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バイオレンス度No.1韓国映画『悪魔を見た』感想・解説と紹介


今更ですが、私の記事はバイオレンス映画の感想や紹介がここまで多いですね。

誤解されたら困るなぁ……(^^;


それはさておき、韓国映画というのはバイオレンス表現に定評がありますが、その中でも「バイオレンス度」が一番なのは今のところ本作だと思っています。

ただ、この過剰なバイオレンス表現も、その根底にある意図や構造は他の韓国映画と変わっていないのだと説明したいです。

しかし、それ故に本作はエンディングが消化不良なものになっているという感想です。



「バイオレンス度」No.1韓国映画『悪魔を見た』


『悪魔を見た』は2010年に製作された韓国映画です。

韓国映画といえば、その特徴の一つに優れたバイオレンス表現というものがありますが、本作はその中でも表現の「過激さ」がずば抜けた作品です。

私がこれまでに見た韓国映画の中で「バイオレンス度」が一番だと今のところ評価しています。


それはレーティングという点でも分かりやすく表れていて、本作は「R18」指定を受けている作品となっています。

「R18」指定の映画作品というのは過激な性描写や薬物描写があるものを除くと、中々数が少ないです。

私が直ぐに思いついたものであれば、『ムカデ人間2』や『冷たい熱帯魚』とかでしょうか。『ムカデ人間』の時点ではR15指定なので、人を繋げるという発想ですらR18指定を受けてはいないのです。

ともかく、暴力描写だけで「R18」指定を受ける映画作品というのは中々珍しいのです。


では、『悪魔を見た』のどのようなバイオレンス表現がR18指定相当であると評価されたのかということですが、

「見せなくていいところまで見せる」

この一言に尽きると思います。


例えば、ギロチンを見せてそれを落とす仕組みを説明していれば、別に首が転がるシーンが無くともギロチンが落ちたことを観客は想像できるはずなのですが、本作は首が飛ぶところまでキチンと描写します。

また例えば、飲まされたGPSカプセルを取り出すために下剤で出した便を、真上からのカットで映すというのは個人的に印象的なシーンでした。

他にもバラバラになった死体を映したり、消火器でボコボコにしたり、アキレス腱を切ったり、手に刃物をぶっ挿したりと様々なバイオレンス表現が出てきます。

(流石に消火器は一周回ってギャグ表現に見えたりしましたが)


しかし、私はこれらの表現はあくまで「バイオレンス度」が高いだけで、表現として効果的であったのかという観点では評価をしていません。

それは次に述べる「韓国映画の本質」に沿っていないからだと考えます。



『チェイサー』との共通点(韓国映画の本質)


以前に、私は韓国映画『チェイサー』の感想及び分析を書いたことがあります。


個人的には、あの分析は中々本質的なことを突けたつもりなので是非そちらも読んで欲しいのですが、要点を書きだすと以下です。

・作家性の高い韓国映画では、バイオレンス表現が好まれることが多い

・それは、表現したいテーマとバイオレンス表現の親和性が高いからである

・その表現したいテーマとは「個人の力ではどうしようもない社会(世界)への怒りとルサンチマン」である


以上は「韓国映画の本質」として、以降も韓国映画の作品分析で用いていこうという視点です。


そして『悪魔を見た』は上記の観点に照らし合わせた場合、あまり効果的なバイオレンス表現の用い方を出来ていないと評価することが出来ます。

そのことを説明するために、『チェイサー』との共通点と相違点を大まかに挙げてみます。


共通点

①主人公が(元)刑事である

②様々な事情で警察が犯人を捕まえることが出来ない(無能な警察)

③犯人がシリアルキラーである

④妊娠した婚約者やシングルマザーなどが被害に合う


相違点

①主人公が復讐を果たす(犯人が死ぬ)

②犯人にも弱みがある点


まず共通点の①と②について、改めて韓国映画の名作には「元刑事」や「単独で行動する刑事」という設定が多いと『チェイサー』の感想を書いて以降気付くようになりました。

例えば『殺人の追憶』、『殺人の告白』などもそうです。

それは『チェイサー』同様に、主人公の対比として②に挙げた「無能な警察」を表現するためですが、この意図は『悪魔を見た』も同じであるため、「表現したいテーマ」も共通していたと考えます。


そしてまた、主人公と対立した立場である犯人にも「やっぱり韓国の警察はそんなもんだ」とわざわざ下に見た発言をさせています。

「無能な警察」というのは同時に「犯人=主人公>警察」という構図を成り立たせているということです。

警察が無能故に、主人公が犯人と対立せざるをえない。韓国映画の多くはそういう構造になっています。


次に③と④について、犯人が極悪非道なシリアルキラーであり、立場の弱い女性が被害に合うことも共通していました。

これは「理不尽」を描くことで、「どうしようもない社会」に対する無力な個人のルサンチマンを表現する意図があります。

したがって、犯人の結末がどのように描写されたのかということが、作中の表現が効果的であったのかという評価に直結します。



『悪魔を見た』のエンディング


以上に述べたように、『悪魔を見た』も『チェイサー』や他の名作韓国映画同様に、

「個人の力ではどうしようもない社会への怒りとルサンチマン」

を表現することを志向した設定が用意されています。


そして、そのために過剰とも思えるぐらいのバイオレンス表現を用いて被害者を、犯人と唯一対等な主人公の対決を描写しています。

しかし、『悪魔を見た』では準備された設定とエンディングの間に齟齬があって、私の中ではイマイチ作品としての評価は高くなりませんでした。


それは先述した相違点の①と②に既に示唆されていますが、

「主人公が犯人の弱みにつけ込んで復讐を達成してしまう」

という点がこの作品のバイオレンス表現の効果を下げてしまっています。


つまり、本作は無力感及びルサンチマンの表現が不十分だと考えます。

確かにイ・ビョンホンが演じる主人公も、最後に復讐を達成した後はやり場のない悲しい雰囲気を醸し出していましたが、一応の形としては復讐を遂げてしまったという点が『チェイサー』などとは異なります。

それは予告編でも使われていたニーチェの有名な「深淵を覗くものは~」に示されるように、「悪魔と対等に戦える立場の主人公も悪魔になっている」という作品のコンセプトを描くためなのでしょうが、そのコンセプトを貫きながらもルサンチマンを描く方法はあったと思います。

(ただ、本作には「別エンディング」なるものを収録したDVDが存在しているらしいので、そのエンディング次第では評価も変わるかもしれません。)


それで、本作は「バイオレンス度」はNo.1だけれども、その表現効果は不十分な作品だと私は評価します。

本作は『アジョシ』のようなどちらかというとエンタメ作品に近い作品だと私の中では落ち着いています。

しかし、それでも「バイオレンス度」という点ではこの映画より高い作品は中々存在しないでしょう。

何より、この作品は手軽にサブスクやレンタルで観ることが出来るのが大きいです。


総じて、「血と暴力を見たい気分(?)」の際には良い作品なのではないでしょうか。

(サムネに使用した画像はYoutubeの予告編のキャプチャ画像です。)





















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