することになり、ついには両者を分離する。こうした隔たりこそが、逆説的に、共同体なのだとナンシーは説く。

 レーマンの言葉を借りれば劇場はサッカー場ではない(同, p285)。劇場における共同性は単なる「衝動発散による癒し効果」による一体感ではなく、演劇のカタルシスはむしろ苦痛の中に宿るのである。そうした苦痛の演劇の代表格と言えるものがコンテンポラリー・ダンスだと感じる。あくまで筋とテクストの枠内での表現だった古典的バレエとは違い、言葉を脱いだ生身のダンサーには記号的身体の苛烈さ、生々しさがある。現代演劇において受容される苦痛は、単なる苦痛のミメーシスへの感情移入だけではなく、表現内で俳優の身体によって実際に体験される苦痛への移入、そして苦痛の表現という演技行為を知覚すること自体の苦痛といったふうに、分節化される(同, p286)。苦痛に悶える俳優の身体は、劇場の中で執り行われる供犠における犠牲となる。観客はその目撃者たることを強いられる。犠牲となった俳優の死は観客に共有された他人の死であり、まさにここで有限性が露呈される。劇場に存在する共同体とは、こうして確認されるものである。 (※3)

 共同体と供犠というモチーフは、実際に数多の演劇で表現されてきた。本論ではその中でも『春の祭典』のいくつかの演出に目を凝らしてみたいと思う。1913年の伝説的な初演以来多様な解釈がなされてきたストラヴィンスキーの傑作は、まさに共同体と供犠に根差した儀式である。儀式はポストドラマ演劇においては宗教や祭祀といった筋行動とは切り離され、それ固有の美的な価値を求められるようになった(同, p89)。ベジャールの振り付けによるものでは確かに儀式の固有な美が性への礼賛として取り上げられている。しかしニジンスキー振り付けの再現版における極度の無感情と不能性、またピナ・バウシュ版における断絶や視線の表現には、固有の美とは違う地平で、供犠の持つ力、そこに託された、あるいは秘められた意味と身振りが読み取れるのである。

※1「技術とメディアによる意味の分離―分裂が、知覚の解体に伴う芸術の潜在的な可能性へとまずまなざしを向けさせたのだ。」(Lehmann, p107)

※2 Blanchot,『明かしえぬ共同体』, p241. 訳者西谷修氏によるハイデガーの概説より

※3 しかし気を付けねばならないのはその共同性は供犠によって「生み出された」のではなく、供犠によって開示されたものだということである。無為の共同体 (la communauté désœuvrée) はいかなる営為/作品 (œuvre) でもあり得ないのである。

2.ベジャール、バウシュ、全体主義

 ベジャール版は1959年に発表された。彼はこのバレエの中で『春の祭典』の供犠のモチーフを動物的性のエネルギーへと大胆に読み替えた。さまざまな色のレオタードを着た男女それぞれの集団から1人ずつ生贄が差し出されるというストーリーだが、彼らは生贄と言うよりも性の体現者に他ならない。バレエの第1部を踊る男性チームでは集団の中で2人の長がまた別のあるひとりを生贄に指名する。生贄は長から粗暴に扱われるためにそれなりの苦痛をみせ、この共同体から排除されることが示される(※4)。一方で女性チームは第2部の始まりから登場するが、すでに1人の特別な存在がクローズアップされており、集団は彼女につき従う踊りをみせながら、彼女自身を生贄として差し出す。最後は生贄の2人の性行為が示され、他も男女一対となって性を表象する。激しさのうちに、生贄は死ではなく至高な地位を与えられ、歓喜と祝福を持って作品は終わる。

 特に男性チームの身振りは、四足歩行や霊長類的前傾姿勢など直接的な動物性を持っている。翻って女性チームには東洋的な身体感覚がみられる。ヨガのような緩やかでありつつエネルギーをもった動きや、手首を外側に90度に曲げる身振りなどがそれである。この志向性は非西洋、非人間主義であり、この作品を怪しい魅力を放つ原始的で神秘主義的なものへ仕立て上げるのである。

