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『アリの獲物を横取りするオオヒラタシデムシ』~略奪と逃走~

 この日も白金台の国立科学博物館附属自然教育園で嬉々として自然の写真撮影にいそしんでいた私は、ふと視線の片隅にざわつく地面の一角を察知した。目を凝らすと、たくさんの小さなアリが右往左往する中、オオヒラタシデムシと思われる平べったい甲虫が、ミミズのようなアリの獲物をくわえようと盛んに胴体を上下させている。
 咄嗟に撮影を開始、ほどなくして、まとわりつくアリを振り払ったオオヒラタシデムシは、がっちりとミミズをくわえこむと、その体形からは想像もできないすばしこさで藪の方へと逃走していった(実際、逃走の場面はピンボケの写真しか撮れなかったので、残念ながらここには掲載できない)。

 素早くはあったが、体形通りの胴体を左右に振ったドタバタとした、ユーモラスにも見える『略奪と逃走』の一幕を目撃した私は、ふと、人間界の事どもに思いをはせた。
 すぐに気付いたのは、人間の社会では、略奪が起きても、必ずしも当事者が逃走しない、という事実だ。
 昆虫の世界では、例えばオオスズメバチのような絶対王者でもない限り、他の昆虫の獲物を略奪したら、即逃走、というのがセオリーだろう。さもなくば、そのままアリの集団の真ん中にとどまっていたら、遅かれ早かれ今度は自分がアリの獲物にされてしまう。

 つらつら思うに、人間界で、略奪の後に逃走することなくそのまま居座るような芸当が可能となる一因は、そこに言葉、『言語』というものが介在するからに違いない。『言語』は、文字通り諸刃の剣であって、真実を語ることもできるが、逆に、嘘・フェイク・プロパガンダも語りだす。嘘がまかり通れば略奪者は逃走する必要がない。そこにはあのオオヒラタシデムシのような可愛げは微塵もない。
 私達市民には、嘘による自己正当化を見逃さないだけの、少なくとも疑ってかかるだけの見識、用心が必要だ。

 ちなみに、言語には虚実を語る『叙述』の機能と、真理を追究する『思考』の機能があると再確認させられた。『言語』がなければ、夢も語れず、科学的な真理の探究にも支障をきたす。『言語』を通して『思考』を深めれば、『叙述』の真偽にも到達できるに違いない。

言語=思考+叙述
  =プラスの思考+マイナスの思考
  +真実の叙述+虚偽の叙述

 昆虫の世界を見ていると、人間の社会が見えてくる。まさに、昆虫すごいぜ……おっと、これは某人気テレビ番組のパクリだ……「昆虫アッパレ!」とでも言っておこうか。
【以上、『随想自然』第4話】


(インスタグラムhttps://www.instagram.com/angelwingsessay2015/で、主に東京都心で見れる自然の写真を紹介しています。)


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