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当たり前過ぎて気づけなかった悪い癖

30年以上も生きてきて気づいたこと。人から説明や指導を受けているとき、教科書などのテキストを読んでいるとき、分からないと感じたところで私は反射的に他のことを考え出してしまう。理解できなかったことで怒られたり嘲笑れたりすることを想像して怖くなり、全く別の空想をして現実から目を背けたがる。同じ心理は勉強に限らず仕事でも、それから趣味ですら働いて、ある程度以上難しくなってくると急速に関心が萎み、何をやっても大成しない。

記憶にある限り、小さい頃からずっとそうだった。親に、教師に、同級生に自分の失敗で怒られカッコ悪い姿をあざ笑われたことは何度もあって、10代に入る頃にはすっかり失敗を恐れて挑戦しない子になっていた。それを自分ではいつも意思が弱いのだと思い、内心でいつも恥じていた。
20代半ばで成長マインドセット、硬直マインドセットという言葉を知って目から鱗が落ちる思いをした。自分のマインドセットは物心つく前からカチンコチンで、そのことに気づくことすらできなかった。

そこからは心を入れ替えるつもりで生きてきた。頑張り次第で能力が伸びるのだと信じて。それで確かに経験は増えて多くの人と知り合った。けれども肝心のことができていない感覚が残った。言い換えるとコンフォートゾーンを抜けたというより周りの人に引っ張られていつの間にかコンフォートゾーンを少し広げただけのようなだった。
いくつかの本を読んで心理的な繊細さだとかリミッターだとかについても自分なりに考えた。しかし考えただけで解決するような問題ならとうの昔になくなっているわけで、まだ何かあるような気がした。

別の本に、何をすればいいのか分かっているはずなのに動き出せないならその瞬間に感じていることに意識を向けて感じたことをそのまま言葉にしなさいと書かれていた。それを何度か実践していたら冒頭のことに気づいた。

いや、本当はずっと前から分かっていたはずなのに昨日今日に至るまで無視してきただけだ。私にないものを手に入れた人にとっては、分からないけれど知りたいと思ったことなら食らいつくのが当たり前なのかな? 自分にも少しはそういう体験があるけれど、ハードルが高くなったところで毎回自主的に退散していた。挫折というほど激しいものでもない。しゅんとおとなしくなっていなくなっただけ。
そうは言っても新しいことに気づけただけいいじゃないか。次回そうやって目の前の課題と他のことを考えそうになったとき、その習性を改めて自覚しよう。次にその瞬間の不安が何なのか言葉にしてみて、そして自分で見つけたヒントを思い出してみれば少しは安心できるかもしれない。勝負はそれからだ。

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