 このベジャールのものと比較すると、1975年のピナ・バウシュ版はより作品の中で行われる行動への省察が深く批判的であり、内容は悲劇的である。女性の服装は緩い白半透明のワンピースで男性は黒いズボンのみ、ジェンダーははっきりと差別されており、生贄は女性から一人だけが選ばれる。舞台の床には土が敷かれていて、人々はそこで身体を汚しながら踊る。映像にあまり顔は映らず個々の服装が全く同じためダンサーの匿名性は高いが、その分男女の隔たり、特に男性の暴力性が際立つ。その一人を選ぶため、女性たちは恐怖におののきながら赤いワンピースをお互いに手渡す。生贄として選ばれたひとりは赤いワンピースへと着替え、苦悶の舞を始める。作品を通して、汚れ、息切れ、内的受動的衝動、苦痛といったネガティヴな身体性が提示される。ベジャールにおいては能動的な力強い跳躍の美しさがみられたが、バウシュにおいては自分でない何者かが起こした、突き動かされるような生々しい衝動がダンサーの身体を通して伝わってくる。

 振り付けは受動性を示す動きが多く、特に女性ダンサーは何かを虚空から体内に引き込むような衝動的な身振りをまとまって繰り返す。この激しい反復が持つ効果はふたつあり、ひとつはダンサーの身体的限界をひきだして美的な身体とは異なる疲弊する身体のなまのエネルギーを現前させること、もう一つはダンサーの身振りが彫刻のように鑑賞するものへと変化し、それに伴って身体のエネルギーをも視覚可能にさせることである 。この作品において「見ること」の持つ意味は大きい。例えば生贄の目は疎外される恐怖をたたえており、彼女の死を見つめる集団の視線はその疎外を強化する。もちろん観客もその集団に加わっている。ここでは見る行為さえもがまた一つの身振りとなり、そのエネルギーと感情を可視化するのである。(※5)

 ピナ・バウシュは『春の祭典』の供犠を共同体における疎外の悲劇として作り上げた。1973年は、ファシズムの吹き荒れた戦争の後、冷戦は雪解け期が終わり停滞期の初め、ソルジェニーツィンがソ連から追放される前年である(乗松, 2015, p12)。バウシュが『収容所群島』を読んでいたのかはわからないが、ファシズムとコミュニズムという共同体の二つの究極形態に傾いていった20世紀がついにそのどちらにも裏切られたのだということが明らかになりつつある時代において、彼女にとって供犠とは共同体の全体性により名もない誰かが犠牲となることにほかならず、悲劇として以外は描きようがなかっただろう。ジェンダーの差はそのまま社会状況を示しており、犠牲は常に弱いものの中から、そして周囲の視線により疎外される形で生み出されるのである。ベジャールが共同体への統合・帰属が持つ膨大なエネルギーを性の礼賛と重ねて表現したとすれば、この共同体が陥ってしまう全体主義への生々しい批判こそがバウシュの『春の祭典』だと言えるだろう。

※4 ここで示される苦痛はしかし、作品を通して回収されることはない。

※5 見ることはベジャール版においてより直接的に表現されている。この作品(少なくともYouTubeで見られるもの)は映像化を多分に意識して作られたようで、随所に創意的なカメラワークとそれに呼応した振り付けの工夫がみられる。例えばダンサーたちがつくる幾何学的な模様は鳥瞰的な映像でなければ見ることのできないものである。また同じ身振りをする男性が列を作って順にカメラの前を横切っていく様は、ホドラーの絵画を動画として再生したかのようである。その身振りの連続性がここでもエネルギーとリズムの可視化へとつながっている。あるいは、ダンサーたちが照明の当たった方向に一斉に振り向くという部分もある。いささか強調しすぎているようにも思うしその意図も曖昧なのだが、ベジャールが視線を重要視していたことは間違いない。

