浪人中の屈辱と希望

最近マストドンをしていると、結構自己肯定感の低いトゥートが多くて、ふと自分も昔、自己肯定感低かったなと思いました。というか今でも心が落ち込むとその状態に戻るので、根本的な自己肯定感は低いのかもしれません。

小学校の頃から私立受験の塾に行きはじめ、常に受験という競争社会に置かれつつも特に成功体験がないまま高校生になり、一回目の大学受験で志望校全部(三校ぐらい)に落ちて浪人生活をしていた時は、人生の中でもどん底に自己肯定感が低かったと思います(二番目は就活時、その話はまたいつか)。

幸か不幸か、父親がそれなりの大学(できれば国公立)しか行かせないという家庭で育ったので、どこでもいいから受けて大学に行くという選択肢はなく、そこそこ偏差値が高いところを目指さなければなりませんでした。頭が悪くない私は本当に辛かったし、自分が頭が良いから自分の子どもも頭がいいはずだと思い込んでいた父親を心底恨んでいました。(もちろん、これまで教育にものすごく投資をしてくれたので、今はありがたいなと思っていますよ。念のため。)

浪人生活をして最初に気づいたのは、浪人生は社会ではいない存在なんだなと思ったことです。もちろん世の中の人は浪人して受験勉強をしている人がいるということは知っていますが、社会的な身分としては無職です。大阪の予備校に通うことになり、通学のための定期券を買おうとしたら、学生ではないので社会人と同じ通勤用の定期を買わなければなりませんでした(ちなみに今調べて見ると、通っている予備校や予備校の入学時期によっては通学定期も買えるようです)。

当たり前ですが、もう自分は高校生じゃないんだと実感するとともに、大学生でも社会人でもない。誰かと会って「今何してるの?」と聞かれることを恐れ、非常に気まずい思いをしていたような気がします。そしてまた失敗することを考えると不安で押しつぶされそうになっていました。今、ちょっと大人になって見るとそもそも大学だけが全てじゃないし、世の中には色んな考えがあるのになと思うのですが、その当時の私からすると大学進学が未来へ通じるたった一本の道のように思えました。

浪人中はひたすら塾と家を往復するだけで、塾で友達もできず孤立して、無機質な日々を送っていました。毎朝九時から授業が始まり、授業後は仕切りで区切られた自習室の中に缶詰になって、午後九時に自習室が閉まると駅前のスタバに移動して、閉店の十一時まで勉強。一年間を通してずっとこのような生活を送っていたわけではないのですが、少なくとも九月以降はただ感情を殺して機械のように黙々と勉強し続けました。勉強するモチベーションがずっとなかったのですが、秋になって「このまま頑張らなかったら去年と一緒になる、それだけは嫌だ」とふと思ったのです。しかし毎日毎日膨大な問題を解き続けたり暗記したりしているとだんだん心が病んできます。体重は減り、顔中にニキビができたり、そうなると身体もどんどん蝕まれていくのですね。

高校の同級生で浪人をしてる人もいましたが、大多数はもう大学生活をスタートして充実した生活を送っているように見えました。自分で授業を選んだり、自由に授業をサボったり、サークルに入ってお酒を飲んだり。そんな大学生が羨ましいなと思いました。自分が今そこにいないのは、きっと何か根本的なものが劣ってるからなんだろうとも。

この論理展開が考えるとおかしいのですが、自分だけがうまくいっていなくて周りがうまくいっていると、そう思えてくるのですね。なんだかよくわからないけど、自分には欠陥があるようだと。私の場合は中学受験、高校受験、そして大学受験と全ての失敗を重ねて浪人中に爆発した感じでした。

正しい言葉の選択かわからないのですが、とにかく社会から屈辱を受けたのです。この世に存在していて申し訳ないという強い気持ちがこの頃確実に私の心の奥底に根付き、それ以来なかなか取り払うことができません。ガンみたいなもので、一生うまくコントロールして付き合っていかないとダメなのかなとも思います。

正直ここまで私の浪人生活を振り返ってみて、どうしようもないほど悲惨な人生とは言えないと思うのです。もっと大変な事件に巻き込まれたり、酷い人生を歩んでいる方もおられるでしょう。逆に私なんかよりはるかに少ない失敗で物凄く低い自己肯定感を抱えている方もいる。誰かと比べてというのではなく、自己肯定感というのは多分ほんの些細なことから落ち込んでしまい、一旦下がるとなかなか元に戻すことは難しいように思いました。

でもそんな心が弱っている時だからこそ、自分の心の動きに敏感になるとも思っていて、私は浪人中に屈辱を味わったともに少しの希望を見つけることが出来ました。それが回り回って今にも繋がっていると思います。

私が浪人をしていた場所は大阪の堀江というところだったのですが、堀江は心斎橋やなんばといったいわゆる繁華街から少し離れた、当時はファッションの聖地として栄えている地域でした(今もそうだといいな)。個人デザイナーの服、帽子、ユニークな古着、雑貨、文房具、そしてカフェ。輝かしい大量消費の裏にある、隠れ家のようなその土地に惹かれ、休憩時間には買うことはできないけれど色んなお店に足を運び、新たな物の見方をどんどん手に入れた気がします。

その中でも衝撃だったのは東欧雑貨のチャルカさん(昔は北堀江にお店があった)と作家のwassaさんの作品に出会えたことです。この二つへの愛を語ると長いので割愛しますが、もしこのチャルカとwassaに出会っていなかったら浪人生活挫折してたんじゃないかなと思うほどです。

心が敏感な時、強く惹きつけられたものは一生忘れることができないのではないかなと思います。惹きつけられた理由はまだうまく言語化できていないのですが、少なくとも私はこの出会いに人生救われたなと思いました。大げさかもしれないけど。そして私が今ハンガリーで学生生活をしているのもきっとこの出会いがなければなかっただろうし、将来の夢の一つに自分のお店をやりたいと思えたのも、この出会いのおかげかなと思います。

私の場合はものでしたが、人によっては誰かとの出会いでもあるでしょう。私も浪人中はなかったけど、出会った人に救われたことはあります。うまくいっている時って、あんまり内省的にならないから意外と自分の心の動きをうまく把握してなかったりするんですよね。自己肯定感がどん底な時に、物事に対して自分な心がどのように反応するか。これって結構いいヒントになることがあるように思います。

もちろん低い自己肯定感を持ち続けるのは心に毒だとし、一度低くなってしまった自己肯定感を上げるためにはやっぱり日々少しずつ、馬鹿らしいと思いつつも自分の素敵なところを褒めて、意識的に鍛錬していくしかないと思います。卑屈な自分はすぐ自分を貶めようとしてきますが、ちょっとずつ努力することで必ず自分の価値を自分でちゃんと気づいてあげられるんじゃないかな(そうだといいな)と思い、最近そういう心構えで生活するようになりました。

浪人生活を終えてもうそろそろ十年くらい経つのであの頃の感じたことの新鮮さはすでに無くなってしまいましたが、あの経験があるからちょっと自分に優しくなれるような気がしてます。そんな日曜日のお昼でした。