トントン拍子に進んで行けるのはその道が自分に合ってる証拠だよ

矢沢あいさんの『Paradise Kiss』(通称パラキス)の第三巻で、主人公の紫(超有名進学校の高校生)が凡庸な人生に疑問を持ち、そして服飾専門学校の愉快な仲間たちとの出会いによって、ついには家出し高校にも行かなくなった矢先、モデルとしての仕事が舞い込み、さらには所属事務所が決定しと、どんどん話が進んでいって怖い、というような心情を実果子(服飾デザイナー)に告白したところ、出てきた台詞だったと思います。

私が初めてパラキスを読んだのは小学校六年生(中学受験前)で、塾での成績がよくなかったため、学業の道は向いてないんだろうなと薄々感づきつつ、あまり何も思わなかった記憶があります。そもそもたいした人生経験がないので、トントン拍子に進むの意味がわからなかったのだと思いますが。そういう意味では、当時習っていたピアノのほうが大して練習もしていないのにコンクールで賞をいただけたりしたので、明らかに学業よりそっちの方面のほうが本来的には向いていたんだろうなと思います。パラキスは何度か読み返していますが、今なんとなくこの言葉が自分に響きます。半分賛成、半分反対。

私は受験でたくさん失敗しています。失敗しすぎて正確に何校落ちたかもはやうろ覚えですが、中学受験で二校、高校受験で二校、大学受験で三校ぐらいだったと思います。一年浪人生活を経て、やっと志望校に合格しました。

大学生活は穏やかにすごしつつも、次の試練は就職活動。就活では十社受けて全部落ちました。十社って全然受けてないと思われるでしょうか、相当心のダメージを受けたのでその時点で就活を終了しました。その当時インターンに行っていたベンチャー企業でバイトとかしながら他の就職先を探そうと思っていた矢先、幸運にも大学の恩師に拾われ、その方の秘書として一年働きました。

青年期の社会競争には敗れ続け、ついにはクラスの友達が受かったような一流企業(とは言わないまでもまともな企業)で働くことが出来なかった私は、いわゆる普通の社会人ルートから外れてしまったなと思っていました。なんとなく小学生ぐらいの将来図では、大学卒業(22歳)、結婚(23歳)、その後適度に仕事をして夫を支えつつ、子どもが育てるというような人生を歩むと思っていました。実際は22歳の時点ではまだ大学を卒業しておらず、23歳で働き始めて当時の恋人と別れました。

大学を卒業してすぐに研究センターで秘書(そして事務と研究のお手伝い)をし、転職して本と雑貨の店で働きました。この間にいい意味でも悪い意味でも出会った人々のおかげで、回りまわって再びアカデミアに舞い戻ってきた今日この頃です。今ヨーロッパ(しかも私にとっては憧れの東欧)に住んでいるなんて、少なくとも三年前の私には考えられなかったでしょうね。

受験とか就活のような「よーいドン!」方式の競争では結果を残せなかった私ですが、社会人ルートから外れて大学の恩師に拾ってもらった以来、本と雑貨の店の求人に応募したとき、イギリスの大学院(修士)を応募したとき、ハンガリーの大学院(博士)を応募したとき、どれも驚くほどあっさり事が進んでいきました。

これを人生のトントン拍子というのかわからないのですが、とりあえず今の道が(正直自分の予想とは反して)向いているのかもしれないなと思えるようになってきました。大学を卒業してからは、ただただ人の縁を伝ってここまでやってきただけなのですが、知ってる人々が私を導いてくれたからこそ、信じられるトントン拍子だなと思います。もちろん私の周りの人の力や、あるいは私自身の力だけでなく、相当の部分が実際は運で決まっていると思います。例えば、大学の恩師に拾ってもらったときはちょうど前任の方が退職される時で代わりを探していたり、在籍中の大学院に応募したときは、ちょうど研究室がこれからやろうとしている研究と私がしたいと思っていた分野がたまたま近かったなど、いくら有能でも何故か採用されなかったり、はたまた無能なのに何故か採用されたり、そういうことはたくさんあると思います。そう思うと、試験一発の受験は今から考えると恐ろしいほどに平等ですね。もちろん出題問題の当たり外れがあるので、これも運ですが。

正直人生の因果関係は不明瞭で、どこでどうなるかわかんないから、一つの結果だけで人生の正攻法を決めることも出来ないし、逆に失敗に囚われて挑戦を恐れてはいけないなと改めて考えたところでした。スムーズな人生の流れを見て「これはトントン拍子に行っているから自分に向いているな、よし」と思うのもアリ、逆に「トントン拍子に行き過ぎて何か見落としてないだろうか、一度立ち止まろう」と考えるのもまた良し。これまでに他人から余計なアドバイスをもらったり、私も他人におせっかいを言ったと思いますが、それがどれほどのものでしょう。受験や就活で無駄に心を消耗していた自分に向かって「そんなムキになるなよ。気楽に行こうぜ」といってやりたい気持ちでいっぱいなんですけど、年長者の言っているありがたいお言葉って何故か若いとき、理解できないんですよね。