3.ニジンスキー、バウシュ、供犠と共同体

 このバレエ初演時のニジンスキーによる振り付けは長らく忘れ去られていたが、残された資料を調査してきたミリセント・ホドソンとケネス・アーチャーにより舞台装飾や衣装などとともに復刻され、1987年ジョフリー・バレエ団により上演された。オリジナルのニジンスキー版が初演されたのは1913年であるが、その時周囲に与えた衝撃の大きさはいまさら説明するに及ばないだろう。しかし音楽のみならずダンスの身体性や表象されている共同体の形は、全く色褪せない新鮮さを持っているように思われる。まず有名なこととして、この作品ではダンサーは基本的に内股で前かがみである。過度な内股は纏足を連想させるが、要するに動きの制限が課されている。(古典的なバレエダンサーは外股で踊る。)跳躍は伸びやかさを失い、踊りは個々の視線とともに上方ではなくより地面を志向している。「長老」をはじめさまざまな役柄によって衣装が異なり、この共同体が幾種類かの成員により成り立っているとわかるが、しかし彼らの個性が目立つことはなく、感情が沸き立つこともなく、ただ彼らは粛々とこの儀式を遂行している。彼らはしばしば首を少し傾げた状態で踊る、あるいは留まる。人の顔は、個々のパーツからではなく全体としてその顔の人間性を示しているのであり、首が傾いて全体の配置が崩れた状態を眺めていても、普通の人間だと認識しその感情を読み取ろうとすることは難しい。その顔は無であり、何をも物語らない、あるいはすべてを物語る、人形の目を持つ。こうして提示されるのは不能性に溢れた不完全な身体であり、彼らがこの供犠への参加者である。

 一人の生贄は、少女たちの輪舞により選ばれる。彼女らがつくる円は複雑な回り方をし、やがて一人の少女がそこから外れてしまって、すると全員の視線が注がれる。一度目はすぐ輪に戻るが、二度目は決定的である。こうして犠牲が決定すると、斜め上を見上げながら立ち尽くす生贄の周りで、祝福するかのように少女や他の登場人物たちが踊り始める。やがて生贄の少女も踊りはじめるが、片足が動かなくなる身振り、そしてそれを悔しがる身振りが示される。これが輪舞から弾かれた理由であろう。踊り狂って彼女は死に至り、その身体が天へと捧げられて幕が下りる。

 輪舞から弾かれた少女を見る集団の視線は、あるいは疎外といえるかもしれない。しかし、踊り狂う生贄と周りにいる集団との関係は、ピナ・バウシュ版とは全く異なる。彼らは生贄を決して排除せず、自ら隣に居続ける。彼女は共同体の中で死にゆくのであり、バウシュ版の生贄のように共同体から疎外されて死んでゆくのではない。この点に関わるもう一つの観点として、バウシュ版には女性の生贄の対となる特別な男性が一人存在したことが挙げられる。彼は供犠の執行人としての役割を持ち、ニジンスキー版の「長老」のように大地との接触を持つ。しかし「長老」とは違って直接手を下すのが執行人であって、生贄を赤いワンピースへと着替えさせる彼は恐怖に包まれる生贄とは裏腹にとてつもなく深い無表情でいる。生贄が死ぬとき、生贄の死を引き受けて、彼もまた地面に横たわり死に至るようにも見える。一方でニジンスキー版には決まった執行人はおらず、生贄の死は集団によって共有される様が見て取れる。このような両者の構造には、第1節に挙げたナンシー的共同体の考え方に通ずる部分が多く見受けられる。

