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子どもにキャリコンし続けた結果。

わたしのキャリコンスキルは、家族に磨いてもらった部分が、かなり大きいです。

わたしには同居する4人の家族がいます。

天真爛漫小学生、思春期反抗期中学生、挫折を味わった高校生、家計不安に胃を痛め仕事にやりがいを感じられない夫、そしてわたし。


3年前にキャリコンの勉強を始めてから今まで。
キャリコンの学びを日々家族に落とし込んでみたところ、
すさまじい変化があったように思います。


家族一人ひとりが、はかない幸せを愛しみ、未来への大きなベクトルを合わせながら、それぞれの「今」と向き合っています。




昨夜、三女と話をしました。


今日の出来事、学校のこと、今考えていること、など。
それを「キャリアコンサルティング」なんて名前を付けてしまうのは好きではないのだけれど、中身はそうです。

話を聞いて(傾聴)、しっかり褒めて(称賛)、励まし、勇気づけ、フィードバックで振返ることから自ら気づき、そして未来を見てもらう。


小1くらいからキャリコンのロープレ相手になってもらってたんだけど、小3になって、大きく成長を感じています。

小学生でここまで気付けるか、と。


そして、驚いたことは。

「学校のみんな、こうやって話をすることはあるのかな。
 1対1で色々考えながらなんでも話せるっていうの、
 あったら絶対にいいのに!」

「あーーーー、校長先生に言ってみようかな。
 言いたくなってきた!」

と、言い出したこと。


ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
キターーーーーー!!!!
と、思いましたよ(≧▽≦)

別に、校長先生に話すとか、そういうことではなくて、
当事者から得た、「キャリコンが子どもにとって有効だ」というフィードバックですよ!

すかさず、実はそれやってるところがあるんだよ!って、三女に情報提供。
「小学生からキャリコンを。」
所々で、お会いする方にその必要性、有効性について伝えてはおりました。

【参考資料】「名古屋市子どもライフキャリアサポートモデル事業」の実施事業者が決まりました
http://www.city.nagoya.jp/kodomoseishonen/cmsfiles/contents/0000109/109635/180910_lifekyariasapoto_jigyousyakettei.pdf



三女は、わたしの情報提供を受け、「自分の考えたことを本当にやり始めている人がいる」ということに驚き、興奮し、寝付けないようでした。

「明日、校長先生に話があるっていってみる!
 ママ、先生にこの話するとき、後ろで見ててくれる?
 一人じゃちょっと不安。。。」

ほい、きた!
「校長先生に言ってみたい」という三女の気持ちに寄り添ってみたら、恐る恐るわたしに援護射撃の要請を申し出てきました。

一人でできそうにないとき、ヘルプを出すことの大切さ。

そんなこともしっかり伝わっているなぁとしみじみと感じました。


一晩明け、興奮冷めやらぬ様子で娘は登校していきました。
さて、校長先生に「話がある」と、伝えることができるのかどうか・・・・それは分かりません(*^_^*)


スクールカウンセラーではだめなのか


現在小中学校には、「スクールカウンセラー」が配置され、定期的に巡回しています。

学校からのお便りで保護者は知っているはずですが、三女はそれを全く知りませんでした。「何かあったら、相談できる」は、「何もなければ相談できない」ということです。一見、「何も問題ない」三女は、スクールカウンセラーの存在さえ知らないわけです。

ちょっと違うんだよなぁ。。。
「何もない」なんて子ども、いる?

スクールカウンセリングの場は、本人が何か話したいことがある、もしくは周りが話しておいで、と送り込む場所、みたいになってるし、そもそも、予約も取れないほどだとか。


わたしがイメージする「小学生からキャリコンを。」は、
何か話したいことが特別あるわけではなくても、周りが問題視することは何もなくても、いいんです。
話すことはなんでもいいのよ。今はあなた一人だけの時間だから、なんでも聞くよ。話が無ければ、好きなゲームとか、得意なダンス見せて、とか。何でもあり。
学校の先生以外の大人、が、学校以外の視野をもって全受容する場所。子どもの発想をそのまま伸ばし、未来を見せる場所。

子どもは皆、とても豊かな感性を持っています。素直に「生きよう」とする力がみなぎっています。

「楽しいこと」「面白いこと」「わくわくすること」へのフォーカスが、「辛いこと」「悲しいこと」「しんどいこと」へのフォーカスに勝ることが多いです。

「辛い」「悲しい」「しんどい」ことの原因追求と対処法と環境への働きかけより、すぐに実践できることがある!と思うのです。



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そうそう!
わたしの最期の時のイメージが最近湧いてました。
学校近く。子どもたちが集うコミュニティで、ちょっと口うるさいけど「生きること」を教えてくれる、優しくて、強くて、温かいおばぁちゃん(わたし)がいる、「駄菓子屋さん」。※現金オンリー。
万引き見つけたら、店頭で店員やってもらう。
小っちゃい小っちゃいお店で、丸椅子にちょこんと腰かけ、「小学生からキャリコンを。」を実現してる。

そこに夫はいるだろうか(笑)

これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/