 人間が自分の全てを己自身で生み出せるとするなら、人間は完全に「内在的」であると言える。人間とは人間の作品であり、この構図がすすむと最終的には人間は全体の所産であるということになる。こう考えれば、人間は「絶対的に内在的な存在」(Blanchot, 1983, p12)とみなすことができるだろう。しかしすでに述べたように人間は自らの死だけは決して自分のものとすることができない。ナンシーの影響を受けてブランショが書いた『明かしえぬ共同体』では、人間の内在性が崩れる過程が詳しく説明されている。いわく、「何にもまして私を根底から問い糾すものは・・・他人に対する、それも死に瀕し消え去りつつある他人に対する私の現前がそれである」(同, p25)。他人の死を見て、死にゆく「きみ」が、死を自分のものとできずにいることをみること、そしてその死を「私」に関わりのある死として担うこと、そのことが「私を自己の外に投げ出す」のであり、そうして人間の内在性は失われる。人間の内在性/個人性への疑問は、そのまま共同体の全体主義にもあてはまるとブランショは言う。どんな共同体も全体主義へと向かう傾向を持っているように思うが、その傾向は結局は「ひとつの一体性・単位(超個人性)をつくり出すためであり」、そうなれば自己の内在性に完結する個人を想定することと同じ問題を抱えてしまうことになる。すなわちそのような「超個人性」の破綻、自己完結の不可能性である。(ファシズムは絶滅収容所を、コミュニズムは収容所列島を自己の外に生み出した。)こうした共同体の完結性への絶望こそがピナ・バウシュの表現であると言える。

 しかしそれでも共同体が必要だという前提が崩れることはない。ブランショはバタイユの「各々の存在者の根底には、不充足の原理がある」という言葉を引用している(同, p18)。存在者は自分自身へ疑問を抱き、その「付疑が果たされるために」もう一人の存在者を必要とする、その必要とする限りにおいて人間は一人では生きられない。付疑によって自らの不充足に気付いた存在者は、他人の死を前にした人間と同じであり、そこからナンシーのいう「無為の共同体」が想定されるのである。この共同体の特徴は、それが「限定された社会の一形態でもなければ・・・融合を目ざすものでもない」こと、そして「いかなる生産的価値をも目的とはしていない」ことである(同, p30)。ニジンスキー版においては、生贄の死は多数の他人(共同体の成員)によって共有されており、生贄は「孤独に消え去るのではなく、死のさなかで自分が誰かに代補されていると感じ」ているに違いない。集団は生贄の死により自らの不充足(内股と前傾による不能性)を思い出し、またそこに開示された「無為の共同体」(全体主義による「融合」を目ざさず、感情表現が無いために悲劇を生み出さない、また示されるのは儀式の遂行のみであっていかなる社会の一形態でもない)を確認するのである。この共同体は、ナンシーが「共同体の不可能性を担い、それを刻みつけている」(Nancy, 1999, p28)というものであり、その点で不完全な従来の共同体に対する絶望を引き受けるものである。ニジンスキー自身は1913年の時点でその絶望など知る由もないのだが、彼の作品は「そうでしかありえない」共同体のかたちを見事に表現しているとは言えないだろうか。ストラヴィンスキーの幻想的な夢から生まれたというこの原始ロシアの民族儀式が、当時の人々が傾倒した共同体とは異なる形での、人間の共存在を表していた。このような芸術的感性による先取りが、ナンシーが初めて『無為の共同体』という論文を著した1983年のちょうど70年前に行われていた、ということなのである。

4.共同体への時代意識、執行人、『春の祭典』

 このように、3つの『春の祭典』には三者三様の共同体との付き合い方が表れており、特にニジンスキー版には、「他人の死」に顕現されるナンシー的「無為の共同体」の姿を見ることができた。時代背景を鑑みれば、70年代のピナ・バウシュにとっては、ファシズムの大罪とコミュニズムの負の遺産の暴露によって、共同体への不信感が決定的になったことは致し方なく、彼女にとって供犠はあのようなある意味感情的な方法で悲劇として表象することしか考えられなかったのだろう。そう考えると、『収容所列島』以前とはいえ、70年代よりも生々しく残っていたであろうファシズムの記憶への配慮をせずに全体性の祝福を描き切ったベジャールの作品の、その大胆さは驚きに値するし、その妥当性にどうしても疑問符がついてしまう。一方でニジンスキーは『春の祭典』の初演時、共同体が辿る運命を未だ知らずにいた。そのために供犠を悲劇的でなく、まただからといって祝祭的でもなく、淡々とした共同体の儀式を(それが全体性へつながるという恐怖なしに、また配慮をしないという反骨もなしに)描くことができたのだろう。この意味が宙づりになった中での無感情こそが、周囲の激しい踊りの中心で立ち尽くすあの少女の人形の目こそが、この作品が「無為の共同体」とのつながりを持つことになった所以であると考えられる。

 余談になるが、バタイユはその生涯を通して理想の共同体の実相を求め続けた。彼はまずシュルレアリスムの活動に加わり、続いて「コントル・アタック」を組織し、さらには「アセファル」というグループをつくって実験を重ねた(Blanchot, p33)。アセファルにおいては、バタイユは自らの支持者たちとともに、「新たな宗教的権威を打ち立てるために」死の供犠を実行しようとし、実際に犠牲になる人物まで確定していたらしい。しかしその執行人が見つからないままにアセファル自体が霧消してしまった。ナンシーによれば、バタイユはその時供犠を執行することはその執行人の自死をも要求するということを理解した(Nancy, p32)。「死ぬことで、供犠執行人は、共同の生の持つ血なまぐさい秘密の中に横たわっている犠牲者の存在と結びつくことができるだろうというわけである。彼は、本来の意味で神的なこの真理・・・は有限な存在者たちの共同体の真理ではなく、逆に彼らを内在の無限性の内へと駆り立てるものだということを理解した。・・・それは共同の生の営みとみなされた、死の持つ死の営みのまったき不条理・・・である」(同, p32)。 死の供犠を共同体を打ち固める手段として行えば、そこにはどうしようもなく全体性と「不条理」が生まれてしまうということだろうか。この執行人の死は、もちろんピナ・バウシュ版の執行人を連想させるのである。バタイユもアセファルにおいてはまだ共同体への合一を目ざしていたし、バウシュも自ら表現しようとした全体主義の中に、執行人の死を求める不条理を見出したのだろうか。

 最後になるが、本論ではベジャール、ピナ・バウシュ、ニジンスキーによる3つの『春の祭典』の中に、供犠と共同体の表象を求めた。『春の祭典』について考えることは供犠と共同体について考えることであり、この問いへの一つのチャンネルとして、芸術家の感性にとってこのバレエが機能しているのだと思う。今後もまた革新的な、その時代感覚が色濃く反映された共同体の表象が『春の祭典』を通してなされていくのだろう。

5.参考文献

Blanchot, Maurice. (1983). LA COMMUNAUTÉ INAVOUABLE『明かしえぬ共同体』. ちくま学芸文庫. 訳初版1997
Lehmann, Hans-Thies. (1999). POSTDRAMATISCHES THEATRE『ポストドラマ演劇』. (谷川道子, 新野守広, 本田雅也, 三輪玲子, 四ツ谷亮子, 平田栄一朗, 訳) 同学社. 訳初版2002
Nancy, Jean-Luc. (1999). LA COMMUNAUTÉ DÉSŒUVRÉE『無為の共同体』. (西谷修, 訳) 以文社. 訳初版2001
アリストテレス. (1997). 『詩学』. (松本仁助, 岡道男, 訳) 岩波文庫.
乗松亨平. (2015). 『ロシアあるいは対立の亡霊』. 講談社選書メチエ.

モーリス・ベジャール版:https://www.youtube.com/watch?v=cLZCbcO2_2I
ピナ・バウシュ版:https://www.youtube.com/watch?v=VUfj3vGo4n4
ヴァーツラフ・ニジンスキー復刻版:https://www.youtube.com/watch?v=_QZXrPJGLJ0

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